今年の二月、読売新聞に片手袋研究の事を取り上げて頂きました。
その時の記者の方から、「本日4/16(木)の読売新聞『こどもの詩』という欄に片手袋の詩が掲載されている」と連絡を頂きました。
早速チェックしてみると、中学三年生が書いた『冬』という詩でした。
アップする訳にはいかないので要約すると、「冬になると道端に片方だけの手袋が落ちている。拾おうとは思わないけど、落とした人は寒いだろうな」という内容。
片手袋の存在に気付いてくれているだけで嬉しくなっちゃいますね。普段から色んな事を気にしている子なんじゃないかな~?
ただ評者の方が「その人には大事でも他人にとっては役に立たないものがあるけど、片手袋はその代表格」というような事を書いていまして。
「いやいや、その役に立たないようなものでも拾い上げる人達が沢山いるんですよ(つまり介入型)!」と思いました。
いずれにせよ、読売新聞はコボちゃんで度々片手袋ネタが出てくるし、先日僕の活動を取り上げてくれたし、今日の詩もあるし。どうも片手袋濃度が高い新聞ですね!
もう夜になってしまいましたが、ご覧になれる方、是非本日の朝刊をチェックしてみて下さいませ。
片手袋なんて小さな事象を研究していても、やはり時代という大きい流れの影響を実感する事があります。
最近の一番分かりやすい例で言うと、スマホ用片手袋ですね。指の先の色だけ変わってるやつです。
仕事、エンターテイメント、読書、交友関係…。スマホの登場、普及により変わった事は沢山あると思います。誰も気付いていないと思いますが、その波は片手袋にも確実に届いている訳です。
そして先日出会ったこの片手袋。
写真では大きさが分かりづらいですが、これ、子供用の手袋です。しかもスマホ対応。大抵のガジェットは高級品として世に登場し、やや定着してきた頃に大幅な値下げが行われ普及が進んでいくと思います。
スマホの場合普及は何年も前に完了し、今や子供が持っていてもおかしくないレベルになったんですね。すると当然子供用スマホ対応手袋が販売され、それが片手袋になる、と。
…「だからなんだ!」って?そんな事言ったら片手袋なんて全部「だからなんだ!」ですよっ!
「片手袋が発生しやすい場所」ではなく、「片手袋が残りやすい場所」というのが存在します。
詳しくは以前に書いた記事を参考にして頂きたいのですが、要するに何故か撤去される事なくい箇所に留まり続ける片手袋の事です。
この冬に出会った片手袋では、二月にご報告したこれが当てはまります。
最初に出会った時は“介入型ガードレール系”だったのに…
五日後に何故か“介入型植え込み&花壇系”に変化しており…
その後は二ヶ月近く同じ場所に留まっています。
これは子供用の手袋ですので、なんとなく近隣の方が捨てづらいのでしょうか?
毎日通る場所にあるので、いつかコイツがなくなってしまったら心にポッカリと穴が開いてしまいそうです。
これだけ時間が経ってしまったら恐らく持ち主の下に戻る事はないでしょう。それならば、せめて僕が毎日気にしてあげる事でコイツも寂しさが紛れるような気がします。
「片手袋研究って供養だね」。先日、ずっとお会いしたかった人に言われたそんな指摘を思い出しました。
前回、「片手袋の冬の旬はいつからいつまでなのか?」を定義付けしました。つまりそれは同時に、「片手袋の冬の旬は終わった」という事を言いたかった訳です。
しかしそれを書いた次の日から東京はこの寒さ…。いわゆる「寒の戻り」というやつでしょうか?
それに伴い、滅茶苦茶冬っぽい“ファッション類介入型ガードレール系片手袋”にも出会ってしまったり。
何かを定義付けしようとすると、すぐに裏切られてしまう。しかし、この翻弄され続ける感じ、嫌いじゃないのよ。というより、それこそ片手袋研究を続けられる理由だったりします。