話しかけてきたのは、先ほどすれ違った元・実業団ランナー、Mさんだった。
「いやあ、久しぶりですね。」
Mさんとは、メールをやりとりしたり、ブログに書きこみをしたりとかはしていたがお会いするのは去年の愛媛マラソン以来である。実は今回、機会があれば東京からいらしたお二人にMさんを紹介できればいいなと密かに思っていた。
「Hさん、こちらがダンナ・トサレイさん。」
Hさんも驚いたようだ。そう、Mさんとは、今やすっかり有名人になってしまった、土佐礼子が学生時代から交際していた、陸上部の先輩である、現在の彼女の夫である。
HさんとMさんが言葉を交わしている間にSさんも戻ってきた。2時間オーバーのゴールだったようだ。ハーフマラソン出場は久しぶりで万全の体調でもなかったようである。SさんにもMさんを紹介すると、やはり驚いていた。
行きの車の中で盛上がっていた話題があった。その疑問をこの機会にとたずねてみた?
「Mさん、“れい子大好き”のランシャツを着てレースに出ないんですか?」
答えは、やはり、
「そんなことしたら、レイコが怒りますよ(笑)」
だった。愚問だったかもしれない。
インタビュー等の話ぶりから、彼女の怒った様子はなかなか想像できないが、結婚前に一度だけ彼女が激怒し、大喧嘩になったことがあったそうである。2年前の名古屋国際女子マラソンの直前、彼女の足の故障を心配したMさんが、
名古屋への欠場を勧めた時だという。
レースの結果をMさんから聞いた。男子の優勝は松宮隆行。そして女子は福士加代子。なんと、1時間7分台だったという!Mさんと別れた後、Hさんたちが感心していたというか、意外に思ったことを口にした。
「Mさんはずいぶん寛大な方ですね。“ダンナ・トサレイ”なんて呼ばれても怒らないんですね。」
いやいや、実は僕も内心、少し失礼かなと思っていた(苦笑)のだが、2週間後の愛媛マラソンの中継の中でも、
「土佐の夫、と呼ばれることも気にせず、そう呼ばれることを喜んでいる。」
と紹介されていた。そんな彼へのお二人の印象は、
「あんな方に支えられているのなら、トサレイさんも大丈夫ですね。」
というものだった。
土佐が名古屋で優勝した一週間前に、Mさんは実業団ランナーのラスト・ランとしてびわ湖に出場して完走を果たしているが、アテネの1ヶ月前にも、皆生のトライアスロンに出場して、完走している。アテネを目指す彼女を想いながら泳ぎ、ペダルをこぎ、走り続けたのだろう。
彼女の五輪後初のマラソン出場となるボストンでも、現地に同行して応援する予定だという。
ランナーへのサービスとして、割安で出される讃岐うどんを食べたが、うどんは美味かったがてんぷらがまずかった。一度、帰りかけたが、場内アナウンスで女子の表彰式が始まることを知り、あわてて引き返す。表彰台に立った、福士や野口、弘山らの姿を見ることができた。野口も自己ベストを更新していた。
帰りの車の中でラジオをつける。別大マラソンがまさに佳境に入っている頃だった。トップはゲルト・タイス。すでに独走状態で300m遅れて佐藤智之。期待の高かった西田隆維は既に脱落している。結局タイスはそのまま優勝。2位の佐藤もサブテンには届かず。あまりぱっとしたレースじゃなかったかもしれない。やっぱり、丸亀の方を全国中継した方がマラソン・ファンには喜ばれたのじゃないか?
マラソンが終わり、Hさんも愛聴してらっしゃるというTOKYO-FMの山下達郎の番組に変えて、帰り道を走らせる。四国最高峰の石鎚山が雪を被っていたのが見えた。登山もなさるというSさんにとっては、特に印象的な景観だったようだ。
行きとは道を変える。しまなみ街道へと続く今治-小松道に進み、今治市内へと向かい、知る人ぞ知る、山間部にある鈍川温泉へと向かった。露天風呂もある温泉。入浴だけなら400円!という安さも魅力だ。もちろん、お二人も知らなかったという。まさに「秘湯」だったかもしれない。「美人の湯」として知られているが、男3人、「イケメン」になれただろうか?
疲れも取り、山を越えて、土佐の故郷でもある北条へ。(僕は現住所は北条だが、生まれて育ったのは松山市内である。)彼女もかつてはジョグをしていたバイパスを通る。瀬戸内海に夕陽が沈みかけていた。土佐礼子というランナーが、どんな環境で育まれたか、お二人もお分かりになられたようである。
ホテルまでお二人を送り、打ち上げとして松山でも有名な鳥料理の店へ。名物である「伊予ポジョ」でビールを乾杯。ポジョとはN女子大のことではなく、スペイン語で「かしわ」という意味だという。伊予の地鶏のかしわ、美味かった!!!連続フルイニング出場の世界記録を今後更新していく鉄人アニキも、松山で試合があった時は必ず訪れるという。
(詳細は「伊予ポジョ」で検索してみてください。)
レースに出る時はいつも「おひとりさま」だった。その事自体がつらいとか寂しいとか思っていたわけではないが、やはり一人じゃないって素敵なことね。久しぶりに楽しいレース出場だったし、打ち上げのビールも美味かった。お二人にとっても、いい思い出になったようで何よりだった。再会を約束して、別れた。
また来年も丸亀に、と思ったが、あれから2ヶ月経った今、状況が少し変わった。例の東京で行われる大規模なマラソンが、ちょうど来年の2月の第3日曜に行われると発表され、それに伴い、青梅マラソンが丸亀と同じ2月の第1日曜への移行が決まった。それなら来年は初めて青梅に出てみようかと思っていたら、愛媛マラソンも来年は同じ日に開催するという。
来シーズンから、ハーフマラソンの公認記録を取ろうと思ったら、四国から出ないといけないし、青梅に出たいという夢も壊れてしまった。東京マラソン開催の影響がこんな形で現われようとは。
もしかしたら、今回が最後の丸亀出場になってしまうかもしれない。
(了)
「いやあ、久しぶりですね。」
Mさんとは、メールをやりとりしたり、ブログに書きこみをしたりとかはしていたがお会いするのは去年の愛媛マラソン以来である。実は今回、機会があれば東京からいらしたお二人にMさんを紹介できればいいなと密かに思っていた。
「Hさん、こちらがダンナ・トサレイさん。」
Hさんも驚いたようだ。そう、Mさんとは、今やすっかり有名人になってしまった、土佐礼子が学生時代から交際していた、陸上部の先輩である、現在の彼女の夫である。
HさんとMさんが言葉を交わしている間にSさんも戻ってきた。2時間オーバーのゴールだったようだ。ハーフマラソン出場は久しぶりで万全の体調でもなかったようである。SさんにもMさんを紹介すると、やはり驚いていた。
行きの車の中で盛上がっていた話題があった。その疑問をこの機会にとたずねてみた?
「Mさん、“れい子大好き”のランシャツを着てレースに出ないんですか?」
答えは、やはり、
「そんなことしたら、レイコが怒りますよ(笑)」
だった。愚問だったかもしれない。
インタビュー等の話ぶりから、彼女の怒った様子はなかなか想像できないが、結婚前に一度だけ彼女が激怒し、大喧嘩になったことがあったそうである。2年前の名古屋国際女子マラソンの直前、彼女の足の故障を心配したMさんが、
名古屋への欠場を勧めた時だという。
レースの結果をMさんから聞いた。男子の優勝は松宮隆行。そして女子は福士加代子。なんと、1時間7分台だったという!Mさんと別れた後、Hさんたちが感心していたというか、意外に思ったことを口にした。
「Mさんはずいぶん寛大な方ですね。“ダンナ・トサレイ”なんて呼ばれても怒らないんですね。」
いやいや、実は僕も内心、少し失礼かなと思っていた(苦笑)のだが、2週間後の愛媛マラソンの中継の中でも、
「土佐の夫、と呼ばれることも気にせず、そう呼ばれることを喜んでいる。」
と紹介されていた。そんな彼へのお二人の印象は、
「あんな方に支えられているのなら、トサレイさんも大丈夫ですね。」
というものだった。
土佐が名古屋で優勝した一週間前に、Mさんは実業団ランナーのラスト・ランとしてびわ湖に出場して完走を果たしているが、アテネの1ヶ月前にも、皆生のトライアスロンに出場して、完走している。アテネを目指す彼女を想いながら泳ぎ、ペダルをこぎ、走り続けたのだろう。
彼女の五輪後初のマラソン出場となるボストンでも、現地に同行して応援する予定だという。
ランナーへのサービスとして、割安で出される讃岐うどんを食べたが、うどんは美味かったがてんぷらがまずかった。一度、帰りかけたが、場内アナウンスで女子の表彰式が始まることを知り、あわてて引き返す。表彰台に立った、福士や野口、弘山らの姿を見ることができた。野口も自己ベストを更新していた。
帰りの車の中でラジオをつける。別大マラソンがまさに佳境に入っている頃だった。トップはゲルト・タイス。すでに独走状態で300m遅れて佐藤智之。期待の高かった西田隆維は既に脱落している。結局タイスはそのまま優勝。2位の佐藤もサブテンには届かず。あまりぱっとしたレースじゃなかったかもしれない。やっぱり、丸亀の方を全国中継した方がマラソン・ファンには喜ばれたのじゃないか?
マラソンが終わり、Hさんも愛聴してらっしゃるというTOKYO-FMの山下達郎の番組に変えて、帰り道を走らせる。四国最高峰の石鎚山が雪を被っていたのが見えた。登山もなさるというSさんにとっては、特に印象的な景観だったようだ。
行きとは道を変える。しまなみ街道へと続く今治-小松道に進み、今治市内へと向かい、知る人ぞ知る、山間部にある鈍川温泉へと向かった。露天風呂もある温泉。入浴だけなら400円!という安さも魅力だ。もちろん、お二人も知らなかったという。まさに「秘湯」だったかもしれない。「美人の湯」として知られているが、男3人、「イケメン」になれただろうか?
疲れも取り、山を越えて、土佐の故郷でもある北条へ。(僕は現住所は北条だが、生まれて育ったのは松山市内である。)彼女もかつてはジョグをしていたバイパスを通る。瀬戸内海に夕陽が沈みかけていた。土佐礼子というランナーが、どんな環境で育まれたか、お二人もお分かりになられたようである。
ホテルまでお二人を送り、打ち上げとして松山でも有名な鳥料理の店へ。名物である「伊予ポジョ」でビールを乾杯。ポジョとはN女子大のことではなく、スペイン語で「かしわ」という意味だという。伊予の地鶏のかしわ、美味かった!!!連続フルイニング出場の世界記録を今後更新していく鉄人アニキも、松山で試合があった時は必ず訪れるという。
(詳細は「伊予ポジョ」で検索してみてください。)
レースに出る時はいつも「おひとりさま」だった。その事自体がつらいとか寂しいとか思っていたわけではないが、やはり一人じゃないって素敵なことね。久しぶりに楽しいレース出場だったし、打ち上げのビールも美味かった。お二人にとっても、いい思い出になったようで何よりだった。再会を約束して、別れた。
また来年も丸亀に、と思ったが、あれから2ヶ月経った今、状況が少し変わった。例の東京で行われる大規模なマラソンが、ちょうど来年の2月の第3日曜に行われると発表され、それに伴い、青梅マラソンが丸亀と同じ2月の第1日曜への移行が決まった。それなら来年は初めて青梅に出てみようかと思っていたら、愛媛マラソンも来年は同じ日に開催するという。
来シーズンから、ハーフマラソンの公認記録を取ろうと思ったら、四国から出ないといけないし、青梅に出たいという夢も壊れてしまった。東京マラソン開催の影響がこんな形で現われようとは。
もしかしたら、今回が最後の丸亀出場になってしまうかもしれない。
(了)
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