毎年、12月になれば、かつての福岡国際マラソンがいかに素晴らしかったかを繰り返してきた。ボストン、コシチと並んで世界3大マラソンと称され、ミュンヘン五輪のマラソン金メダリスト、フランク・ショーターをして
「非公認の世界選手権。」
といわしめた、日本が世界に誇る伝統のマラソン大会。
衰退の原因の一つは、'80年代半ばから始まった、マラソン・ランナーの「プロ化」だろう。欧米のメジャー・マラソンが高額の出場料と賞金が動くビッグ・ビジネスとなっていき、かつては、ショーター、ビレン、チェルピンスキーら金メダリストが走ったフクオカに、カルロス・ロペスやジェリンド・ボルディンは遂にやって来なかった。
世界のトップ・ランナーたちがフクオカに集わなくなってくる中、'90年代に入り、テレビ中継がNHKから、主催の新聞社の系列局に移行した。CM収入でトップ・ランナーを集めようというつもりだったのだろう。確かにそれは功を奏した。強豪ランナーが再びフクオカに集い始めた。第50回記念大会は、玄海灘を越えてやってきたアジア最強の李鳳主が歴史に名前を刻んだ。そこでリタイアに終わったアトランタの金メダリスト、ジョサイア・チュグワネは翌年、金メダリストの走りを見せつけた。'99年、一般参加選手として出場して優勝したゲザハン・アベラは、翌年のシドニーで、母国の英雄アベベ・ビキラ以来の金メダルを獲得した。
フクオカは再び輝きを取り戻したか?
強豪外国人が再び、集うようになったものの、今度は悲しいことに、それを迎え撃つ日本人ランナーに役者が不足していた。'91年の森田修一以来、日本人ランナーは優勝から遠ざかった。'92、'93、'94、'96年には日本人はトップ3にも入れなかった。
20世紀最後のフクオカでヒーローが生まれた。藤田敦史が2時間6分51秒の当時の日本最高で優勝した。今なお、日本国内のレースで6分台を記録したのは彼のみである。21世紀入ってからのフクオカは金メダリストアベラの独壇場だったが、アテネ五輪前年の'03年、フクオカは燃えた。日本人3人が2時間7分台でゴール!
その時の優勝者、国近友昭と藤田敦史が今回のフクオカの目玉だった。日本歴代2位の記録を持ちながら、アテネ五輪の選考レースのスタートラインに立てなかった藤田と、アテネ惨敗の汚名返上を目指す、国近。彼らが迎えた世界の競合の中に、アテネのメダリストがいないのが寂しかったが、日本のマラソン・ファンにとっては「まだ見ぬ強豪」の一人だったアブデルカデル・エルムーアジスに、'03年の世界選手権銀メダリスト、フリオ・レイがやって来た。テレビ中継は例によって、2人の日本人エースのリベンジ(or復活)を煽るが、先の東京国際女子マラソン同様にもそんなに簡単には勝たせてもらえそうにないメンバーを揃えてきた。リベンジを目指すのは日本人エースだけではない。2個のメダルを持つ日本育ちのケニア人、エリック・ワイナイナもいた。
スタート時の天候は有れ模様だった。気温が下がり、風が吹きつける。氷雨も降り注ぐ。
荒れたレースの予感がした。
(つづく)
「非公認の世界選手権。」
といわしめた、日本が世界に誇る伝統のマラソン大会。
衰退の原因の一つは、'80年代半ばから始まった、マラソン・ランナーの「プロ化」だろう。欧米のメジャー・マラソンが高額の出場料と賞金が動くビッグ・ビジネスとなっていき、かつては、ショーター、ビレン、チェルピンスキーら金メダリストが走ったフクオカに、カルロス・ロペスやジェリンド・ボルディンは遂にやって来なかった。
世界のトップ・ランナーたちがフクオカに集わなくなってくる中、'90年代に入り、テレビ中継がNHKから、主催の新聞社の系列局に移行した。CM収入でトップ・ランナーを集めようというつもりだったのだろう。確かにそれは功を奏した。強豪ランナーが再びフクオカに集い始めた。第50回記念大会は、玄海灘を越えてやってきたアジア最強の李鳳主が歴史に名前を刻んだ。そこでリタイアに終わったアトランタの金メダリスト、ジョサイア・チュグワネは翌年、金メダリストの走りを見せつけた。'99年、一般参加選手として出場して優勝したゲザハン・アベラは、翌年のシドニーで、母国の英雄アベベ・ビキラ以来の金メダルを獲得した。
フクオカは再び輝きを取り戻したか?
強豪外国人が再び、集うようになったものの、今度は悲しいことに、それを迎え撃つ日本人ランナーに役者が不足していた。'91年の森田修一以来、日本人ランナーは優勝から遠ざかった。'92、'93、'94、'96年には日本人はトップ3にも入れなかった。
20世紀最後のフクオカでヒーローが生まれた。藤田敦史が2時間6分51秒の当時の日本最高で優勝した。今なお、日本国内のレースで6分台を記録したのは彼のみである。21世紀入ってからのフクオカは金メダリストアベラの独壇場だったが、アテネ五輪前年の'03年、フクオカは燃えた。日本人3人が2時間7分台でゴール!
その時の優勝者、国近友昭と藤田敦史が今回のフクオカの目玉だった。日本歴代2位の記録を持ちながら、アテネ五輪の選考レースのスタートラインに立てなかった藤田と、アテネ惨敗の汚名返上を目指す、国近。彼らが迎えた世界の競合の中に、アテネのメダリストがいないのが寂しかったが、日本のマラソン・ファンにとっては「まだ見ぬ強豪」の一人だったアブデルカデル・エルムーアジスに、'03年の世界選手権銀メダリスト、フリオ・レイがやって来た。テレビ中継は例によって、2人の日本人エースのリベンジ(or復活)を煽るが、先の東京国際女子マラソン同様にもそんなに簡単には勝たせてもらえそうにないメンバーを揃えてきた。リベンジを目指すのは日本人エースだけではない。2個のメダルを持つ日本育ちのケニア人、エリック・ワイナイナもいた。
スタート時の天候は有れ模様だった。気温が下がり、風が吹きつける。氷雨も降り注ぐ。
荒れたレースの予感がした。
(つづく)
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