KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

ボストン・マラソン展望vol.1~女子篇「レイコ・イズ・ナンバーワン」

2006年04月15日 | マラソン時評
土佐礼子がアテネ五輪5位入賞以来、1年8ヶ月ぶりにマラソン・ロードに戻ってくる!!!!

こんなうれしいことはございません。

彼女が選んだレースは、国内マラソンでもなく、ペースメイカーにゴールまで引っ張られるタイム・トライアルでもなく、今年で110回目を数える世界最古のマラソン、ボストン・マラソンだった。

トリノ五輪にWBC、ワールドカップをしのぐ、今年最高のスポーツ・イベントだ!!(去年まで、顔と名前が一致しなかったひとを、金メダルを獲ったからと急に持て囃すような恥かしい事はしたくありません。)

アテネ以後、駅伝で好結果を残し、10000mでも自己ベストを更新(32分7秒66)したのだが、去年の6月の日本選手権を前に故障。マラソン復帰が遅れてしまった。

当初は4年前に自己ベスト(2時間22分46秒)を出したロンドンを予定していたというが、ボストンに変更された。その経緯は不明だが。目指しているのは記録ではなく、優勝、ということだろう。(今となっては、ロンドンの本命のポーラ・ラドクリフの欠場は皮肉なことだが。)

実は僕の気持ちとしては、彼女にはボストンを走ってもらいたいと思っていた。彼女は、記録が出るかどうかが唯一の見所であるレースよりは、たくさんのライバルたちと競り合う、「マラソンらしいマラソン」がふさわしいと思っていたからである。

これまで彼女が走ってきたマラソン、学生時代に走った愛媛マラソンを除けば、全て、「格上」のランナーへのチャレンジだった。彼女に「史上最強のナンバー2」というニックネームをつけたのは、女子マラソンに関する著書を持つスポーツ・ライターの増島みどり氏だが、シドニー五輪の3人のメダリストと全て直接対決して2位になっているのがその名の所以である。

4年前のロンドンも、初マラソンの世界最高ほマークしたラドクリフとの直接対決を避け、自己の記録更新に徹した走りに切り替えたのが功を奏したレースだった。もし、2年前の名古屋での逆転勝利がなければ、彼女は「善戦マン(ウーマン?)」のままだっただろう。(当時の田中めぐみも、シドニー五輪代表であり、駅伝やトラックでの実績において彼女よりも「格上」だったと僕は見なしていた。)

今回のボストン、女子の出場ランナーで彼女の持ちタイムが一番であり、「F1」のナンバー・カードで走ることとなっている。(FはfemaleのFだろう。)日本人ランナーが海外のメジャー・レースでナンバー1をつけて走るのは、'94年ロッテルダムの谷口浩美さん以来ではあるまいか?

アテネ五輪マラソン4位のエルフィネシュ・アレム、バルセロナ五輪10000m金メダルのデラルツ・ツルのエチオピア勢が揃って欠場を発表した。アレムとの直接対決を期待したが、これで今回、彼女が「ナンバー1」という立場で走ることとなった。しかし、他の出場選手も強豪揃いだ。'04年東京の優勝者であるブルーナ・ジェノベーゼ(イタリア)、去年の大阪で優勝のエレナ・プロコプトゥカ(ラトビア)、去年の東京で2位のジビレ・パルシュナイテ(リトアニア)と日本のマラソンで実績を持つ欧州勢が揃った。ケニアからは、昨年の世界選手権7位のリタ・ジェプトゥーが参戦するが、第100回のウタ・ピッピヒ(ドイツ)以来10年ぶりのアフリカ人以外の優勝の可能性が高いと地元メディアは見ているようである。

それが土佐となればめでたしめでたしあっぱれあっぱれだが、「初の日本人女王」誕生の可能性も高い。土佐と共に日本から出場するのは、アジア大会マラソン代表に内定した嶋原清子(資生堂)に、2月の青梅30kmで2位に入賞して派遣されることとなった堀江知佳(アルゼAC)。堀江は先月も名古屋を走って2時間28分1秒で3位に入賞したばかり。この走りが「練習の一環」だったというのであれば、土佐サイドから見れば不気味な存在だ。

今週初めに土佐らがボストン入りした時点では「寒かった」という気候も、記者会見が行われた昨日には20℃以上に上がっていたという。2時間24分前後の争いとなれば混戦が予想それる。堀江も千葉真子、高橋尚子が去った後の「小出ファミリー」の中で存在感を示したいところだろう。日本人トリオのワン、ツー、スリー・フィニッシュだってありえなくもない、とトリノ五輪直前の某誌のように大風呂敷を広げたくなってしまう。

もし、そうなったとしたら、今回のレースをテレビ中継しようとしなかった放送局も、取材記者を派遣しなかった新聞社も後悔することだろう。させてくれ!

勝ち負けはともかくとして、8年前、大学3年生だった時に愛媛マラソンに出場した際、事前のインタビュー取材に応えて、
「大学を卒業してからも、マラソンを走りたいです。」
と語っていた彼女が、アテネと並ぶマラソンの「聖地」ともいうべきボストンを走るというのが、なんとも感慨深い。長きに渡って、世界中のランナーの憧れだったコースを走れることの喜びをかみしめながら、楽しんで走ってもらえたら、記録や順位は後からついてくる。松山から応援に駈け付ける最愛のひとと、ゴール後に笑顔で抱き合えるような、レースができることを祈っている。



コメントを投稿