100年前の煙害事件については、以前に、まとめたことがあった。
それは、ホームページにも掲載した。
のちに、何かの折、削除していた。
内容は古いPCに残してあるが、そのPCは触ることがないだけでなく
PCを置いた机の前に座ることさえなかった。
下に置いた古い本の『新今治市誌』は、時々開いていたけれど。
昨日、PCを開いてみたら、バッチリまとめていた。
けっこう時間をかけたはずなのに、すっかり忘れていた。
しかも、今回ブログに書いたのより、理論的でわかりやすい。
重ね重ね、ショックを受けた😣
日付を見たら12年前、ワタクシ60代。
若い人にはかなわないなあ…😥
年表を作るのが好きだったので、作っていた。
時代を知ってないと、理解がずれるのではないかと思ったりして…。
さて、古いPCの文書を、今のPCに移したいが、操作はどうだったか?
そんな簡単なことさえ億劫に感じたので、日を改めて、やる!🙂
<年表を見て可笑しかったこと>
1905(明治38)年 煙害激甚で農民の反対運動の声が沸き上がる
以降、1910(明治43)年まで、煙害激甚だった
<ところで>
電話の開通は
1910(明治43)年 今治町の中央部に開通した
官公署は、郡役所・税務署・警察署・裁判所
民間は、工場・旅館・料理屋・製造業など
鉄道の開設は
高松の方から敷設され、今治までは1924(大正13)年2月、
松山まで開業したのは、1927(昭和2)年4月のこと
人の移動は、海上は船だけど、陸上はどうでしょう? 農民は歩くか走るかでしょうね🤔
電話もない・汽車もない時代。
新聞と郵便・電報はありました😃
<続きはまたあとで>