
全てが後手後手に回り、ご芳志を頂戴した方々への返礼が、今ごろになっているのだが。
挨拶状も定石通りという、日頃オリジナリティを大切にする僕として、恥ずべきテイタラクである。
とりわけ、94年7月の人生を2行で終わらせたこと、自己アピールを旨としていた父が、あの世で怒っているのではあるまいか、とも思う。
70歳の大学教員定年を前にして、本務校の他に埼玉県内の大学でロシア語を教えていたのだが、現在40代半ばになる教え子の中に、傑出した人物が何人もおられる。
孫の言を借りれば、80過ぎまでギラギラした父であったが、とりわけ人材を育てることが生きがいであった。
葬儀に連なってくださった方々の胸に、生前の父の姿があり、時々は思い出してくださることを、願うばかりです。