KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2008北海道マラソン雑感・男子篇~“ワンジル・ショック”を越えて行け!

2008年09月19日 | マラソン観戦記
30℃に達する真夏日のコンディションの下で、2時間6分32秒の五輪新記録で、21歳の、日本で駅伝で活躍していたケニア人ランナーが金メダルを獲得する、という北京五輪のマラソンの結果に対して、陸上記者の寺田辰朗氏は“ワンジル・ショック”と名づけた。それから一週間後の北海道マラソン、男子の部には、これまでになくメンバーが揃った。

昨年優勝のジュリアス・ギタヒは、ワンジルにさえ破れなかった全国高校駅伝の1区の区間記録保持者。2位の高見澤勝は、母校の教員に転じ、「佐久長聖高校教員クラブ」として出場、その他昨年4位の川頭健一郎、昨年の世界選手権代表の久保田満、北京マラソン6位の片岡祐介、福岡国際マラソン6位の高橋謙介、今年のびわ湖マラソン4位の大西雄三、延岡西日本マラソン優勝の清水将也、2位の鬼塚智徳、3位の中本健太郎、さらにはこの大会の過去の優勝者であるエリック・ワイナイナ、ラバン・カギカ。渡邊共則。ゲストである小倉智昭氏が
「ここまで揃っちゃっていいの?」
と口にしたのも、決して大袈裟ではない。北京五輪翌週のマラソンで結果を出せば、大きなアピールになると思ったのだろう。さらには、順天堂大時代に山登り区間での驚異的な走りから「山の神」というニックネームで広く知られた今井正人が初マラソンに挑む。これはレース当日になって初めて分かった。

はたして、スタートラインに立った彼らは、先週のレースの結果をどのように受け止めただろうか。その答えはレースの結果に表われるだろう。

スタートから積極的にトップに立ち、集団を速いペースで引っ張っていたのは高見澤だった。彼の名前は、高校駅伝を熱心に見ている方にはお馴染みだろう。'99年の高校駅伝、佐久長聖高が3位に入賞した年、1区を走っていた。卒業後は山梨学院大に進学し、箱根駅伝で同校の「日本人エース」として活躍。実は僕も将来を楽しみにしていたランナーだった。

それだけに、昨年のこの大会で初マラソンながら2位というデビューは上出来と思ったが、2月の東京マラソンの後、日清食品を退社。4月の長野マラソンに佐久長聖教員クラブとして出場した際には、
「彼もまた、早過ぎた引退か?」
とやや失望してしまった。
このところ、箱根駅伝で活躍したランナーが実業団での競技生活を数年過ごしただけで、20代で学生の指導者に転じるケースが目立ったいたからだ。他人の人生設計に口を挟んではいけないと思うが、もう少し競技者として、チャレンジをして欲しかったのにと思えるランナーも少なくなかった。

しかしながら、今回、名うてのランナーを相手に、スタートから積極的な走りを見せた。15km過ぎて、リチャード・マイヨが一時トップに立ったが20km過ぎて再びトップへ。しかも、大会記録をこの時点でも上回るハイペースである。

後続のランナーたちはおそらく、高見澤に対して無警戒だったのであろう。どうせ、後半落ちてくると見ていたに違いない。あるいはペースメイカーかと思っていたのだろうか。(少なくとも、この大会、男子のペースメイカーを主催者は用意していない。)

中盤過ぎて完全に独走体制になり、そのまま大崩れすることもなく、2時間12分10秒で優勝。2位の中本健太郎に3分11秒の差をつけた。3位には清水将也。このところ、30℃を越えるコンディションの続いていた北海道マラソン、中本や清水らは優勝タイムは2時間15分前後と見積もり、準備をしてきたに違いない。5位の大西雄三も15分台、6位の阿部祐樹、7位の佐伯尚彦が16分台。びわ湖で2時間8分台を出した大西を別として、清水、中本、阿部はマラソンのベストが12~13分台だから、夏のレースでこのタイムはまずまずの健闘と言える。佐伯にとっては自己ベストの更新となった。今井正人は10位。てっきり来年の熊日30kmで優勝して、再来年の別大で華々しくマラソン・デビュー、というのを想像していた(ちなみに、これは森下広一監督が進んだコース)だけに、このタイミングでのマラソン・デビューは唐突な印象だったが、エリック・ワイナイナを抑えてのゴール、という結果に、ニヤリとさせられた。僕が彼の名前を最初に知ったのは、高校時代の彼が青東駅伝に出場した時、ワイナイナと同じ区間を走って、区間賞を獲得した高校生がいると知って驚いたのだった。ワイナイナというランナー、五輪で2個もメダルを獲得しているが、意外と駅伝には強くない。とは言え、凄い高校生がいるものだとは思った。

現役教員ランナーのマラソンでのブレイクに、メキシコ五輪代表でボストンマラソン優勝歴のある采谷義秋さんを連想したマラソン・ファンも少なくないだろう。僕は、実業団退社後に、一人きりのトレーニングで国際マラソンに何度も上位入賞していた間野敏男さんの名前も頭に浮かんだ。今回は、全くのノーマークの中でつかんだ優勝だ。次回は、他の実業団ランナーたちも徹底的にマークしてくるだろう。
「教員に負けるなんて。」
と燃えてくるランナーもいるだろう。

本人は、あくまでも、生徒の指導が第一、というスタンスで競技を続けていくようである。もしかしたら、母校の山梨学院大の先輩で、NTTで営業職に就きながら、2時間8分台を記録した大崎悟史のことも、彼のお手本になっていたのかもしれない。本人がどこまで意識していたかは分からないが、大崎、尾方剛の北京での無念を晴らした形となった。「最強の留学生」と呼ばれた、かつての所属チームの先輩であるギタヒにも後塵を浴びせたのだから。
「北京の仇を札幌で討つ」
と見てしまう。

上位入賞したランナーたちの半数、中本、清水、阿部、佐伯、そして今井と九州の実業団所属のランナーが揃った。彼らは駅伝やトラックの競技会でワンジルを間近で見ていたランナーたちだ。特に今井はつい最近までワンジルと同じ釜の飯を食っていた。彼らの今秋以降の活躍に期待しよう。

寺田辰朗氏によると、佐久長聖高校の駅伝部監督である両角速氏は、東海大時代に、「箱根史上初のケニア人留学生」ジョセフ・オツオリ氏(故人)に、ごぼう抜きされたランナーの一人だったという。両角氏の指導者としてのテーマが、その経験から
「ケニア人留学生に負けないランナーを育てる」
となったのではないかと、寺田氏は自身のHPに書いていた。(あくまでも氏の想像で、その点をご本人に確認してはいないという。)

彼の下でコーチとなった高見澤は、山梨学院大から日清食品で、ケニア人ランナーとともに競技を続けてきた。そこでの経験がどのような形で高校生の指導に生きてくるか。いつかは、ワンジルの背中を追いかけて、追いつくランナーがここから育ってくるのではないか。

そんな夢も見られるような結果となった。マラソン・ニッポン、そんなに悲観し落胆することもないかもしれない、と今は信じてみよう。今秋以降のロードレース・シーズンも楽しみになってきた。




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