kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

部屋を冬仕様に

2022年12月05日 | 日記
家の床は全部板張り。掃除が簡単で、夏は涼しい。
でも、冬は寒い。
スリッパをはくが、スリッパを脱ぐ場所(出入り口が3か所、椅子はあちこち)が多く
どこへ行ったか分からないことがよくある。
スリッパは2つあるが、どちらも見つからない。
気が付いたら履いていたりする。どこで履いたんだろう?

部屋は散らかっている。
シーリングライトのリモコンは4つもあるのに、見つからないことがある。
ある朝、足で踏んで灯りが付いた。脱いだ服の下にあったんだ…。
まあ見つからないときは、壁のスイッチを使えばいい。

散らかっていてもフローリングは寒いので、冬はジョイントマットをしく。
夏はしまっていたのを取り出して。
カーペット(じゅうたん)だと、部屋中のものを除けないとダメだけど
ジョイントなので、部分的にモノを移動しながら敷ける。
ウール100%とか、分厚いじゅうたんだったら、こんなことできない。
カーペットは高価で重いけど、ジョイントマットは安くて軽い。
EVAという合成樹脂製、何年も使える。
世の中、便利になった。

部屋の暖房は、主にガスファンヒーター。
軽いので、足元の近くへ持ってこれる。
一つだけ不便なのは、換気のため、3時間たつと電源が切れてしまうこと。
またスイッチを入れる手間が必要で、一晩中とかは使えない。

まあ、ともかく、温かい部屋ができた!
あとは片づけて、すっきりさせるだけ(^^♪

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光陰矢の如し

2022年12月03日 | 日記
『チコちゃんにしかられる』を見ていたら
「月日の経つのが早いと感じるのは、
子どものころと比べて、トキメキを感じることが少ないから」
と解説していた。その境目は19歳ですと。

そういえば、高校生の頃は、トキメかなくても、色々あったなあ…。
差しさわりのないことを2つ。

2年生の時、家庭科は食物で、調理実習があった。
先ず、普通の教室で2~3回分の献立を勉強。
実習の日は直接、調理室へ行く。
食材の準備は当番制で、仕入れ先は近くの八百屋だった。

私たちが当番の時、献立の日付を間違って、別の日の食材を準備していた。
当日の朝に気付いたので、職員室に行って、
「今日は、来週分の実習にして下さい」と頼んだ。
家庭科の先生は、きっぱりと「ダメ」
「間違えたのは、あなたたちでしょ」
「だって、卵がないんですもの…」
「私は卵は産めませんよ、ニワトリじゃないんですから!」
(ハイ、先生はタヌキです、と思った)
(↑ほとんどの先生にはあだ名がついていた、上級生からの引き継ぎ)

仕方なく、私たちは1時間目の授業をさぼり、食材の買いなおしに出かけた。
八百屋さんに引き取ってもらえないリンゴなどは、調理室で食べた。
それで、予定通りの授業ができた。

この話を大人にしたら(先生か親かは忘れたが…)
「そうか、わたしゃ卵は産めませんよ、と言ったか」と笑われただけで
授業をサボっちゃいかん、とかは言われなかった。

3年生の時。
進路について「高校の先生になりたい」と思っていた。
当時は女先生が少なくて、5教科のうちでは社会科に1人だけだった。
私のクラスはその先生ではなかったので、友人に「授業を代わってもらいたい」と頼んだ。
「女先生はどんな授業なんだろう、生徒は内職してないか、など知りたいから」というと
快く(多分)代わってくれた。
数学や国語と違って、当たることはないし。
女先生は、まじめで、教科書通りきちんと進むんだなあと感心した。
(私が受けた日本史では、三国志と北方領土の記憶しかない。内職ばかりしていたため)

これでも私は、周りから「おとなしくてまじめな子」と認識されていたと思う(多分)
みんなも似たようなもんだった。いや、ユートーセーもいたんだった( `ー´)ノ
今の高校生はどんなんかなあ。


最初に戻って、「年をとるほど時間が経つのが早く感じられる」理由は、
「ジャネーの法則」で説かれた
「50歳にとって1年は人生の50分の1だが、5歳にとっては5分の1」の方が
ロマンチストでない私には、納得しやすい説明です。

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現在の遷都事情

2022年12月01日 | 古典聞きかじり
「古代国家の遷都」について、ネットで確認していたら、国交省のHPに行き当たった。

「古代における遷都と都の形成過程」
    村井 康彦 京都市美術館 館長

とても分かりやすいので、ご覧下さい
(先日の、私のブログよりはるかに親切丁寧…あたりまえだけど)

21世紀の新しい体制に変えていくための起爆剤、契機にするのだという大きな意図があるならば、「首都」の移転ではなく、「首都機能」の移転では意味がない。
首都機能が移っても東京は全く変わらない、心配はいりません、というのでは、何のために首都機能を移すのかわからない。


そういえば、「首都機能の移転」という言葉は、聞かなくなった。

国交省のページ内で調べたら、

遷都の提言がされたのは、昭和30年代(1960年頃)。

これを受け、政府や国会で検討を始めたのが、昭和50年(1975年)2月(48年前!)

その後30年近く審議し、平成16年(2004年)12月、次の報告。
分散移転や防災、危機管理機能などの考え方を深めるための調査、検討を行う

調査検討はエンドレス。移転はしないってことですな。

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