世界で沸き起こる、抗議と民主化要求。
【天下圍城】天安門事件世界同時アクション・中国大使館前抗議デモin東京[桜H26/6/4] ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ImQ-bR2Z8E4&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成26(2014)年6月5日(木曜日)通巻第4260号
http://melma.com/backnumber_45206/
天安門事件二十五周年東京集会に800名
会場は割れるような熱気に包まれ、中国共産党は崩壊すると多くが発言した
六月四日、天安門事件25周年東京集会が市ヶ谷で開催され、800名が集まって熱気に包まれた。すでに開場前から長い列ができ、立錐の余地がないほどの盛況な雰囲気を呈した。とくに外国人や外国メディアの取材陣も目立った。
諸外国でもニューヨーク、台北、香港などで集会が開催され、とくに香港の集会には20万人近くが集まった。 東京では中国大使館へ抗議デモも行われた。
「天安門事件25周年東京集会」は古川郁絵さんの司会で定刻六時に開会、まず天安門事件で犠牲となった多くの若者に黙祷を捧げたあと、すぐに石平氏の基調講演に移った。
石氏は涙ながらに自国民の自由を求める声を圧殺した独裁政党を批判し、声を詰まらせながら熱弁をふるった。 会場はしーんとなるほど感動的な演説だった。
ひきつづき米国へ亡命した陳破空氏(民主活動家、『日米中アジア開戦』の著者)が講演し、中国共産党の不正、独裁、腐敗に関して詳細を述べた。通訳は山田智美女史が担った。
石、陳両氏の感動的な話に引き続き、急遽、国会から会場に駆けつけた西村真悟・衆議院議員(無所属)、おなじく三宅博・衆議院議員(維新の会)、和田政宗(参議院議員。みんなの党)が壇上にたって、挨拶した。
ほかにも数名の国会議員からメッセージが届いた。
来賓らの憂国の熱弁のあと、各民族に対して中国共産党が展開している血なまぐさい抑圧の実態を訴えた。
チベットを代表してペマ・ギャルポ(桐蔭大学教授)、ウィグル代表のイリハム代表代理、内蒙古を代表してダイチン氏ら各代表も熱弁。とくにダイチン氏は名古屋から駆けつけた。
会場には遠く青森、山口県からの参加者もあった。
ひきつづき中国民主活動家の相林氏、台湾独立建国連盟日本本部の王明理女史、ベトナム代表らが演壇に立って、中国共産党の苛烈な支配ぶりを訴えた。さらに政治学者の藤井厳喜氏はフィリピンの実情を訴えた。
各氏は中国共産党が崩壊するまで戦い続けると述べた。
西村幸祐、黄文雄、河添恵子、板東忠信、水嶋総、宮崎正弘各氏の意見発表に引き続き、バングラデシュ代表が挨拶、最後の閉会の辞は田母神俊雄氏が締めくくった。時間が迫ったため、会場に駆けつけられた賛同者多くが紹介されたあと、東京集会宣言(中国は国際秩序の破壊を止め、自由、民主、人権、法治を目指せ)が満場一致で採択された。
主催者側の予測を超えて立ち見が出るほどの盛況となった。
なお集会の模様は産経新聞などでも報道されたほか、日本文化チャンネル桜のニコニコ動画などに配信され、7月1日発表の『正論』に誌上収録される予定。
http://melma.com/backnumber_45206/
天安門事件二十五周年東京集会に800名
会場は割れるような熱気に包まれ、中国共産党は崩壊すると多くが発言した
六月四日、天安門事件25周年東京集会が市ヶ谷で開催され、800名が集まって熱気に包まれた。すでに開場前から長い列ができ、立錐の余地がないほどの盛況な雰囲気を呈した。とくに外国人や外国メディアの取材陣も目立った。
諸外国でもニューヨーク、台北、香港などで集会が開催され、とくに香港の集会には20万人近くが集まった。 東京では中国大使館へ抗議デモも行われた。
「天安門事件25周年東京集会」は古川郁絵さんの司会で定刻六時に開会、まず天安門事件で犠牲となった多くの若者に黙祷を捧げたあと、すぐに石平氏の基調講演に移った。
石氏は涙ながらに自国民の自由を求める声を圧殺した独裁政党を批判し、声を詰まらせながら熱弁をふるった。 会場はしーんとなるほど感動的な演説だった。
ひきつづき米国へ亡命した陳破空氏(民主活動家、『日米中アジア開戦』の著者)が講演し、中国共産党の不正、独裁、腐敗に関して詳細を述べた。通訳は山田智美女史が担った。
石、陳両氏の感動的な話に引き続き、急遽、国会から会場に駆けつけた西村真悟・衆議院議員(無所属)、おなじく三宅博・衆議院議員(維新の会)、和田政宗(参議院議員。みんなの党)が壇上にたって、挨拶した。
ほかにも数名の国会議員からメッセージが届いた。
来賓らの憂国の熱弁のあと、各民族に対して中国共産党が展開している血なまぐさい抑圧の実態を訴えた。
チベットを代表してペマ・ギャルポ(桐蔭大学教授)、ウィグル代表のイリハム代表代理、内蒙古を代表してダイチン氏ら各代表も熱弁。とくにダイチン氏は名古屋から駆けつけた。
会場には遠く青森、山口県からの参加者もあった。
ひきつづき中国民主活動家の相林氏、台湾独立建国連盟日本本部の王明理女史、ベトナム代表らが演壇に立って、中国共産党の苛烈な支配ぶりを訴えた。さらに政治学者の藤井厳喜氏はフィリピンの実情を訴えた。
各氏は中国共産党が崩壊するまで戦い続けると述べた。
西村幸祐、黄文雄、河添恵子、板東忠信、水嶋総、宮崎正弘各氏の意見発表に引き続き、バングラデシュ代表が挨拶、最後の閉会の辞は田母神俊雄氏が締めくくった。時間が迫ったため、会場に駆けつけられた賛同者多くが紹介されたあと、東京集会宣言(中国は国際秩序の破壊を止め、自由、民主、人権、法治を目指せ)が満場一致で採択された。
主催者側の予測を超えて立ち見が出るほどの盛況となった。
なお集会の模様は産経新聞などでも報道されたほか、日本文化チャンネル桜のニコニコ動画などに配信され、7月1日発表の『正論』に誌上収録される予定。
東京の大使館前で抗議 中国人留学生の姿も 2014.6.4 17:47 [中国]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140604/chn14060417470015-n1.htm
天安門事件から25年となった4日、東京都港区の中国大使館前で中国共産党・政府に対し、民主化などを訴えるデモがあり、日本人など約20人が「言論の自由を」「知識人を釈放せよ」などと声を上げた。中国人留学生の姿もあった。
デモは当時の民主化運動を率いた元学生リーダー、王丹氏が25年に合わせ各国で呼び掛けていた「世界同時アクション」の一環。参加者は大勢の警察官が警備に当たる大使館前で戦車の前に1人の人間が立ちはだかっている、事件を象徴したイラストが描かれた横断幕を広げながら「中国は人権弾圧をやめろ」「犠牲者に謝罪しろ」と訴えた。
中国人留学生の男性(24)はデモ隊とは別に、一人でやって来た。マスクを着け大使館前で黙ったまま「六四流血/言論自由」と書かれた紙を掲げて抗議した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140604/chn14060417470015-n1.htm
天安門事件から25年となった4日、東京都港区の中国大使館前で中国共産党・政府に対し、民主化などを訴えるデモがあり、日本人など約20人が「言論の自由を」「知識人を釈放せよ」などと声を上げた。中国人留学生の姿もあった。
デモは当時の民主化運動を率いた元学生リーダー、王丹氏が25年に合わせ各国で呼び掛けていた「世界同時アクション」の一環。参加者は大勢の警察官が警備に当たる大使館前で戦車の前に1人の人間が立ちはだかっている、事件を象徴したイラストが描かれた横断幕を広げながら「中国は人権弾圧をやめろ」「犠牲者に謝罪しろ」と訴えた。
中国人留学生の男性(24)はデモ隊とは別に、一人でやって来た。マスクを着け大使館前で黙ったまま「六四流血/言論自由」と書かれた紙を掲げて抗議した。(共同)
中国本土…「6月4日」を「5月35日」と言い換え抗議 香港…過去最多の追悼集会 2014.6.5 00:35
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140605/chn14060500350003-n1.htm
(写真)天安門事件直後の1989年6月10日に撮影された、中国人民解放軍の戦車や兵士が警備に当たる北京・天安門広場前の様子(上)(AP)。事件から25年を迎えた4日、天安門広場の警備に向かう武装警察官ら(下)(共同)
【北京=川越一、香港=河崎真澄】北京の天安門広場周辺には4日、いつもより多くの警察車両や小銃を抱えた警官らが配置され、複数ある広場入り口では観光客らの手荷物を厳しくチェックしていた。
中国外務省の洪磊報道官は同日の定例記者会見で、「1980年代に北京で起きた政治風波(騒ぎ)などについて、中国政府はとうの昔に結論を得ている」などと主張、事件の再評価を改めて拒否した。
民主活動家らの拘束が伝えられる中、当局は国内報道を規制している。中国共産党機関紙、人民日報をはじめとする中国各紙は事件を黙殺。NHK海外放送の関連ニュースも同日、約3分間中断されるなど規制は海外メディアにも及んだ。
中国国内の知識人らは「6月4日」を「5月35日」と言い換えてネット規制をかいくぐり、中国版ツイッター「微博」などに投稿。「今夜はろうそくをともして晩餐(ばんさん)だ」といった表現で哀悼の意を示した。
一方、中国国内で「一国二制度」が保障されている香港では4日夜、民主派団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」の呼びかけで、犠牲者を悼む集会が香港島のビクトリア公園で行われた。主催者側は、香港で開催された追悼集会としては過去最多の18万人以上が参加したと発表した。
これに対し「事件は学生の暴動で鎮圧は当然」などと主張する親中派の複数の団体が式典に反対し、公園の外で抗議活動を行った。
また香港の大学生が、天安門広場などで学生らを弾圧した中国人民解放軍の戦車の実物大模型を製作し、中心部のショッピングセンターに展示していたが、関係者によると、4日午後、親中派とみられる人物によって覆いがかぶされた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140605/chn14060500350003-n1.htm
(写真)天安門事件直後の1989年6月10日に撮影された、中国人民解放軍の戦車や兵士が警備に当たる北京・天安門広場前の様子(上)(AP)。事件から25年を迎えた4日、天安門広場の警備に向かう武装警察官ら(下)(共同)
【北京=川越一、香港=河崎真澄】北京の天安門広場周辺には4日、いつもより多くの警察車両や小銃を抱えた警官らが配置され、複数ある広場入り口では観光客らの手荷物を厳しくチェックしていた。
中国外務省の洪磊報道官は同日の定例記者会見で、「1980年代に北京で起きた政治風波(騒ぎ)などについて、中国政府はとうの昔に結論を得ている」などと主張、事件の再評価を改めて拒否した。
民主活動家らの拘束が伝えられる中、当局は国内報道を規制している。中国共産党機関紙、人民日報をはじめとする中国各紙は事件を黙殺。NHK海外放送の関連ニュースも同日、約3分間中断されるなど規制は海外メディアにも及んだ。
中国国内の知識人らは「6月4日」を「5月35日」と言い換えてネット規制をかいくぐり、中国版ツイッター「微博」などに投稿。「今夜はろうそくをともして晩餐(ばんさん)だ」といった表現で哀悼の意を示した。
一方、中国国内で「一国二制度」が保障されている香港では4日夜、民主派団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」の呼びかけで、犠牲者を悼む集会が香港島のビクトリア公園で行われた。主催者側は、香港で開催された追悼集会としては過去最多の18万人以上が参加したと発表した。
これに対し「事件は学生の暴動で鎮圧は当然」などと主張する親中派の複数の団体が式典に反対し、公園の外で抗議活動を行った。
また香港の大学生が、天安門広場などで学生らを弾圧した中国人民解放軍の戦車の実物大模型を製作し、中心部のショッピングセンターに展示していたが、関係者によると、4日午後、親中派とみられる人物によって覆いがかぶされた。
天安門事件関連の米公文書を公開、「兵士が笑いながら発砲」
2014年06月04日 11:20 発信地:ワシントンD.C./米国
http://www.afpbb.com/articles/-/3016695?ctm_campaign=must_read
【6月4日 AFP】中国・北京(Beijing)で1989年に起きた天安門事件で、国内各省から派遣された兵士らが、民主化を求めるデモ隊に対し笑いながら無差別に発砲していたことを示す米政府の文書が、事件からちょうど25年となる3日に機密解除された。
米ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の国家安全保障公文書館(National Security Archive)が「情報自由法(Freedom of Information Act)」に基づき取得して公開したこれらの文書では、89年6月3日夜から4日未明にかけて中国当局が学生運動を武力弾圧する中、中国全土に広がっていった混乱の様子が示されている。
米軍のある機密報告書は、ホテルの一室から天安門広場(Tiananmen Square)の様子を目撃した匿名の人物の話として、武力弾圧が多くの死者を出すことを意図した「残虐」なものだったと記している。
第27集団軍(27th Army)に属する非北京語話者の兵士たちは「人々の集まりに遭遇すると、それが誰であろうとも笑いながら無差別に発砲していた」という。
また、中国各地に広がる危機感を示す別の公電では、天安門での惨事を受け、現金を引き出そうとする人々が殺到したことから、当時国営だった中国銀行(Bank of China)の上海(Shanghai)支店に軍が空路で外貨を運んだと書かれている。
しかし天安門事件の翌日の米公電に、中国と関係の深い外国政府当局者とみられる人物の話として、実際には1997年に死去した小平(Deng Xiaoping)氏が既に死亡していたとする情報があるなど、今回公開された文書には大ざっぱなところがある。
天安門事件では、兵士らが非武装の市民ら数百人を殺害。死者は1000人を超えるとの推計もある。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3016695?ctm_campaign=must_read
【6月4日 AFP】中国・北京(Beijing)で1989年に起きた天安門事件で、国内各省から派遣された兵士らが、民主化を求めるデモ隊に対し笑いながら無差別に発砲していたことを示す米政府の文書が、事件からちょうど25年となる3日に機密解除された。
米ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の国家安全保障公文書館(National Security Archive)が「情報自由法(Freedom of Information Act)」に基づき取得して公開したこれらの文書では、89年6月3日夜から4日未明にかけて中国当局が学生運動を武力弾圧する中、中国全土に広がっていった混乱の様子が示されている。
米軍のある機密報告書は、ホテルの一室から天安門広場(Tiananmen Square)の様子を目撃した匿名の人物の話として、武力弾圧が多くの死者を出すことを意図した「残虐」なものだったと記している。
第27集団軍(27th Army)に属する非北京語話者の兵士たちは「人々の集まりに遭遇すると、それが誰であろうとも笑いながら無差別に発砲していた」という。
また、中国各地に広がる危機感を示す別の公電では、天安門での惨事を受け、現金を引き出そうとする人々が殺到したことから、当時国営だった中国銀行(Bank of China)の上海(Shanghai)支店に軍が空路で外貨を運んだと書かれている。
しかし天安門事件の翌日の米公電に、中国と関係の深い外国政府当局者とみられる人物の話として、実際には1997年に死去した小平(Deng Xiaoping)氏が既に死亡していたとする情報があるなど、今回公開された文書には大ざっぱなところがある。
天安門事件では、兵士らが非武装の市民ら数百人を殺害。死者は1000人を超えるとの推計もある。(c)AFP
【天下圍城】天安門事件世界同時アクション・中国大使館前抗議デモin東京[桜H26/6/4] ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ImQ-bR2Z8E4&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg