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3月16~17日の土日で、会津・喜多方へ旅行に行った。 我等のチームのヤヘイ選手が還暦を迎え、これを機に退職して喜多方の実家に帰ることになった。 これを仲間でお祝いしよう、という計画だった。 ヤヘイ選手は我々の会社のチームの470級の選手で、関東実業団優勝という輝かしい戦歴の持ち主だ。 集まったのは、関西チームから3名、総監督の松ZKさん、兵庫県連の重鎮の川KMさん、470級バルセロナ五輪代表のO津さん。東北・秋田からは名物男のKM田リザエモンさん。福島からは日本一のクルー、幹事役の菊CHさん。那須からはPこと平YMさん。そして東京からは同じく470級ワールド4位のダイゴロー、アジア大会銅メダルののび太君など7名、総勢13名。 会津東山温泉「ホテル新滝」で大宴会となった。 松ZKさんの挨拶と乾杯で始まり、大阪の石ZK選手からの能登のお酒、「会津桜」「夢心」などの地酒をいただきながら、すぐに盛り上がっていった。 いくら話をしても尽きない、いくら呑んでも酒が足りない、部屋に戻ってからも延々と続いた。 新幹線から呑んでいた私は早々にふとんに倒れてしまった。 O津選手が入社して間もない頃、「いつまでも学生気分でいるな」とヤヘイ選手に一喝されて「目が覚めた」と言っていた。 ヤヘイ選手にとって、いい餞(はなむけ)の言葉になったのではないかと思う。 翌朝も早くから話が始まり、朝食宴会のあと全員で会津・鶴ケ城を訪ね、戊辰戦争・白虎隊の史実に触れ、マジメに学習も・・・。 さて問題は昼食、会津だから「蕎麦だろう」、喜多方の「ラーメンだ」の問答があったが、前夜から喜多方ラーメンマップを研究?していたヨセフの熱意に負けてラーメンとなった。 喜多方ラーメンはここから始まった、という「源来軒」に入り、ここでもギョーザ・ビール・冷酒になり、〆はラーメン、美味しかった、のだが、ヨセフが「ここのは普通のラーメンだ」などとおかしな事を口走り、あーだ、こーだの珍問答となった。 さてさて、ここまで来たのだから「ヤヘイ選手の母上にご挨拶を」ということになり、全員で実家に押しかけた。 母上は、優しい笑顔と会津弁で温かく迎えてくれた。 松ZKさんは一晩ヤヘイ宅に泊まるので一人残してそれぞれの帰路についた。 来年はリザエモン選手とダイゴロー選手の還暦祝いを仙台でやることが決定したので、それを愉しみにまた一年元気でいようと思う。 43年前、加藤さんが創って、渡邊タクさんが育ててくれた仲間が、こんなに大きな輪になった。 発足当時18歳だった落I選手が全員に温かい目配りをしてくれていたのが嬉しかった。 郡山まで送ってくれたPさんありがとう。 幹事の菊CHさんアリガト。
3月16~17日の土日で、会津・喜多方へ旅行に行った。 我等のチームのヤヘイ選手が還暦を迎え、これを機に退職して喜多方の実家に帰ることになった。 これを仲間でお祝いしよう、という計画だった。 ヤヘイ選手は我々の会社のチームの470級の選手で、関東実業団優勝という輝かしい戦歴の持ち主だ。 集まったのは、関西チームから3名、総監督の松ZKさん、兵庫県連の重鎮の川KMさん、470級バルセロナ五輪代表のO津さん。東北・秋田からは名物男のKM田リザエモンさん。福島からは日本一のクルー、幹事役の菊CHさん。那須からはPこと平YMさん。そして東京からは同じく470級ワールド4位のダイゴロー、アジア大会銅メダルののび太君など7名、総勢13名。 会津東山温泉「ホテル新滝」で大宴会となった。 松ZKさんの挨拶と乾杯で始まり、大阪の石ZK選手からの能登のお酒、「会津桜」「夢心」などの地酒をいただきながら、すぐに盛り上がっていった。 いくら話をしても尽きない、いくら呑んでも酒が足りない、部屋に戻ってからも延々と続いた。 新幹線から呑んでいた私は早々にふとんに倒れてしまった。 O津選手が入社して間もない頃、「いつまでも学生気分でいるな」とヤヘイ選手に一喝されて「目が覚めた」と言っていた。 ヤヘイ選手にとって、いい餞(はなむけ)の言葉になったのではないかと思う。 翌朝も早くから話が始まり、朝食宴会のあと全員で会津・鶴ケ城を訪ね、戊辰戦争・白虎隊の史実に触れ、マジメに学習も・・・。 さて問題は昼食、会津だから「蕎麦だろう」、喜多方の「ラーメンだ」の問答があったが、前夜から喜多方ラーメンマップを研究?していたヨセフの熱意に負けてラーメンとなった。 喜多方ラーメンはここから始まった、という「源来軒」に入り、ここでもギョーザ・ビール・冷酒になり、〆はラーメン、美味しかった、のだが、ヨセフが「ここのは普通のラーメンだ」などとおかしな事を口走り、あーだ、こーだの珍問答となった。 さてさて、ここまで来たのだから「ヤヘイ選手の母上にご挨拶を」ということになり、全員で実家に押しかけた。 母上は、優しい笑顔と会津弁で温かく迎えてくれた。 松ZKさんは一晩ヤヘイ宅に泊まるので一人残してそれぞれの帰路についた。 来年はリザエモン選手とダイゴロー選手の還暦祝いを仙台でやることが決定したので、それを愉しみにまた一年元気でいようと思う。 43年前、加藤さんが創って、渡邊タクさんが育ててくれた仲間が、こんなに大きな輪になった。 発足当時18歳だった落I選手が全員に温かい目配りをしてくれていたのが嬉しかった。 郡山まで送ってくれたPさんありがとう。 幹事の菊CHさんアリガト。