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5月16日は「旅の日」とラジオで聞いた。
10年近く前、ラジオの『古典講読』で『奥の細道~名句でたどるみちのくの旅』を聞いていたのでメモを少し。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅に出た日、元禄2年3月27日(太陽暦で1689年5月16日)にちなみ
「日本旅のペンクラブ」が5月16日を「旅の日」と決めたそうだ。
(同会の会長は西行、副会長は松尾芭蕉とあった!)
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」の有名な一文で始まる『おくのほそ道』
旅は、元禄2年3月27日に江戸を出発。
芭蕉は46歳、曽良は5歳下。
隅田川から日光街道を北へ進み、奥州(日光、松島、平泉)を通って出羽・北陸を旅した。
全行程は約600里(約2400km)。
芭蕉は体が弱かったため困難も多かった。
敦賀を経て、8月下旬大垣で旅を終えた。
そして、伊勢に向けて出発する。
生地の伊賀上野を経て大坂で過ごし『猿蓑』を完成させた。
その後、江戸に戻り、奥州・出羽・北陸の旅から3年後になってから
『おくのほそ道』の執筆を開始。
元禄7年4月に完成。
その後、伊賀上野に帰郷。奈良を経て大坂の旅先で病臥し死去、51歳。
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」は辞世の句とされている。
<ちょっと休憩>
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5月16日は「旅の日」とラジオで聞いた。
10年近く前、ラジオの『古典講読』で『奥の細道~名句でたどるみちのくの旅』を聞いていたのでメモを少し。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅に出た日、元禄2年3月27日(太陽暦で1689年5月16日)にちなみ
「日本旅のペンクラブ」が5月16日を「旅の日」と決めたそうだ。
(同会の会長は西行、副会長は松尾芭蕉とあった!)
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」の有名な一文で始まる『おくのほそ道』
旅は、元禄2年3月27日に江戸を出発。
芭蕉は46歳、曽良は5歳下。
隅田川から日光街道を北へ進み、奥州(日光、松島、平泉)を通って出羽・北陸を旅した。
全行程は約600里(約2400km)。
芭蕉は体が弱かったため困難も多かった。
敦賀を経て、8月下旬大垣で旅を終えた。
そして、伊勢に向けて出発する。
生地の伊賀上野を経て大坂で過ごし『猿蓑』を完成させた。
その後、江戸に戻り、奥州・出羽・北陸の旅から3年後になってから
『おくのほそ道』の執筆を開始。
元禄7年4月に完成。
その後、伊賀上野に帰郷。奈良を経て大坂の旅先で病臥し死去、51歳。
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」は辞世の句とされている。
<ちょっと休憩>