落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

姑息な村山談話の謝罪決議

2009年01月17日 | 政治・外交
村山談話なる政府見解に違反したとして更迭された田母神前航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」では特に村山談話には触れられていなかったが、同氏の著書「自らの身は顧みず」にその村山談話の謝罪決議の経緯が書かれていた。
以下、田母神俊雄著「自らの身は顧みず」40p~42p引用
「村山談話」は破棄されなければならない。

「侵略国家」だという呪縛が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる。これでは国を守れない。終戦50周年の「村山談話」なるものが今の日本では金科玉条のようになっている。「村山談話」は破棄されなければならない。

平成6年(1994)6月29日に発足した自社さ連合政権・村山内閣の村山首相は、それまで長期間にわたって反対し続けていた「日の丸、君が代、自衛隊」を、自ら首相にしてもらうことと引き換えに全て認めてしまった。ところが、当時の社会党左派は、「日の丸、君が代、自衛隊を認めるとは何事が!」と村山首相を突き上げた。そのために村山首相は一計を案じた。

村山首相は、当時の土井たか子衆院議長と組み、平成7年6月9日、「本日は本会議無し、各議員は選挙区に帰られたし」との通知を衆議院内に回し、卑怯にも、その通知を信じて多くの議員が各選挙区に帰った隙を狙って、午後8自前、土井議長は本会議のベルを鳴らして、議員総数509人の内、265人の議員が欠席する異常な状況の下で、なんとわずか230人の賛成で、村山談話同様の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案」なる謝罪決議を強行した。

あまりにも汚いやり方でなんの権威もなかったために、当時の参議院は、その「謝罪決議」の審議すらしなかったのである。そのために、同「謝罪決議」なるものは宙ぶらりんの状態になってしまった。

そこで、村山氏は同年8月15日、なんの事前説明もなく閣議の席でいきなり、戦後50周年の村山談話なるものを発表した。これがその後我が国の名誉と誇りを傷つけ、国益を大きく損ない続けていることは説明の必要もなかろう。

村山首相は、平成19年に石川県在住の諸橋茂一氏により、村山談話に関する訴訟を起こされた。諸橋氏は、村山氏が首相退任後、「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」(いわゆるアジア女性基金)の理事長に納まり、本来不必要なこの財団の基金運営のために、人件費等で約50億円もの国費を無駄遣いした、これを国庫に返還せよ、と裁判に訴えたのである。

さらに、諸橋氏は併せて、
(1)村山談話の内容が事実であるという根拠を示せ、
(2)村山談話を発表した法的根拠を示せ、
(3)アジア女性基金の設立根拠となったいわゆる「河野談話」の内容が事実である根拠を示せ---
と訴えた。

これは、最高裁まで争われ、控訴人に請求権がないということで、結果として請求は棄却されたが、村山氏は裁判の過程で村山談話の正当性をまったく説明できなかった。ちなみに、やはり諸橋氏が東京地検に告発した「河野談話」については、すでに7年の時効が成立しているという回答だったと聞いている。

政治によって我が国の歴史をねじ曲げることはそろそろ終わりにしてもらいたい。我が国が侵略国家であったという自虐史観が、日本国民の誇りと自信を喪失させ、国家安全保障体制の確立を困難にしている。本来、軍は国家の最後の拠り所なのであるが、我が国では国家を害する”ガン細胞”のように扱われてきたのである。
自衛隊による安全ではなく、「自衛隊からの安全」などと言われるのは、制服自衛官にとってはまったく心外である。「自衛隊を信頼して下さい」と、今多くの自衛官が心の中で叫んでいることであろう。

(分かち書き、太字は管理人がほどこしたもの)
この本で村山談話の原点を知ったが、こんないいかげんな「談話」を後生大事に政府見解とし外交、国防の基本に置いている日本はやはりおかしい。破棄しなければ次世代に負の遺産を残すだけではないか。

「村山談話」白紙撤回を求める署名サイト
「河野談話」白紙撤回を求める署名サイト