自民党本部は、夏の参院選千葉選挙区(改選数3)に猪口邦子元少子化担当相(57)を擁立することを決めたとのこと。
民主党政権は「風前の灯火」状態となってきた。しかし、仮に自民党が取って代わるにも、このような人物を擁立とは民主党と何処が違うのだろうか。
氏は自衛隊否定、ジェンダーフリー家族解体を推進し国体を弱める思想の持ち主だ。先の10日の自民党運動方針がいかにいいかげんなものか暴露している。
猪口邦子氏(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/猪口邦子 より)
民主党政権は「風前の灯火」状態となってきた。しかし、仮に自民党が取って代わるにも、このような人物を擁立とは民主党と何処が違うのだろうか。
氏は自衛隊否定、ジェンダーフリー家族解体を推進し国体を弱める思想の持ち主だ。先の10日の自民党運動方針がいかにいいかげんなものか暴露している。
自民、猪口氏擁立を決定 参院選 2010.1.20 10:52 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100120/stt1001201053001-n1.htm
自民党の千葉県選出国会議員が20日午前、党本部で会合を開き、夏の参院選千葉選挙区(改選数3)に猪口邦子元少子化担当相(57)を擁立することを決めた。これを受けて、党千葉県連は直ちに党本部に公認申請する。猪口氏が公認されれば、同選挙区での自民党候補は現職の椎名一保氏(58)に次いで2人目となる。
猪口氏は平成17年の衆院選で比例代表東京ブロックで初当選。昨年の衆院選には出馬しなかった。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100120/stt1001201053001-n1.htm
自民党の千葉県選出国会議員が20日午前、党本部で会合を開き、夏の参院選千葉選挙区(改選数3)に猪口邦子元少子化担当相(57)を擁立することを決めた。これを受けて、党千葉県連は直ちに党本部に公認申請する。猪口氏が公認されれば、同選挙区での自民党候補は現職の椎名一保氏(58)に次いで2人目となる。
猪口氏は平成17年の衆院選で比例代表東京ブロックで初当選。昨年の衆院選には出馬しなかった。
猪口邦子氏(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/猪口邦子 より)
政歴
防衛問題懇談会で委員を務める(1994年 - 1996年)など、日本の安全保障政策に強い発言力を持っていた。また、行政改革会議委員(1996年 - 1998年)として防衛庁の省格上げに強硬に反対するなど、防衛庁・自衛隊の存在に対しては武者小路公秀と同じく否定的な立場をとっている。軍縮外交の他、「ジェンダー・イコーリティー(社会的文化的に形成された男女性別の平等)」推進にも熱心であり、衆議院議員当選後の日本外国特派員協会記者会見で「ジェンダーバッシングを許しません!」と宣言した。また開発論では子どもを中心とした開発を提唱している。
2005年1月、上智大学学長選挙に出馬するも落選。
9月11日の第44回衆議院議員総選挙に際し、自由民主党総裁の小泉純一郎から衆院選出馬を要請され、自由民主党の比例区女性枠候補として東京ブロックより名簿順位単独1位で出馬し初当選。その後、2005年10月31日に第3次小泉改造内閣に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)として初入閣。
2005年末の男女共同参画基本計画の改定及び犯罪被害者等基本計画の閣議決定、2006年の食育推進基本計画や新しい少子化対策の策定を担当。「少子化を解消するために国がお見合いコンパを主催すべきだ」と発言し物議をかもした。
2006年9月26日の第3次小泉改造内閣総辞職に伴い、国務大臣を辞任。その後、自由民主党幹事長補佐、国際局局長代理を歴任。
2007年自由民主党総裁選挙では、片山さつきと共に小泉を総裁候補にするため署名活動を行うが、本人に立候補の意思が無いため断念。その後は、小泉が過去に会長を務めた清和研の福田康夫の支持を表明した。
また、男女共同参画社会に熱心な公明党とのつながりも深く、しばしば公明党で講演したほか、2009年3月から実施された高速道路のETC利用者対象の土休日高速道路1000円乗り放題等の大幅割引を全面的に評価しており、その年のゴールデンウィークで高速道路の利用者が急増し、JRの利用者が激減した際大いに喜び、「マイカーの盗塁!!」「高速道路の盗塁!!」と叫んで国会議事堂内を駆け回ったと言う。
2009年8月17日、翌日に公示される第45回衆議院議員総選挙に際して、比例単独候補の上位を優遇しない党本部の方針により、前回の比例東京ブロック単独1位ではなく、同ブロック下位での出馬を提示されたが、これに不満を持ち、不出馬を表明した[3](ただし、政界引退までは表明していない)。公示日に放送されたテレビ朝日『スーパーモーニング』によるインタビューでは、不出馬に至った事情を語った上で、翌2010年に行われる第22回参議院議員通常選挙など、別の国政選挙立候補に含みを持たせる発言を行った。
防衛問題懇談会で委員を務める(1994年 - 1996年)など、日本の安全保障政策に強い発言力を持っていた。また、行政改革会議委員(1996年 - 1998年)として防衛庁の省格上げに強硬に反対するなど、防衛庁・自衛隊の存在に対しては武者小路公秀と同じく否定的な立場をとっている。軍縮外交の他、「ジェンダー・イコーリティー(社会的文化的に形成された男女性別の平等)」推進にも熱心であり、衆議院議員当選後の日本外国特派員協会記者会見で「ジェンダーバッシングを許しません!」と宣言した。また開発論では子どもを中心とした開発を提唱している。
2005年1月、上智大学学長選挙に出馬するも落選。
9月11日の第44回衆議院議員総選挙に際し、自由民主党総裁の小泉純一郎から衆院選出馬を要請され、自由民主党の比例区女性枠候補として東京ブロックより名簿順位単独1位で出馬し初当選。その後、2005年10月31日に第3次小泉改造内閣に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)として初入閣。
2005年末の男女共同参画基本計画の改定及び犯罪被害者等基本計画の閣議決定、2006年の食育推進基本計画や新しい少子化対策の策定を担当。「少子化を解消するために国がお見合いコンパを主催すべきだ」と発言し物議をかもした。
2006年9月26日の第3次小泉改造内閣総辞職に伴い、国務大臣を辞任。その後、自由民主党幹事長補佐、国際局局長代理を歴任。
2007年自由民主党総裁選挙では、片山さつきと共に小泉を総裁候補にするため署名活動を行うが、本人に立候補の意思が無いため断念。その後は、小泉が過去に会長を務めた清和研の福田康夫の支持を表明した。
また、男女共同参画社会に熱心な公明党とのつながりも深く、しばしば公明党で講演したほか、2009年3月から実施された高速道路のETC利用者対象の土休日高速道路1000円乗り放題等の大幅割引を全面的に評価しており、その年のゴールデンウィークで高速道路の利用者が急増し、JRの利用者が激減した際大いに喜び、「マイカーの盗塁!!」「高速道路の盗塁!!」と叫んで国会議事堂内を駆け回ったと言う。
2009年8月17日、翌日に公示される第45回衆議院議員総選挙に際して、比例単独候補の上位を優遇しない党本部の方針により、前回の比例東京ブロック単独1位ではなく、同ブロック下位での出馬を提示されたが、これに不満を持ち、不出馬を表明した[3](ただし、政界引退までは表明していない)。公示日に放送されたテレビ朝日『スーパーモーニング』によるインタビューでは、不出馬に至った事情を語った上で、翌2010年に行われる第22回参議院議員通常選挙など、別の国政選挙立候補に含みを持たせる発言を行った。