今、大変な話題を呼んでいる映画『君の名は。』を見てきました。
http://www.kiminona.com/index.html
(公式サイト)
本当に本当に、素晴らしい作品だったと思います。リアルタイムでこの作品に触れる高校生達が凄く羨ましいな、と思いました。
真っ直ぐな物語が、真っ直ぐに描かれ、真っ直ぐに届く。勿論、生きているのが嫌になってしまうような衝撃を与えてくる作品も大好物ですが、一方で非常に素晴らしいクオリティの真っ直ぐな作品が成立し受け入れられる状況が存在している事に喜びを感じました。
ところで、この映画が訴えてくる人間観に対して、「素晴らしいけど大人から見ると、青臭くて気恥ずかしい部分もあるな」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?“青春ファンタジー”という括りをされてしまうのかな?と。
しかし、片手袋研究を長年続けてきた僕から見ると、この映画が訴えかけてくるものはむしろ非常にリアルに感じられたのです。なので、今日はその辺りを少し書いてみたいと思います。
(以下、ネタバレを含みます)
『君の名は。』で重要な意味を持ってくるモチーフに、“組み紐”があります。主人公の三葉の家は代々続く神社ですが、そこには独特の風習が幾つも継承されており、その中の一つが組み紐です。
この丁寧に編み込まれていく組み紐が、たとえ見ず知らずの人とでも複雑に絡み合い形成されていく人間社会や歴史を象徴して、物語の重要な鍵となっていく訳です。
この「時空や場所を超えた人とでも交錯しているかもしれない我々の人生」という部分が、この映画における最大のファンタジー的要素だと思われるかもしれません。「んな都合の良い出会いがあるかい!」という風に。
でもこの考え方。僕が片手袋観察を続けてきた中で“リアルに”感じてきた事だし、ネットやメディアや作品を通じて伝えようとしてきた片手袋の魅力そのものなんですよね。
私達は日々、大切にしている物さえ半分落として忘れて生きている訳ですが、
しかしそれを拾い上げ目立つ場所に置いてあげる人もいる。
この時、落とした人と拾った人の人生は一瞬の交錯を見せるのですが、お互いがそれに気付く事はないかもしれない。
そして僕はその一瞬の交錯を記録し続けている訳ですが、それは常に“交錯した瞬間”ではなく“かつて交錯があった”という証拠を記録しているのです。つまり、片手袋の向こうに、“過去、そこを通過した人々”を見ている訳で、時間の壁を越えて今はいない人を見る、という感覚は非常に理解出来るのです。
なので新海監督が『君の名は。』で描く、「人と人は出会わずして繋がっている。そしてその繋がりは、時空を超えた存在とも時には持てるものなのだ」というような感覚が、片手袋研究家の僕にはファンタジーではなくリアリズムとして受け止められたんですよね。
なによりここだけの話、実はまだ実現していない片手袋アート作品の構想がまさに「紐」を使用したものだったので、正直驚きましたよ。
少し特殊な感想になってしまいましたが、勿論片手袋視点なんて抜きにしても傑作である事は間違いないので、未見で気になっている方は今すぐ劇場へ急いでください!