落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

【山】宍粟市千種町 笛石山(895m)

2015年04月18日 | 散歩・山歩き
4月18日(土) 晴れ

今春は雨が多く、寒い日が多い。待望の晴れ、山歩きに出かけた。
笛石山(895m)は宍粟50名山に上げられている。
南側から見上げると姿がよく、別名「千種(ちくさ)富士」と呼ばれている。
北西に岡山県境「後山」へ峰が連なっている。


宍粟50名山 笛石山


猫石と眼下の千種町


笛石山頂上


三室山


残雪


鐘掛行者像(板馬見渓谷)

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日清戦争勝利120周年

2015年04月15日 | 歴史
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成27年(2015)4月15日(水曜日)号外
http://melma.com/backnumber_45206/

転送歓迎、ツィッターで、フェイスブックで発信下さい
いよいよ明後日!
歴史戦に愛国者が結集する時が来ました

日清戦争勝利120周年を記念して
「下関条約120周年 日清戦争を考える国民の集い」


 4月17日は「下関条約」から120周年。日清戦争勝利の日です。中国と韓国によって、「歴史戦」が仕掛けられ、日本は猛烈に貶められています。
1995年4月17日、下関において伊藤博文、李鴻章は日清戦争終結の条約を結び、賠償金ならびに台湾割譲を獲得しました。しかし朝鮮半島をめぐる戦雲はおさまることなく、十年後には日露戦争へと拡大し、ポーツマス条約へといたります。

この日清・日露戦争が世界史的に果たした意義は大きく、アジア諸国の覚醒があり、やがてインド独立運動などへ結びつくのですが、現代日本では爾後の「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」などとする自虐史観が依然としてまかり通っています。
GHQ史観の押しつけや戦前の図書焚書などにより国民は洗脳されたまま。まして「反日」を掲げる中国と韓国は、改竄した政治的プロパガンダをつづけ、日本を貶める「歴史戦」を世界的規模で展開しています。いつまで、この状態に日本は甘んじているのでしょうか。

心ある国民はたちあがらなければなりません。
わたしたちは4月17日という意義深い記念日に一同に参集し、自虐史観をただし、正しい歴史観をもって、よこしまな反日キャンペーンを展開する勢力に言論戦を挑みます。有志あいつどって呼びかけをおこない下記の要領で国民集会を開催する運びとなりましたので万障繰り合わせの上、ご出席願いたいと思います。


代表呼びかけ人 加瀬英明、黄文雄、石平、高山正之、西尾幹二、水島総、宮崎正弘


とき   四月十七日 午后六時(五時半開場。八時半閉会)
ところ  星陵会館二階ホール
     http://www.seiryokai.org/kaikan/map.html
資料代  千円 
記念講演  「日清戦争における武士の情けーー 伊東祐亨と立見尚文」
直木賞作家 中村彰彦
      「アメリカ外交からみた日清戦争―― 列強の外交・舞台裏の真実」
カナダ在住作家 渡邊惣樹
発言予定  梅原克彦、河添恵子、小堀桂一郎、石平、西村幸祐、西村真悟
藤岡信勝、平間洋一、藤井厳喜、宮脇淳子、宮崎正弘ほか
主催    「下関条約120年、日清戦争の意義を問う国民のつどい」実行委員会
共催    「国防問題研究会」(玉川博己 代表幹事)
 「頑張れ日本! 全国行動委員会」(水島総 幹事長)
後援    士気の集い、呉竹会、正論の会、史実を世界に発信する会、国民新聞社
      日本・李登輝友の会、日本文化チャンネル桜、新しい歴史教科書をつくる会

 どなたでも予約なしでご参加いただけます!

<呼びかけ人>(敬称略、五十音順。「代表呼びかけ人」と重複しません)
阿羅健一、井尻千男、伊藤哲夫、井上和彦、入江隆則、植田剛彦、潮 匡人
梅原克彦、江崎道朗、呉 善花、大高未貴、大原康男、岡田英弘、小田村四郎
小山和伸、鍛冶俊樹、葛城奈海、加藤康男、川口マーン惠美、河添恵子、川村純彦
北村良和、日下公人、工藤美代子、小堀桂一郎、酒井信彦、佐藤 守、澤 英武
新保裕司、杉原誠四郎、杉原志啓、関岡英之、高池勝彦、田久保忠衛、田中英道、堤堯
頭山興助、富岡幸一郎、中村彰彦、中村信一郎、永山英樹、西村幸祐、西村真悟
坂東忠信、樋泉克夫、平間洋一、福井雄三、福田 逸、藤井厳喜、藤岡信勝
ペマ・ギャルポ、馬渕睦夫、三浦小太郎、宮脇淳子、三輪和雄、村松英子、室谷克実
茂木弘道、山口洋一、山田恵久、屋山太郎、柚原正敬、渡部昇一、渡邊惣樹
 (平成二十七年四月十三日現在)


 << 当日のプログラム >>
 総合司会 佐波優子
十八時00分  国歌「君が代」斉唱  開会の辞 加瀬英明
十八時一〇分  記念講演
 「日清戦争における武士の情けーー 伊東祐亨と立見尚文」
直木賞作家 中村彰彦
十八時五〇分 「アメリカ外交からみた日清戦争――列強の外交・舞台裏の真実」
カナダ在住作家 渡邊惣樹
十九時三〇分  呼びかけ人からの発言(予定)梅原克彦、河添恵子、宮脇淳子
小堀桂一郎、石 平、西村幸祐、西村真悟、藤岡信勝、平間洋一
藤井厳喜、高山正之、室谷克実、樋泉克夫、宮崎正弘他
(時間の関係で割愛される場合もあります)
二十時十五分  閉会の辞  水島総
         「海ゆかば」斉唱
           (プログラムは予告なく変更されることがあります)

 この告示の転送歓迎です。メール、ツィッター、フェイスブックなどで御発信下さい。
転載も大歓迎です。
   ○○◎□ ◎□ ◎◇◇○
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なお当日は記念講演の渡部先生と中村先生の当該書籍の頒布ならびにサイン会も予定
 開会は1730です。開演は1800 終演は2030の予定です
 当日は平日に付き、終了後の懇親会は有りません



自動車免許・高齢者講習

2015年04月14日 | 日常・身辺

高齢運転者標識(Wikipedia)

当方の自動車運転履歴:
昭和三十八年に家業を手伝っているとき、父親が自動車学校に行かせてくれて免許をとった。
当時は普通自動車免許で自動二輪の免許も同時にくれた。
その後弟が家業を継ぐことになり、当方はフリーとなる。
いろんなアルバイトをしながら大型免許もとった。おエライさんの運転手やマイクロバスの運転をしたりした。
昭和四十八年から勤め人になり二十五年間、たまに会社の車を運転することはあったが、自動車運転とは縁がなくなった。
平成十一年自己退職、細々と自営業。この間、バイクで山登りにゆく。
平成二十五年廃業。アウトドア仕様の軽四輪を購入しまた乗り始めた。

まだ先の事と思っていたが高齢者講習を受けることになり、西区の自動車学校に出かけた。
誕生月は三月で、それより二ヶ月前に最寄りの講習会場に予約をお願いしたが既にどこも満員、この西区のJ自動車学校がギリギリで受け付けられた。
行ってみてわかったが、受講者は十名程度ずつで、講習内容も視力検査(静止、動体、夜間、視野)、ゲーム機による運転適正検査、運転実技(オートマ車)、最後にビデオによる講話となっていた。所要三時間ぐらいであった。
この内容であれば、やはり少人数で行われるしかないなと納得した。

諸外国では一度取得した運転免許は生涯そのまま使えるところもあると聞く。
しかし、齢と共に身体能力も落ちてきて、他人様に迷惑をかけないようにするにはこのような検査・講習も必要かと思う。

当方普段は軽のマニュアル車に乗っており、オートマチック車は運転したことがなかった。
運転実技ではオートマ車が使われていた。指導員と受講者三名が同乗して学校コースを走る。
マニュアル車も選択できるのだが、雨が降っており乗り換えも面倒なのでそのままオートマ車でやらせてもらった。
最近はレンタカーもオートマ車ばかり、こういう機会に経験しておくのもいいことですと云われた。
普通乗用車は十五年ぶりぐらいの運転だが、昔と違いアクセルもブレーキも反応が格段によくなっいるなと感じた。

視力や運転適性検査結果の総合判定は同年代と比べて「やや優れている」、30~59歳との比較でも「やや優れている」の判定を頂戴した。30~59歳はお疲れではないのか。
ちなみに、男女混合になると、1~3位がいつも女性になるとのこと。
平均寿命では女性は六歳ぐらい上回る。それだけ老化も遅いと云うことだろうか。

ともかく、そこそこの成績でやれやれ・・・。
一旦帰宅して、すぐに県庁近くの更新センターに「高齢者講習終了証明書」を持っていき新免許証を頂いた。
次は四年後、認知症テストが加わるとのこと。ボケないよう、安全運転に努めようと思う。


西村眞悟氏「天皇皇后両陛下をペリリュー島でお迎えして」

2015年04月13日 | 政治・外交
メルマガ「西村眞悟の時事通信」より
http://www.n-shingo.com/
天皇皇后両陛下をペリリュー島でお迎えして 平成27年4月13日(月)

 天皇皇后両陛下は、四月八日、九日、パラオ国に行幸啓され、九日、同国ペリリュー島において同島の戦いで戦死した日米の将兵を慰霊された。

 私は、同志七名と共に、ペリリュー島にて、天皇皇后両陛下をお迎えした。
 そのご報告をさせて戴く。

 八日朝、
 単身、コロール島からボートでペリリュー島に渡った私は、先着の七名と合流し、まず、ペリリュー島の南に浮かぶ宇都宮歩兵第五十九聯隊に所属する千二百名の兵士が二万二千のアメリカ軍を迎えて戦った激戦地のアンガウル島に渡って、同島の戦没者に手を合わせ密林のなかに埋もれつつあるアンガウル神社に参った。

 人気のない錆びた戦車が波に洗われている戦前からの埠頭から上陸してしばらく歩いていると、現地の人がいるので手を挙げて挨拶を交わした。
 その人から水を売る家があると教えられた方向に歩いていると、ドアのないタイヤがつるつるの車に乗っている人と出会った。
 彼は、私たちが日本人であることを察して、三十分後に戻ってくるので島内を案内してやると言った。
 戻ってきた彼に、ジャングルのなかの凹凸の激しい道を案内されて、樹木に覆われたアンガウル神社や避難壕、そして海岸に立つ「砲兵隊慰霊碑」や「しもつけ地蔵像」を訪れることができた。
 アンガウル島も玉砕の島であり、ペリリューからボートで南下して真っ青な海上から島に近づくと北端にぽつりとアメリカ人が立てた白いマリア像が建っている。
 そのマリア像を左手に見てさらに南下して上陸した。
 島内のアンガウル神社は、密林のなかに蔓で覆われた鳥居が建っていて左右に石の狛犬が残っているのを見つけた。拝殿はなく、そこに掲げられていた「アンガウル神社」と書いた額が草に覆われた地面に立てかけられていた。

 昼食は「現地調達」でアンガウルに渡ったのだが、現地に食料はなく、幸い水のある家に見たこともない銘柄のビールも有ったので、それを昼食代わりにした。
 蛇特にまむしを見れば、食おうとヨダレを流して捕まえようとする奴が学生時代の山岳部にいた(実は私)のを思い出して、蛇を探したがいなかった。

 その後、ペリリューに戻り、古いトタン屋根のガレージのような「食堂」で夕食を食べながら、翌日九日に、両陛下を何処でお迎えするか、話し合った。
 人口二万人余のパラオ共和国の警察は、ペリリュー島内にかなり厳しい規制線を引いていると教えられたからである。
 我々は、まず両陛下の乗られたヘリが着陸する地点の近くと慰霊地の近くの二地点でお迎えし、離陸される地点近くに戻ってお見送りすることにした。

 ペリリュー行幸啓の前日のこの日、一日中雨が断続的に降った。
 斜め前方が晴れた真っ青な空でも、いつの間にか真上に雨雲がきていて全身に雨に打たれる。

 九日、
 本日は快晴で青い空がペリリューの上に限りなく広がっていた。
 従って、戸外に出た瞬間、顔の皮膚がフライパンのように太陽に焼かれるのが分かった。  八時四十五分、黒い背広に黒いネクタイをし、額に「七生(日の丸)報国」と書いた鉢巻きを締めて外に出た。

 その「七生報国」とまっ赤な日の丸を見て額に巻いたとき、文永の昔に、八十四騎で微笑みながら蒙古の大軍に突撃して玉砕した対馬の宗助國や、その六十年後に湊川で「七生報国」を誓ってからからと笑って自決した楠木正成ら、さらに微笑んで死んでいった大東亜戦争の無量の将兵ら、祖国日本の永遠を信じて国に殉じた多くの人々が、総て!
 この陛下の来られるペリリューに集まってきているように思えた。

 それ故、西に三十メートルほど歩いて木の枝をくぐって砂浜に出た。
 そして、海に向かって低く「海ゆかば」を歌った。
 魂や髣髴として来たれ、と。

 島の南の密林を出ると、ぱっと幅百メートルほどの今は使われていない古い滑走路跡が現れる。
 ここが陛下のヘリが離着陸される所だ。
 雑草の上に俄にアスファルトを敷いたヘリポートが二カ所造られていた。
 その側に行こうとすると、海上保安庁の作業服を着た若者が離れてくれと要請してきた。
 そこで我々は密林の道に出てパラオの警察官が一人立っている十字路に出て、そこで両陛下をお迎えすることにした。ヘリポートから三百メートルほど離れた地点である。

 約一時間、炎天下で待機した。お迎えする者、我ら八名以外になし。

 轟音が聞こえてきて密林のなかから両陛下の乗られたヘリが現れ、午前九時五十四分、密林のなかに降りていった。

 しばらくすると、密林に囲まれた道に、陛下の車列が現れ、超低速で走行してきた。
 両陛下は、車列の中程の中型バスに乗られていた。
 そのお車の右側に整列した我ら八人、頭を下げてお迎えした。
 お車は、我らの前でほとんど停車され、そして通り過ぎていかれた。
 その車列に、しばらく頭を下げたままお見送りした。
 そのとき、一人の声がした。
 「皇后陛下と目が合った。すると急に、涙があふれたんや、不思議やなあ」

 それから我らは、島の南端の慰霊地に入り、そこから三百メートルほど離れたパラオ警官が一人立っているT字路で、慰霊地に入られる両陛下をお待ちした。

 十一時頃、陛下が通られた。
 皇后陛下は、バスのなかでほとんど立ち上がられて私たちに手を振られた。
 それから、約一時間、待機した。

 その時我らは慰霊地から出られる陛下に万歳三唱をしてお見送りしようと申し合わせた。
 何故なら、そこにも我ら八人以外誰もいなかったからだ。
 そして、両陛下のバスが近づいたとき、元陸上自衛隊大佐殿が音頭をとり、我々は万歳三唱をした。
 もちろん、額には「七生報国」の鉢巻きをして。

 頭を下げたまま万歳三唱はできないので、私は初めて顔を上げて両陛下を直視させて戴いた。
 陛下の何ともにこやかなお顔を拝してお元気そうなのに安心し、バスのなかで、ほぼ立ち上がってご会釈をされる皇后陛下のお姿に言いしれぬ感動を受けた。
 皇后陛下は、弟橘姫の生まれ変わりのようなお方だ。

 思えば、衆議院の委員会委員長として国会の開会日に登院される陛下を、礼服を着て国会正面階段で度々お迎えしたが、五十センチほど前を通られる陛下に対して、こちらは頭を下げているのでお足やお手を拝しても、直に玉顔を拝したことはなかった。

 両陛下は、それからアメリカ軍戦没者慰霊碑に参られた。
 その間に、我々は離陸地点近くの、先ほどの十字路に戻った。
 するとそこには、ペリリュー島に住む人々が集まってきていた。
 島の若い娘さんが、白地に赤い日の丸の日本国旗と青地に月の丸のパラオ国旗を配っていて、我々にもくれた。
 子供も大勢集まってきてはしゃいで遊んでいた。

 島から離れられる両陛下のお見送りはペリリューの人々がする。
 従って我らは「七生報国」の鉢巻きを外した。

 午後一時過ぎ頃、両陛下は、二百人ほどのペリリュー島のほぼすべての住民の見送りを丁寧に受けられて、ペリリュー島における総ての日程を終えられて、密林の向こうのヘリポートに向かっていかれた。
 その陛下の車列を数十人の島の子供達が走ってついて行く。
 懐かしい私の子供の時の風景そのものだった。
 陛下のお車は、その子供達の足より少し速いだけだ。

 十字路に一人立っているパラオの警官は、子供達が何処までもお車に付いて行くのを眺めて止めもしない。
 とうとう、子供達は、陛下の車列と共に、ヘリポートの方に消えていった。
 そして、しばらくすると、ヘリの翼が回転する音が聞こえだし、その回転音がひときわ大きくなってだんだん遠のいて行く。

 このようにして、両陛下は島を離れ、帰国のチャーター機が待つコロールに帰っていかれた。

 翌日、コロールに戻って先に帰国する同志を見送って独りになった私は、パラオに二十年以上住む四十歳代の青年から次のことを聞いた。

 パラオは二十年前までアメリカ領だったので、天皇陛下の車は、セキュリティーの為に、アメリカ流に空港から晩餐会場まで、百二十キロの高速で突っ走るつもりだった。
 しかし、陛下は、それではいけない、沿道のパラオの人々と接しながら行きたい、と言われた。
 それで、陛下のお車は、最徐行で進まれることになった。

 これを聞いたとき、昨日の誰もいないペリリューのジャングルのなかの道を、最徐行で進まれる陛下の車列を思い出し、おもはず涙がにじんできた。
 両陛下は、たとえ誰もいなくとも、かつて一万一千の日本軍将兵が立て籠もったペリリュー島のジャングルを、あたかも、そこに将兵がいるかのように眺められてお通りになっていたのだ。
 そして、誰もいないジャングルのなかの灼熱の道に立って、我々は両陛下をお迎えできた。

 さて、天皇陛下の警備の問題やお召し艦の問題などは、他日触れることにして、本日は、次の一点を述べる。

 天皇陛下の、パラオペリリュー行幸啓による戦没者慰霊を、単に、今上陛下御一代、御一人の、「慰霊がしたい」という思いから発したものとして軽く扱ってはならない。
 戦後は、政治家やマスコミ人も、「開戦の詔書」を読まないから、ここが分からないのだ。

 天皇は、国家と国民の為に「祈る御存在」である。
 よって、陛下は、戦前戦後の揺るぎない連続性のなかで、万世一系の皇祚(くわうそ)を践(ふ)める国家の天皇、としての「務め」を果たされる為にペリリューに赴かれたのだ。

 即ち、次の命令を天皇が発し、その命令の下に、将兵はペリリュー・アンガウルで戦い玉砕した。
 従って、天皇は、この度、ペリリューにおいて慰霊されたのだ。

 ペリリューに押し寄せたアメリカ軍の第一海兵師団は、損耗六十%超に達して、「全滅」という異常な判定を受ける事態となり、アメリカは頑強な日本軍の抗戦に驚愕した。
 そして、その日本軍の精強の根源は、兵士の天皇への忠誠の故だと思い至り、ペリリュー島を「天皇の島」と呼ぶようになった。

 このアメリカの判断は、正しい。
 ペリリューは、「天皇の島」であった。
 それ故、天皇は慰霊に赴かれたのだ。
 これは、国家に対する最深の公務である。

 そして、これほど尊い公務を成せる元首は、世界に天皇しか存在しない。
 この意味で、我が国は万邦無比である。
 では、ペリリューが「天皇の島」となった所以は何か。
 それは、次の命令による(米国および英国に対する宣戦の詔書、昭和十六年十二月八日)。
 天皇は、この命令を発し、将兵は、この命令によって、よく交戦してペリリューを「天皇の島」にした。
 よって、天皇は、「天皇の島」で将兵を慰霊するために行幸されたのだ。

 天佑を保有し、万世一系の皇祚を践める大日本帝国天皇は、
 昭(あきらかに)に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
 朕茲に米国および英国に対して戦いを宣す。
 朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
 朕が百僚有司は、精励職務を奉公し、
 朕が衆庶は、各々其の本文を尽くし、
 億兆一心、国家の総力を挙げて、
 征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。

Wikipedia
ペリリューの戦い
パラオについて


AIIB不参加理由

2015年04月11日 | 政治・外交
日本が中共主導のAIIBに参加しないことについて、マスコミは「バスに乗り遅れた」と批判した。
すでにADB(アジア開発銀行)というものが在り、中共でさえ6.5%の出資をしている。加盟国も67ヶ国ある。
麻生さんの不参加理由激白はごもっともと思える。
借りた金を返さない国が多いとは驚き。
「借りた金は返すのが当たり前。こっちは税金を預かっている」麻生財務相、AIIB不参加理由を激白 2015.4.9 20:10
http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/150409/ecn15040920100039-n1.html

 麻生太郎財務相は9日の記者会見で、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関し、現段階での参加を見送った理由を約10分間にわたって説明した。日露戦争の際に戦時公債を発行したことに触れ、「(日本は)1日も遅れず、1銭たりとも約定を違えず全額を返済した。
しかし、今は世界で借りたお金を約定通り返さない方が多い」とも語り、AIIBによる不透明な融資審査基準や過剰融資に懸念を示した。詳細は以下の通り。

 --日本が参加した場合、AIIB設立当初の出資金は最低でも1000億円と試算されている

 「AIIB参加国は最終的にいくつになるのか知らないが、出資額の総額も中身もわからないので、今の段階で考えているわけではない。何回も同じことを言っているので、もう飽きてきたけど、やることは1つなんですよ。お金を貸すというのは、返ってこないお金は貸せない。返ってこないお金はやるっていうんだからね」

 「(インフラ整備の)ニーズがあるというのはわかる。米国が世界銀行、日本がアジア開発銀行(ADB)、ヨーロッパが国際通貨基金(IMF)は責任を持ってやっている。ところが、日本は1905年、日露戦争をやるにあたって戦時公債を発行した。1000万ポンド。日本は1日も遅れず、1銭たりとも約定を違えず全額を返済した。名も知れぬ東洋の小さな黄色人種にお金を貸した英国もすごかったんだろうが、1銭たりとも、1日も約定を違えずきちんと払った。今日、世界で他国の外貨でカネを借りて返済が滞ったことが1回もない国が日本以外にあるならば教えてくれ。ぜひ俺はそれを知りたい。他の国の中央銀行総裁も知らない」

「だから、お金というのは貸したら返ってくるもんだと日本の人は思っているんだ。子供の時からしつけられてきたんだから。しかし、今、借りたお金を返さないのは多いんじゃないの? 世界で借りたお金を約定通り返さない国の方が多い。何が言いたいかというと、もう1個(国際金融機関を)増やすんだぜ。きちんと審査をして(既存の国際金融機関の)3行で足しても400億円か500億円かといっているときに、いきなり後ろから来て、みんな貸さないの? じゃあ俺(AIIB)が貸してやるよと、300億円、400億円を貸しますと言ってなったとするよ」

 「その時、この後からきた300億円は前から貸している3行の400億円に乗っかった。返済が始まり、400億円のお金は計画通りに返ってくるんだけど、後からきた300億円は全然、融資計画ができていないから、その分は返せませんでしたと。そうなったとき、まずは3行の400億円は優先的に返してくれるかと。国内だったら、まだやれるだろう。しかし、海外相手にそれができるか。700億円が全部焦げ付き、お返しできるお金は300億円だけです、といわれたら、間違いなく被害が出る。こっちは税金を預かっているわけだから」

 「ちゃんと審査やら、何やらは参加する国で決めましょうねと。どういう理事会の構成ですか、審査はどこで、誰がやるんですかと。最初から俺たちはこれしか言っていない。だから(中国側は)返事を下さいと。3月31日というのは、こっちが出した提案を聞かない限りは俺たちは答えようがない。何の返事もないなら、こっちもしようがないと言っているだけだ。AIIBの話というのは、次は(参加判断の期限が)6月だとか報道されているが、どうして6月なのかさっぱり知らない。日本はなぜ参加しないのかと色々な人が言ってくるが、面倒くさくていちいち説明しないといけないので、飽きるくらい同じ話をしている」

中共経済の近未来展望は暗いという。
AIIB設立意図が怪しいのに参加する必要は無いのでは。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成27年(2015)4月8日(水曜日)通算第4511号(前日発行)
http://melma.com/backnumber_45206/

人民元高が逆に中国経済のとどめを刺しかねない
輸出低迷から壊滅、失業膨張、新卒の就労先は激減


  中国経済の近未来展望はますます暗くなった。
 アジアインフラ投資銀行などと他国の面倒をみる余裕をなくすのは時間の問題ではないのか。

  理由を七つ列挙してみる。
 第一は通貨為替レートによる通貨戦争で、中国は負けが込んできたという意外な事実だ。
 通貨戦争という視点に立てば、中国人民元は三年前の日本円の立ち位置である。
 列強が通貨安競争を演じているときに日本だけがQEを実行しなかったため円高が続き、日本企業は陸続と海外へ工場を移転させて国内景気を悪化さえ、失業者を増やした。白川日銀総裁は判断を間違えていたと批判が凄まじくあった。

 いま、米ドル高に引きつられて人民元も独歩高。1人民元は12円から、いまや20円。だから日本に旅行に来ても中国人が割安感を感じるという奇妙な景観も出現したのだ。
 しかし元高は同時に輸出競争力を失う。
 これにより外国企業は採算が合わなくなって「チャイナプラスワン」をスローガンに中国から撤退する。

 ますます中国は不況となり、失業が増える。2015年大学新卒は748万人、このうち150万人がいまだに就労先がない。北京の友人に聞くと、何のコネもない日本企業にも親が飛び込みで「息子を雇ってくれまいか」と聞きに来るそうな。

 国家統計局の発表する「失業率」は3-4%台である。これほどの出鱈目はない。農村から都会へ流れ込んだ流民は数千万人とされるが、みごとに失業統計に反映されていないのだ。

   第二に地方政府の債務が膨張してきたが、いっこうに解決のメドが立っていない。そればかりか、地方政府の一部に地方債権の起債を許可する有様である。地方債務の合計は320兆円、たぶん半分が不良債権かするだろう。
 くわえてシャドーバンキングならびに理財商品の償還期を迎えており、中国の債務総額はGDPの282%で、日本より悪いのだ。

   ▼中国国内の銀行が経営状態が悪化しているのに?

 第三に銀行の機構的再編の遅れ、機能不全、銀行倒産という悲惨な状態が出現した。銀行取り騒ぎが起きないのは「国家総動員法」により軍が出動できるからだ。
中国国内の銀行が経営状態が悪化しているにもかかわらず、対外的にAIIB設立してカネを貸しますとうのは整合性のある話ではない。

 第四に不動産バブルの破裂がいまや誰の目にも明らか、中国語の新聞は連日、こちらの深刻さを取り上げている。
  「庶民の夢」だったマンション購入は高嶺の花となり、もはや手が出ないというのに、他方でも豪華マンションが林立し、しかも誰も住まないゴーストタウン(鬼城)化している矛盾、これこそが一党独裁の社会主義国家が唱える「社会主義的市場経済」のなれの果てなのだが、その惨状を素直に直視できない(不忍直視)、夜は漆黒の闇と化け(夜晩黒漆漆)、これまでGDPの48%が投資、とくに12&が不動産といわれたのだが、その高度成長の牽引車が壊滅状態にある。

 第五に富の偏在、技術の偏在、沿岸部への工業変調による人口動態に異様な動きが出ていることである。  英BBC中国語サイト(4月4日)に拠れば、 中国の資産5億元(約100億円)以上の富裕層はおよそ1万7000人いる。総資産額は31兆元(約620兆円)。この数字は中国の国内総生産(GDP)63兆6500億元(約1273兆円)の半分に相当する。
 民生銀行と胡潤研究院が発表した「2014~2015年中国超富裕層の需要調査研究報告書」に従うと、中国の超富裕層の84%は男性で、平均年齢は51歳である。
 地域別では北京市、広東省、上海市、浙江省に集中し、所有する企業は製造業が全体の25%近くを占め、次いで不動産業、TMT(科学技術、メディア、通信産業)、サービス業、投資、重工業、製薬業、エネルギーの順番という。
 しかし超富裕層は汚職や横領の代名詞でもあり、「大富豪ランキング」に登場したとたんに逮捕され、死刑になった富豪もいる。大富豪ランキングは「死のランキング」とも呼ばれている。

 ▼庶民は社会福祉、生活保護、医療保険とまったく無縁である

 第六にこれほどの金満国家となっているのに社会福祉、生活保護、医療制度は問題だらけ、特権階級のみが社会福祉制度の恩恵にもあずかれるが庶民は蚊帳の外である。
 したがって民衆の党幹部への恨みは深く、こうした所得格差をすこしでも少なくしない限り、庶民、農民の一揆、暴力的抗議運動が納まることはないだろう。

 第七に根絶できない腐敗の問題である。
 習近平が贅沢を禁止したため、ホテルやレストラン、豪華リゾートなど客足が途絶えた。有名レストランでも従業員の給与が支払えず休店に追い込まれ、豪華ホテルでも首切りが横行しはじめた。有名ブランド品も売れ行きはばったりと止まり、撤退か店舗縮小に踏み切ったところもでてきた。

 習近平の「虎も蠅も」という反腐敗キャンペーンは、かなりの大物を血祭りに上げ、庶民の拍手喝采をあびたものの、本物の「大虎」は野放しであり、結局の所、江沢民、李鵬、曽慶紅などを逮捕しないと、庶民の不満は収まらないだろう。

 それでなくともPPIは連続35ヶ月も下落しており、「住宅ローンを組んだ人の99%は破産するだろう」と預言して香港の著名エコノミストの朗喊平は「いかなる政策を断続的に維持し、かろうじて低成長を持続させることは不可能である」とし、市場の改革とは政治改革がなければ実現しない。習近平の唱える「新常態」は新しい南巡講話でとして機能しなければ意味がない」と獅子吼している。

 庶民レベルの経済感覚と見通しを聞いても、希望に満ちた明るい展望がきかれることはなくなった。

 こうした惨状の中国へ周回遅れで投資を拡大するドイツって、やっぱり神経がおかしいか、別の思惑が動機であろう。
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「出家詐欺」

2015年04月09日 | 世相
NHKクローズアップ現代「追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人~」で「やらせ」があったとかで話題になっている。
いろんな詐欺があるが、この「出家詐欺」は初めて聞いた。
Wikipediaによれば、
宗教法人を舞台にした新手の詐欺で、2014年5月14日放送のNHK「クローズアップ現代」にて広く知られるようになった。仏教で出家すれば戸籍の名前を変更できる仕組みを悪用し、多くの多重債務者を出家させて多額の住宅ローンを金融機関などからだまし取る手口だが、その背景には経営難に苦しむ宗教法人の現状があった。現在インターネット上にも、出家をあっせんするホームページが複数存在する。最近では、暴力団排除の流れが進む中で、新たな資金源を求める暴力団関係者も、出家の仕組みを悪用し、名前を変えることで一般人を装い表のビジネスに進出しつつある[1]。
・・・・
チェックが甘い背景には、出家して仏門に入るという神聖な行為であるために、悪用されないだろうという性善説に立っている現状がある。
性善説に立つ法律は用をなさなくなっている。
「人を見れば泥棒と思え」という世の中になったのだろうか。
在日の通名利用の犯罪もしかり。もっとも今年七月から施行される在留カードには通名が記載されなくなるそうだ。


菊水山 山桜

2015年04月08日 | 散歩・山歩き
ようやく雨が上がり日が射してきましたが、気温は低く冷え々々としています。
体を動かしに午后菊水山へ行ってみました。山桜が見頃になっていました。
寒いので石井ダムから南に下りて菊水山南斜面を登り温もることにしました。
とは云うものの、あの斜面一気には登れません。やはり汗が滲みました。

登山口






























 山頂の気温は10度でした。
 木々の若葉、新緑が目立ってきました。



中学校社会科教科書「尖閣・竹島は日本固有の領土」

2015年04月07日 | 政治・外交
日本の領土に関心が高まり、全教科書で尖閣・竹島について取り上げられた。
中・韓は何かと歴史戦を挑んでいる中、時代を担う日本の若者が領土について正確な知識を持つことは重要。
安倍政権が進める教科書の正常化。
竹島・尖閣は「日本固有の領土」…教科書検定 読売新聞2015年4月6日(月)19:11
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20150406-567-OYT1T50062.html

 文部科学省は6日、2016年度から中学校で使う教科書の検定結果を公表した。
 社会科では、初めて全教科書で竹島(島根県)と尖閣諸島(沖縄県)が取り上げられ、「日本固有の領土」などと明記された。歴史的経緯も詳しく説明しており、領土教育の充実が図られそうだ。

 中学教科書は今回、国語、社会、数学、理科、英語など9教科で104点の検定申請があり、102点が修正を経て合格。社会科の2点が、「学ぶ内容を示した学習指導要領に沿っていない」などの理由でいったん不合格になったが、修正後に再申請して合格した。

 うち社会科では、地理、歴史、公民、地図の20点全てで北方領土に加え竹島と尖閣諸島の記述が登場した。文科省教科書課は「全体に領土の記述量が倍増した」としている。特に中学歴史ではこれまで、竹島と尖閣諸島についてほとんど記述がなかったが、今回8点全てで日本の領土になった経緯が説明された。

 背景には、文科省が昨年1月、教科書作りの指針となる学習指導要領解説書(社会)を改定し、竹島と尖閣諸島について固有の領土であると明確に理解させるよう求めたことや、領土への関心が高まっていることがある

【教科書検定】「竹島と尖閣諸島」記述正常化へ成果 “自国領土”学ぶ姿勢整う…課題は自虐史観強い「高校教科書」 (産経新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/sankei-lif1504060046.html

 新しい教科書では、社会科の全教科書が竹島と尖閣諸島を取り上げた。とりわけ現行では7点中1点しか記述がなかった歴史でも8点全てが扱い、地理、歴史、公民と中学3年間を通して生徒たちが自国の領土を学ぶ態勢が整った。学習指導要領解説書の改定などを受け、各社が領土記述重視にかじを切った形だ。

 今回は近現代史で通説的見解がない事項の記述にその旨の明示などを求めた新基準も初適用され、日本の過去を悪く描く自虐史観の傾向もやや改善された。

 昭和57年の高校教科書検定で、中国華北への日本の「侵略」を「進出」に書き換えさせたとのマスコミ各社の誤報を機に中韓が反発し、近現代史の記述で近隣アジア諸国への配慮を求めた近隣諸国条項が検定基準に導入された。これ以降、自虐史観記述が30年にわたり横行してきたが、歯止めがかかったことは、安倍政権が進める教科書の正常化に向け、大きな成果といえる。

 一方、今年度と来年度に検定が行われる高校教科書は、慰安婦の強制連行を強くにじませる記述など自虐史観傾向がより強く、竹島と尖閣諸島についても中韓に配慮してか日本固有の領土とはっきり書かない教科書もある。

 教科書の採択権限は教育委員会にあるとされながら、実態は各校の判断に委ねられている高校では、現場教師の声が直接的に反映されるため、従来型を希望する声に押され、記述の改善が進まない懸念がある。専門性が高いため執筆者側の“抵抗”も予想される。
 今後の課題は高校教科書にある。
(河合龍一)



菜種梅雨

2015年04月05日 | 日常・身辺
きのう(4日)階下の桜が満開になった。


今日は一転して霧と小雨の一日。室温も20度になる。
枯れてしまったのではと心配していた鉢のサツキ、ちゃんと芽吹いてきた。


今週は梅雨のように前線が停滞し、天気はぐずつくらしい。