>360488 大人が目先の問題とらわれずに、子どもの未来に何が大切なのか >井垣義稀 ( 26 会社員 ) 20/09/25 PM00
>とある母が「ある先生の記事」を読んで感じた“子どもの未来に何が大切なのか”について。
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> ☆君のお母さんが「虹色教室の奈緒美先生の記事共感しました」と言われていて、私もとても共感したので一部を掲載させてもらいます。
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>成長過程に難しさを持つ子、
>できるできないにばらつきを持ちつつ育っていく子が、>どこもかしこも四面楚歌のように、> 行きついた果てで行き止まりにぶつかっているように見える時も、>それは現状の最適でないことすべての先端までいききったうえで、>それらすべてを解決するより大きな成長を成し遂げることがあるな、>ということなんです。
そうですね。得手に帆を上げるのですね。
> 環境に適応しやすい子たちが、大人の求めるものを早くから発達させる傍ら、> 環境への適応が難しい子たちは、経験であれ、感情であれ、> 探索活動であれ、試行錯誤であれ、> 想像であれ、失敗であれ、とにかくしつこく行きつくところまで行って >境界線上でちょっとした嵐を巻き起こしているんですから、>いったんそれらが収束するなり統合するなりすると、> 思いがけない価値が生み出される、>とも感じているんです。
それは、個性の開花ですね。
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>「現状の最適でないことすべての先端までいききったうえで、>それらすべてを解決するより大きな成長を成し遂げることがある…」 > 教育者も親も、子どもが先端までいこうとすると「もっと悪くなるのではないか?」という不安から、その前に何とかしてあげることが教育や躾だと思って、子どもは先端までいけず成長できないことってあるなぁと思います。
それは、老婆心によるものですね。
> 周囲の大人も不安はあるけど、そこをグッと耐えながら、子どもの成長を見守ったり、周囲に協力や理解を求めて、子どもが先端まで経験できる場を作ってあげることって本当に大切だなぁと実感しています。
何事も経験が大切ですね。
> 子どものケンカ一つとってみても、ケンカをする前に大人が止めてしまったり、> 少しでも子どもが適応できなければ、早期発見・診断という名のもとに枠に入れてしまったり >危ない経験は全て排除したり等々、多少のリスクや危険が子どもの生命力や能力高めることにつながるのですが、その経験を全てとり上げてしまっては「生きる力」はどこで育つのだろうか?と疑問を感じてしまいます。
そうですね。 苦い経験は、人生の為の良薬になりますね。
>もちろん、自分が大ケガをしたり、他人にケガをさせることは絶対に避けなければいけません。 >そのためにも少しのリスクを経験することの大切さを伝えたいのですが・・・その加減が難しいですね。
大怪我を避けるために子供には大人の監視が必要になりますね。
> 幼少期に経験不足の子が、小学生になって突然自由にしていいよと言われても、五感や第六感を体験していないと、大ケガをするリスクは増えてしまいます。
そうですね。自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。
> 心の問題も同じで、無理をさせたら傷つくのではないか?と心配し過ぎるよりも、「思いきり嫌だと泣き叫んでもいいよ」と大人が覚悟できるかが大事なのではないかと思います。 >どんなに泣いてもあなたの周囲は変わらないよ、大丈夫だよという大人の気構えが子どもを安心させます。
そうですね。我々には現実直視が大切ですね。忖度 (推察) を働かせてはなりませんね。
>子どもの不安に大人も一緒になって「なに?なに?どうした?」と不安になっていたら、子どもはどこに着地していいのかわからなくなりますから。 > 大人がリスクを負いたくないから、子どもにもリスクを負わせないようにする。 >常識的な考え方かもしれませんが、大人にとってはメリットがあるかもしれませんが、子どもにとっては後々大きなリスクになるのではないかと危惧しています。
そうですね。我々には、’自主独立’ (independent) の気風が必要ですね。
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