kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

水戸行き・今昔

2024年05月29日 | 日記
「カレーの市民」の銅像は、上野の国立西洋美術館の前庭で見た。
歩いていたら目に入ったので、びっくりした。
20年近く前のこと。

そのころ次男は、常磐線のどっかの駅近くに住んでいた。
常磐線の始発駅は上野だったので、東京駅からは、山手線で上野に行った。
古くて田舎っぽい駅なのに、でっかい壁画があって、びっくりした。
(猪熊弦一郎は馴染みのある画家なので…)

岡山に帰るときは、茨城を早くに出ると、上野公園を散策できた。
思い付きで、いろんな方向を歩いた。

何年か後には、常磐線が東京駅発着となった。
皇居の方へ歩いたこともあるが、駅構内のステーションギャラリーも見た。
2時間もあれば、どちらかへは行けた。

その後には、常磐線が品川駅発着になった。
新幹線を降りると、常磐線のホームは近いので、寄り道はしない。
それし、もう、水戸には行ってない。


最初に水戸に行ったのは50年ほど前。
東京で学生生活をエンジョイしていた兄(3歳上)が、
「東京に遊びに来い」と呼んでくれたとき。
従姉(母の長弟の娘、私より2歳上)も学生で東京におり、兄とは行き来していた。
叔父(母の次弟)が日立に勤めていたので、3人で日立へ出かけた。

兄の下宿からは、国鉄じゃなく私鉄で行った、取手まで。
周りの景色は、関西とは全く違っていて、西部劇の荒野のようだった。
山も家もない原っぱを、2両繋ぎの気動車が、ガタガタと走っていた。

取手からは常磐線に乗った、日立まで。
叔父夫妻は、太平洋の広~い海原を見せてくれた。
そして次の日に連れて行ってくれたのが、水戸の偕楽園。
梅を見ながら歩いていると、叔母はチョコレートを渡してくれた。
マーブルチョコしか知らなかった私には、びっくりするほど美味しかった。
3人とも、喜んで堪能したはず😆

その後で、お寿司屋さんに行った。
叔母は「若い子を、すきっ腹でお寿司屋さんに連れてきたら大変なことになるからね」
と笑ってた。(どうりで叔父たちはチョコを食べてなかったんだ…)

帰る時、「おみやげ」といって2000円くれた。
何を買えば記念になる?
迷わず新幹線の特急券を買った。
もちろん、終点の新大阪まで!
奈良にいたので、行きは、関西本線ー東海道本線の夜行急行だった。
東海道本線の特急や急行列車は、従来通り走っていた頃。
切符の変更手続きをしたら,2000円くらいで、新幹線切符になった。
(東海道本線とは線路が違うけど、乗車券は同じだった)

開業して半年も経ってない新幹線電車には、塗料のにおいが残っていた。
浜名湖の夕日がきれいだった。

その後は、数えきれないほど新幹線に乗ったけど
あの時がいちばん素敵だったと思う。

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