vol.1をアップしてから、かなり時間が経ってしまった。なかなか明るい話題が見つからない日本の男子マラソン(「長距離」全体に広げてもいいかもしれない)界だが、当初、本稿を書くにあたって、1つのタイトルを用意していた。
「2.どうした、中国電力」
ニューイヤー駅伝が100kmに変更した2001年以降6大会連続して1回の優勝含んで全てトップ3に入っている「駅伝の強豪」にして、同時期の世界選手権と五輪の男子マラソン全てに代表を送り出し、全てに入賞、特に昨年の世界選手権ヘルシンキ大会では、4大会ぶりに銅メダルを持ちかえった「マラソン王国」である中国電力が今年上半期は、勢いが止まってしまった感がある。
国際大会3大会連続5位の油谷繁、銅メダリストの尾方剛、“ワセダのエース”佐藤敦之の「団体優勝トリオ」が今期いずれも失速してしまった。佐藤はびわ湖でリタイア。アテネ五輪以来のマラソン出場となった油谷はロンドンで14位、尾方は26位と沈んだ。ロンドンのレースの映像をまだ見ていないのだが、失望してしまったのは確かである。
それに先立つロッテルダムでは梅木蔵雄が11位。今の「日本最強集団」であろうとも、ロンドンやロッテルダムのような優勝タイムが2時間6分台の「高速ステージ」では通用しない、という現実をあらためて見せつけられてしまった。
結局は、ここでも「新人の台頭が見られない」ことが問題となる。尾方に油谷を脅かす若手が育っていない。別大毎日で自己ベストを更新した沖野剛久は'77年生まれ。実は佐藤敦之よりも1つ年上である。
当然ながら指導者である坂口泰監督は、こうした現状を憂いている。「月刊陸上競技」6月号で、はっきりと「箱根駅伝の功罪」を語っていた。
「わずか4年間の短い期間に、目先の結果を追求するために没頭、すべてを打ち込んで燃焼させてしまうケースが多い。卒業した途端、新たな目標を見つけられないで走る目標、情熱を見失うのが多いと思います。」
「ロンドンや五輪マラソンと比較すると、箱根駅伝はとてもレベルの低いローカル競技会にすぎないのです。それが当事者、関係者など、箱根を超えて世界を見据えるビジョンがなく、まったく勘違いを起こす狭い環境の中で行われています。」
「僕の大きな仕事は彼ら(箱根を経験して、入社する選手)に自立したプロ意識を植え付けるための“洗脳”です。」
坂口氏自身が早稲田大学競走部の一員として、4年連続して箱根に出場、2年と3年の時には復路のエース区間の9区で区間賞獲得、4年の時には「花の2区」で首位に立ち、ワセダの30年ぶりの箱根優勝に貢献した、「箱根の星」だったのだ。そのような経歴を持つ氏の言葉だけに、「重み」を感じる。
谷口浩美さんが旭化成に入社した当初、同い年の高卒のランナーに
「全然相手にしてもらえなかった」
のだという。
「やはりやること、成すことが大学とは全然違った。まず、練習の量と質が違う。」
箱根には3回出場し、いずれも山下りの6区で区間賞を獲得した谷口さんにして、そういう「挫折」から実業団としての競技生活を始めているのだ。思えば、旭化成というチームの「箱根出身者」は、バルセロナ五輪10000m代表となった大崎栄さんにしても、シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次さんにしても、30歳過ぎてマラソンの自己ベストを更新した「遅咲き」のランナーだ。4年前に入社直前の熊日30kmで、学生最高記録をマークした清水将也も今年ようやくびわ湖で入賞を果たした。
そして、前回も話したが、同じ年の箱根駅伝優勝チームの主力選手たちが揃って指導者に転身を表明したが、彼らは自らの競技よりも、より若い選手とともに、「箱根」を目指す方に、新たな情熱を見出した、ということなのだろう。
そのことを第三者がとやかく言うべきではないかもしれない。しかし、いずれは「若き指導者」が飽和状態になりはせぬかと余計な心配もしてしまう。
坂口監督言うところの「勘違い」は、昨年の箱根のテレビ中継でも見受けられた。ゲストは、東海大学時代に2区を走っている、アテネ五輪マラソン6位入賞の諏訪利成だったが、5区の山登りで驚異的な走りを見せたランナーについて、中継アナ(あの、五輪のサッカー中継での“ゴ~ル”連発で顰蹙を買った人)が、諏訪に
「いやあ。諏訪さん、(マラソンの)ライバルの出現ですね。」
と話を振った。何のこっちゃい!そのランナー、今井正人の走りは確かに僕も素晴らしいと思った。将来が楽しみな逸材だとは思う。しかし、「五輪のマラソンの入賞者」も随分となめられたものだと思った。先のトリノ五輪でもそうだったが、本来なら日本がトップ10に入る事自体が大変な快挙である、アルペン種目でさえも「メダルに届かず」などと呼ばれるくらい、「入賞」という結果が軽く見られている。
ソウル五輪のマラソンで金メダルを期待さけながら4位に終わった中山竹通さんの、
「1位でなければ、ビリも同じ。」
という発言に対し、当時の陸連幹部は
「暴言だ。あのような者に、五輪入賞者の陸連表彰をすべきではない。」
と発言し、スポーツ議員連盟からも、
「五輪選手の人間教育を徹底すべきだ。」
などという声があがったという。
シドニー五輪で、女子マラソンが金メダルを獲得して以来、確かに何かが変わった。少なくとも、アテネ五輪の男子マラソン、3大会ぶりの入賞は、妨害男騒動にかき消されたばかりか、
「また5位かよ」
という本人の自嘲気味のコメントとともに「快挙」に成り損ねた。中山さんは、もしかしたら、「勝ち組」と「負け組」が二極分化され、敗者は省みられない現在の風潮を予見していたのだろうか?
話がテーマから大きく逸れてしまった。要するに、今や日本の男子マラソンには明るい要素が少ないということだ。「壁」を破れるランナーは今、どこにいるのだろう?
(つづく)
「2.どうした、中国電力」
ニューイヤー駅伝が100kmに変更した2001年以降6大会連続して1回の優勝含んで全てトップ3に入っている「駅伝の強豪」にして、同時期の世界選手権と五輪の男子マラソン全てに代表を送り出し、全てに入賞、特に昨年の世界選手権ヘルシンキ大会では、4大会ぶりに銅メダルを持ちかえった「マラソン王国」である中国電力が今年上半期は、勢いが止まってしまった感がある。
国際大会3大会連続5位の油谷繁、銅メダリストの尾方剛、“ワセダのエース”佐藤敦之の「団体優勝トリオ」が今期いずれも失速してしまった。佐藤はびわ湖でリタイア。アテネ五輪以来のマラソン出場となった油谷はロンドンで14位、尾方は26位と沈んだ。ロンドンのレースの映像をまだ見ていないのだが、失望してしまったのは確かである。
それに先立つロッテルダムでは梅木蔵雄が11位。今の「日本最強集団」であろうとも、ロンドンやロッテルダムのような優勝タイムが2時間6分台の「高速ステージ」では通用しない、という現実をあらためて見せつけられてしまった。
結局は、ここでも「新人の台頭が見られない」ことが問題となる。尾方に油谷を脅かす若手が育っていない。別大毎日で自己ベストを更新した沖野剛久は'77年生まれ。実は佐藤敦之よりも1つ年上である。
当然ながら指導者である坂口泰監督は、こうした現状を憂いている。「月刊陸上競技」6月号で、はっきりと「箱根駅伝の功罪」を語っていた。
「わずか4年間の短い期間に、目先の結果を追求するために没頭、すべてを打ち込んで燃焼させてしまうケースが多い。卒業した途端、新たな目標を見つけられないで走る目標、情熱を見失うのが多いと思います。」
「ロンドンや五輪マラソンと比較すると、箱根駅伝はとてもレベルの低いローカル競技会にすぎないのです。それが当事者、関係者など、箱根を超えて世界を見据えるビジョンがなく、まったく勘違いを起こす狭い環境の中で行われています。」
「僕の大きな仕事は彼ら(箱根を経験して、入社する選手)に自立したプロ意識を植え付けるための“洗脳”です。」
坂口氏自身が早稲田大学競走部の一員として、4年連続して箱根に出場、2年と3年の時には復路のエース区間の9区で区間賞獲得、4年の時には「花の2区」で首位に立ち、ワセダの30年ぶりの箱根優勝に貢献した、「箱根の星」だったのだ。そのような経歴を持つ氏の言葉だけに、「重み」を感じる。
谷口浩美さんが旭化成に入社した当初、同い年の高卒のランナーに
「全然相手にしてもらえなかった」
のだという。
「やはりやること、成すことが大学とは全然違った。まず、練習の量と質が違う。」
箱根には3回出場し、いずれも山下りの6区で区間賞を獲得した谷口さんにして、そういう「挫折」から実業団としての競技生活を始めているのだ。思えば、旭化成というチームの「箱根出身者」は、バルセロナ五輪10000m代表となった大崎栄さんにしても、シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次さんにしても、30歳過ぎてマラソンの自己ベストを更新した「遅咲き」のランナーだ。4年前に入社直前の熊日30kmで、学生最高記録をマークした清水将也も今年ようやくびわ湖で入賞を果たした。
そして、前回も話したが、同じ年の箱根駅伝優勝チームの主力選手たちが揃って指導者に転身を表明したが、彼らは自らの競技よりも、より若い選手とともに、「箱根」を目指す方に、新たな情熱を見出した、ということなのだろう。
そのことを第三者がとやかく言うべきではないかもしれない。しかし、いずれは「若き指導者」が飽和状態になりはせぬかと余計な心配もしてしまう。
坂口監督言うところの「勘違い」は、昨年の箱根のテレビ中継でも見受けられた。ゲストは、東海大学時代に2区を走っている、アテネ五輪マラソン6位入賞の諏訪利成だったが、5区の山登りで驚異的な走りを見せたランナーについて、中継アナ(あの、五輪のサッカー中継での“ゴ~ル”連発で顰蹙を買った人)が、諏訪に
「いやあ。諏訪さん、(マラソンの)ライバルの出現ですね。」
と話を振った。何のこっちゃい!そのランナー、今井正人の走りは確かに僕も素晴らしいと思った。将来が楽しみな逸材だとは思う。しかし、「五輪のマラソンの入賞者」も随分となめられたものだと思った。先のトリノ五輪でもそうだったが、本来なら日本がトップ10に入る事自体が大変な快挙である、アルペン種目でさえも「メダルに届かず」などと呼ばれるくらい、「入賞」という結果が軽く見られている。
ソウル五輪のマラソンで金メダルを期待さけながら4位に終わった中山竹通さんの、
「1位でなければ、ビリも同じ。」
という発言に対し、当時の陸連幹部は
「暴言だ。あのような者に、五輪入賞者の陸連表彰をすべきではない。」
と発言し、スポーツ議員連盟からも、
「五輪選手の人間教育を徹底すべきだ。」
などという声があがったという。
シドニー五輪で、女子マラソンが金メダルを獲得して以来、確かに何かが変わった。少なくとも、アテネ五輪の男子マラソン、3大会ぶりの入賞は、妨害男騒動にかき消されたばかりか、
「また5位かよ」
という本人の自嘲気味のコメントとともに「快挙」に成り損ねた。中山さんは、もしかしたら、「勝ち組」と「負け組」が二極分化され、敗者は省みられない現在の風潮を予見していたのだろうか?
話がテーマから大きく逸れてしまった。要するに、今や日本の男子マラソンには明るい要素が少ないということだ。「壁」を破れるランナーは今、どこにいるのだろう?
(つづく)
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