KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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クーベルタンは生きている vol.1

2007年04月29日 | マラソン事件簿
ジム・ソープというアスリートをご存知だろうか?

後に「日本マラソンの父」と称された金栗四三さんらが初めて日本代表として出場した1912年のストックホルム五輪にアメリカ代表として出場したソープは陸上の十種競技と五種競技(走り幅跳び、円盤投げ、やり投げ、200m、1500m)で金メダルを獲得、走り高跳びで5位、走り幅跳びで7位という堂々たる成績を残した。当時のスウェーデン国王グスタフ5世はソープにメダルを手渡し、
「もっとも偉大な競技者」
と彼を称賛した。

半年後、マサチューセッツ州のローカル紙がソープの過去を暴いた。彼が五輪に出場する前に、ブロ野球チームと契約し、試合に出場していたというのである。

今に比べると、もっと大らかな時代だったはずだ。ソープ自身が、自らのチームがプロだったとは知らなかったと言われているし、
「ソープさん、人数が足らんのじゃが、試合に出ておくれんかなもし。」
と請われて、参加したという程度のものだったのではあるまいか。彼が受け取ったのも、ほんの昼食代程度の金額だったという。

しかし、スポーツによって金品を受け取ることを固く禁じた五輪憲章に抵触したとして、彼の金メダルは剥奪された。

近代五輪の生みの親として知られる、フランスのピエール・クーベルタン男爵。彼が提唱したアマチュアリズムも、今となっては前世紀の遺物とされている。労働によって金品を得る行為そのものを蔑視する人々=貴族階級の嗜みとしてスポーツが行なわれていた時代に生み出された理念であり、規約であるからだ。

英雄ソープがパパラッチの先祖によって失脚させられたのも、彼がアメリカ先住民の血を引く労働者だったからだと言われている。労働者差別と人種差別のセットでメダルを奪われたソープは、それでも英雄であり続けた。彼の失格によって順位が繰り上がった銀メダリストは、
「偉大なるソープに失礼だ。」
と金メダルの授与を拒否した。

彼の復権運動は根気よく続けられ、ついに70年後の1982年にIOCは彼の名誉回復を認めた。70年もの果てしなき長い時間(宇宙の時間と比較などしても何の意味もない。)も復権を請願する運動が続いた事自体が驚異である。

もともとアメリカ人は十種競技のチャンピオンこそが「ザ・キング・オブ・ザ・スポーツ」と崇めるのであるが、ソープの人気の高さも、そんなスポーツ観によるものだろう。あるいは、剥奪の理由が故意によるものではないこと。先輩から現金の入った鞄を預かったというだけ(と言われている)で、プロ野球界から永久追放という重い処分を受けた、日本の天才投手と重なるところがある。

クーベルタンの後を受けてIOC会長に就任したのは、プロ・スポーツ王国アメリカの元五輪代表だった、ゼネコン企業の総帥、アベリー・ブランデージだった。彼がソープが失格となったストックホルム五輪の十種競技で15位だった、というのも奇妙な偶然と言えようか。彼は一貫して、ソープからメダルを奪った側に立ち続けていた。彼はクーベルタン男爵の遺産の番犬と呼ばれ、五輪の商業化、プロ化を頑なに拒んでいった。札幌五輪の開会直前に、オーストリアのアルペン・スキーの代表で、メダルの有力候補だったカール・シュランツが愛用するスキー広告のモデルになったということで、出場資格を失い選手村を去った。当時、小学生だった僕にも忘れられないニュースだった。スポーツにおいてのプロとアマチュアとの違いを最初に認識した事件だった。

クーベルタンが唱え、ブランデージが守り続けた「アマチュアリズムの理想」を今、批判することはたやすい。しかし、近代五輪の精神を世界にくまなく普及させる過程においては、必要だったと思う。

'84年のロス五輪から、五輪は大きく転換した。巨大化した大会を支えるために、五輪は「商業化」に踏みきった。テレビ中継の放映権は高額で売られ、多数のスポンサーから資金が集められ、'88年のソウル五輪からはプロ・アスリートの参加が正式に認められた。

最初の記憶に残る五輪が、この辺り、という世代の方には、かつて、広告に出ることが、ドーピング並みの厳しい処分を受けるルール違反だったとは信じられないことだろうと思う。

五輪の招致をめぐる不正が発覚した際に、
「五輪はクーベルタンの時代の原点に戻れ。」
と唱えるキャスターがいたが、それはもはや不可能だ。第一、クーベルタンは女性がスポーツを行なうことに反対していたし、走って郵便を配っていた郵便配達夫がマラソンに出ることもルール違反としていたのだ。

ここからが本題だ。

野球シーズンの開幕を待ちわびるファンたちに冷水を浴びせるような、西武ライオンズの裏金問題の発覚。禁止されていた金銭授受行為があったとして、大学生と社会人の選手が処分を受けた。(この問題が公に明らかにできたのも、かつての西武グループを支配していた前会長の影響力が無くなったからだという説もある。そういえば、その前会長がJOC会長を離れた後に、五輪金メダリストのスキャンダルが明らかになったのは偶然ではあるまい。)

「こうなったら、徹底的に膿を出しきって欲しいですね。」

とは、テレビのキャスターや新聞のコラムニストの決まり文句だが、高野連という組織は膿を出し切るために、思いも寄らぬ場所にメスを突き立てた。

私立高校では、「ごく当たり前に」行なわれてきた」スポーツ特待制度を日本学生野球憲章違反として、実態調査に乗り出したのだった。

ブランデージが守り抜いた、クーベルタンの理想は、21世紀、極東の島国に生きていたのだ!

(つづく)

※参考文献
「オリンピックヒーローたちの眠れない夜」
佐瀬 稔著 世界文化社



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