氷雨が降りしきるフクオカと言えば、'87年の中山竹通さんの独走を思い出す人も多いだろう。ペースメイカーがルールの上でも公認された今、あのようなレースは国際マラソンではもはや見られないのかもしれない。
氷雨のみならず、スタート直後のランナーたちを激しい向かい風が襲った。今夏の世界選手権5位のラマダーニをも含むペースメイカーも感覚がマヒしたのか、5kmの入りが15分47秒とかなり遅すぎた。2時間12分台のペースだ。それが10km過ぎて風は追い風となり、ペースは大きく上がる。なんと、15kmからの5kmは14分37秒にまで上がった。
こんなに激しくペースを上げられては招待選手もひとたまりもない。エリック、ジェームスの“ダブル・ワイナイナ”、高橋尚子のコーチ、藤井博之、エルムーアジスらが次々と離れていく。中間点を越えた時点で日本人ランナーは藤田敦史一人になっていた。
今回、日本人選手があまりにも層が薄かった。日本人招待選手で、サブテン・ランナーは藤田と国近、そして野田道胤の3人のみ。
藤田が海外選手と勝負できるまでに体調を回復させていて、本当に良かったと思う。もし、ペースが5km通過タイムのままで推移していたら、もっと集団に日本人選手は残っていただろうが、それではとても、フクオカとは言えないレースになっていただろう。
ラマダーニというランナーは、昨年も別大毎日でもペースメイカーを務めるものの、40km過ぎまで先頭を走り続け、せっかくの日本人ランナー(武田宏旦)の優勝に水を差してしまった前科がある。今回も25kmでやめるのかと思ったら、31km過ぎの香椎の折り返しまで引っ張った。これは正直、やり過ぎかなと思った。もし、もう少し早くペースメイカーが退いていたら、レースの流れも多少変わっていただろうか?
32km過ぎて飛び出したのは、ウクライナのドミトロ・バラノフスキー。フクオカのもう一つのスタートラインは香椎にあったのだ。前半はやたらと挿入されてイライラさせられた、宝くじのCMがここから全く入らなくなる。NHKからテレビ朝日が中継するようになったフクオカだが、他の民放で中継されるマラソンと違って、30km以降にCMを入れない点だけは評価できると思う。
33km過ぎて、集団から離れた藤田。しかし、ここからの粘りに非凡な所を見せた。35km過ぎて3位のフリオ・レイに追いつき、前に出る。さらに失速した2位のビルハヌを捕らえる。しかし、先頭のバラノフスキーは軽やかに走り続ける。39km過ぎてレイがスパート!
しかし、藤田が再び追いつく!!
この瞬間がたまらなかった。2時間を越えるマラソンという競技を退屈と斬り捨てる人もいる。しかし、その中にいくつかの、「輝くような瞬間」が現われるのだ。今回のフクオカ、藤田はバラノフスキーを捕らえられず、競技場入り口近くでレイの再スパートに屈した。しかし、この瞬間を見られただけで僕は満足した。
「ビューティフル・ルーザー」という呼称は、呼ばれる側にしてみれば、嬉しくもなんともないだろうが。
バラノフスキーは自己ベストを大幅に更新する2時間8分29秒でゴール。ウクライナのナショナル・レコードも更新した。伏兵の優勝、というのもまた、フクオカらしい光景だった。
「風が無ければ、7分台で走れた。」
とコメントしたが、実際風が無ければ、ビウォットやエルムーアジスがもっと本領を発揮していたかも、と思ったが。ともあれ、フクオカがまた、新たなヒーローを生み出した。
「優勝してこそ、完全復活」
なのだろうが、藤田が今の日本のマラソン・ランナーの中では「モノが違う」ランナーであることは見せることができた。
日本人の強豪の参加が少ないことに寂しさを覚えたが、「フクオカ」らしさは見られた。
昨年より、新たに「Bグループ」という部門が加わり、2時間50分以内でゴールするランナーも参加できるようになった。Bグループのランナーの中には、若い頃に実業団ランナーとして、フクオカを走った実績のあるランナーも少なくない。テレビ中継においても、もう少し彼らの事を紹介しても良かったと思う。彼らがいまだにフクオカを目指す理由は、もう、繰り返すまでもないだろう。
来年は60回を迎えるフクオカ。過去の遺産に頼る事なく、新たな財産を築き上げて欲しい。いつまでも、国内外のランナーたちにとって、魅力的な大会であり続けて欲しい。
氷雨のみならず、スタート直後のランナーたちを激しい向かい風が襲った。今夏の世界選手権5位のラマダーニをも含むペースメイカーも感覚がマヒしたのか、5kmの入りが15分47秒とかなり遅すぎた。2時間12分台のペースだ。それが10km過ぎて風は追い風となり、ペースは大きく上がる。なんと、15kmからの5kmは14分37秒にまで上がった。
こんなに激しくペースを上げられては招待選手もひとたまりもない。エリック、ジェームスの“ダブル・ワイナイナ”、高橋尚子のコーチ、藤井博之、エルムーアジスらが次々と離れていく。中間点を越えた時点で日本人ランナーは藤田敦史一人になっていた。
今回、日本人選手があまりにも層が薄かった。日本人招待選手で、サブテン・ランナーは藤田と国近、そして野田道胤の3人のみ。
藤田が海外選手と勝負できるまでに体調を回復させていて、本当に良かったと思う。もし、ペースが5km通過タイムのままで推移していたら、もっと集団に日本人選手は残っていただろうが、それではとても、フクオカとは言えないレースになっていただろう。
ラマダーニというランナーは、昨年も別大毎日でもペースメイカーを務めるものの、40km過ぎまで先頭を走り続け、せっかくの日本人ランナー(武田宏旦)の優勝に水を差してしまった前科がある。今回も25kmでやめるのかと思ったら、31km過ぎの香椎の折り返しまで引っ張った。これは正直、やり過ぎかなと思った。もし、もう少し早くペースメイカーが退いていたら、レースの流れも多少変わっていただろうか?
32km過ぎて飛び出したのは、ウクライナのドミトロ・バラノフスキー。フクオカのもう一つのスタートラインは香椎にあったのだ。前半はやたらと挿入されてイライラさせられた、宝くじのCMがここから全く入らなくなる。NHKからテレビ朝日が中継するようになったフクオカだが、他の民放で中継されるマラソンと違って、30km以降にCMを入れない点だけは評価できると思う。
33km過ぎて、集団から離れた藤田。しかし、ここからの粘りに非凡な所を見せた。35km過ぎて3位のフリオ・レイに追いつき、前に出る。さらに失速した2位のビルハヌを捕らえる。しかし、先頭のバラノフスキーは軽やかに走り続ける。39km過ぎてレイがスパート!
しかし、藤田が再び追いつく!!
この瞬間がたまらなかった。2時間を越えるマラソンという競技を退屈と斬り捨てる人もいる。しかし、その中にいくつかの、「輝くような瞬間」が現われるのだ。今回のフクオカ、藤田はバラノフスキーを捕らえられず、競技場入り口近くでレイの再スパートに屈した。しかし、この瞬間を見られただけで僕は満足した。
「ビューティフル・ルーザー」という呼称は、呼ばれる側にしてみれば、嬉しくもなんともないだろうが。
バラノフスキーは自己ベストを大幅に更新する2時間8分29秒でゴール。ウクライナのナショナル・レコードも更新した。伏兵の優勝、というのもまた、フクオカらしい光景だった。
「風が無ければ、7分台で走れた。」
とコメントしたが、実際風が無ければ、ビウォットやエルムーアジスがもっと本領を発揮していたかも、と思ったが。ともあれ、フクオカがまた、新たなヒーローを生み出した。
「優勝してこそ、完全復活」
なのだろうが、藤田が今の日本のマラソン・ランナーの中では「モノが違う」ランナーであることは見せることができた。
日本人の強豪の参加が少ないことに寂しさを覚えたが、「フクオカ」らしさは見られた。
昨年より、新たに「Bグループ」という部門が加わり、2時間50分以内でゴールするランナーも参加できるようになった。Bグループのランナーの中には、若い頃に実業団ランナーとして、フクオカを走った実績のあるランナーも少なくない。テレビ中継においても、もう少し彼らの事を紹介しても良かったと思う。彼らがいまだにフクオカを目指す理由は、もう、繰り返すまでもないだろう。
来年は60回を迎えるフクオカ。過去の遺産に頼る事なく、新たな財産を築き上げて欲しい。いつまでも、国内外のランナーたちにとって、魅力的な大会であり続けて欲しい。
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