落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

江沢民は生きていた

2011年10月11日 | 政治・外交
死んだはずの江沢民が生きていた。中共の権力闘争ならではの出来事か。
なんでもありやなぁ。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成23(2011)年10月10日(月曜日)弐 通巻第3446号
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http://www.melma.com/backnumber_45206/

江沢民は生きていた! 驚き桃の木、影武者の可能性も薄い
孫文辛亥革命百周年の記念式典によたよたと登場し、胡錦涛の隣席

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 最初は香港情報だった。7月6日の香港メディアは江沢民が死去したという「信頼すべき情報源」。二日後、そのメディアは訂正し謝罪した。
産経新聞はのせられて号外まで出した。生命維持装置をつけて入院していたが、奇跡の回復ぶり。上海で緊急入院後、北京301医院で療養していた。

 10月9日、北京人民大会堂で開催された孫文辛亥革命百周年の記念式典によたよたと登場し、胡錦涛の隣席にどかっと座った。
会場からは「おおっ」と驚きの声があがった。
何の肩書きかははっきりしないが、存在を見せつけるという中国伝来の「官場政治」の典型である。つまり京劇で言うクライマックス。
 式典には政治局常務委員九名全員が出席した。

 これで権力闘争はまたまたややこしくなる。
 「様々な憶測を呼ぶ」とヘラルドトリビューンも一面トップで報じた(10日付け)。とくに同紙は次のように言う。
 「重慶モデル」を成功させたとして騒がれる薄き来(重慶市書記)の次期常務委員に入りがあるか、どうか。彼は意図的に毛沢東復活を主唱し、社会主義市場を叫ぶので、多くから嫌われている。
胡錦涛は、広東省書記の王洋を取り立てたく、最近も広東を訪問した。胡錦涛がテコ入れをしてきたのである。  王岐山、張徳江、愈正声らの「政治局常務委員」入りも、江沢民の登壇、上海派の派手派手しい復活により、微妙となった。

 二月の鉄道部長の更迭は江沢民が不在だったから、団派が上海派を追い詰め、次期総書記といわれる習近平の政治力を牽制するためにやってのけた節がある。
 七月の新幹線事故では上海派を集中的に排除できた。

しかし江沢民の影響力がまだ強い軍の強硬路線は収まらず、胡錦涛をあざけるかのように日本海域と領空侵犯を繰り返した。
胡錦涛の軍権は、曖昧だった。江沢民派が後ろで操っていた観測もなりたつ。

 政局はまた荒れるだろう。
 しかし、いったい日本のインテリジェンス! ハッカー攻撃に無力であると同様に、情報収集さえ、我が国にはなきに等しい実態が改めて浮き彫りとなった。

「銃を突き付けられても言えない」 江沢民「病死」報道の舞台裏
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/10/html/d43094.html

 【大紀元日本10月6日】7月6日に香港のテレビ局・亜洲電視(ATV)が報じた中国の江沢民前国家主席「病死」ニュースは、同局副総裁の引責辞任で幕を降ろそうとしているが、情報源は「局に影響力のある人」など、新たな情報も明らかになっている。「銃を突き付けられても言えない」ほどの黒幕の存在や、共産党高層の熾烈な権力闘争が垣間みえるこの一件は3カ月経った今でも波紋を広げている。

 放送までの経緯

 放送から2カ月経った9月5日、ATV報道部門の実質的責任者である梁家栄・高級副総裁が辞任した。

 梁氏は、7月7日にすでに辞表を提出したと話している。辞任の理由について、「できる限りの努力を尽くしたが、このニュースの放送を阻止できなかった」と権力者の干渉をほのめかした。

 一方、9月19日に香港立法会(議会)が梁氏に対して聴聞会を開き、同局の株主が報道に介入したのではとの疑いを追及した際に、梁氏は、誤報は「消息筋を誤って信じた」自分の誤りが原因だと言い方を微妙に変え、消息筋は権力者かどうかについての明言を避けた。
 梁氏は「訃報を流すよう消息筋に迫られた。裏が取れないため拒んだが、最終的に私は過ちを犯し、消息筋を信じてすぐに放送した」と述べたが、消息筋が誰なのかは「銃を突き付けられても言えない」という。
・・・・(続きあり)