また、こどもが暴力で殺された。千葉県野田市。
ニュースでは、心愛ちゃんが発したSOSが聞き入れられることがなかった大人の対応のまずさが際立っている。
こどもを虐待する男は、ほとんど妻にも暴力をふるっている。
母親が虐待を止めなかったということで逮捕されたが、母親も暴力の被害者だ。
きょうの魁新聞に、琉球大学の教授上間陽子さんが、この事件について評論を書いていた。
沖縄県糸満市に住んでいたころ、この母親は、医師や自分の母親に何度も夫の暴力を訴えていたそうだ。
そして、心愛ちゃんの祖母に当たる人も、小学校や市役所に相談に行っていたようだ。それでも父親が親権者ということで、心愛ちゃんをつれて行ってしまったそうだ。
父親は、外面がいいのだろう。出てくる情報は、いい人らしい父親だ。DVをする男は、おしなべて外面がいい。それだからこそ、怒りをためこんで、対象をみつけて暴力をふるっているのだろう。
母親のSOSも祖母のSOSも、そして本人のタスケテのことばも聞き入れられることはなかった・・。
野田市の教育委員会には、ほんとうに腹がたつ!
DV男が外でみせる「いい人」のために、女性や子どもの訴えは、「そうされるなにか理由があるにちがいない」と、暴力に慣れている人の頭には入っていくのだ。
しつけだったと言われれば、「暴力をふるってもしつけしなければならないことがあるかもしれない」と、暴力慣れしている人の頭の中にはいっていくのだ。
体罰を容認してきた、暴力を容認している、社会全体の問題なのだが。
先週、大阪に行って、子どもの虐待防止に取り組んでCAPプログラムを日本に紹介し、広めた、森田ゆりさんの研修を受けてきた。子どもを虐待してしまう親のための回復のための「MY TREE プログラム」の話。現在執筆中の「体罰と戦争」の本の話もあった。
森田さんは、なぐられていい人はだれもいない・・という。
私は、20年近く前に、森田ゆりさんの講演を横手市で聞いて、以来、なんども大阪に行った。
昨年11月の母の死後、自分の活動に無力感を感じていたのだが、女性や子どもが、暴力のない社会で生きていけるような社会をつくりたい・・・その原点に立ち返って、またできることをやっていきたい。と思っている。
事件があるたびに、二度とこのようなことが起きないようにといのる・・みたいなことではこういう事件はなくならない。暴力の本質を考えていくことが大事なのだ。
去年の目黒の虐待死した子どもの名前が結愛ゆあ)ちゃん、今度の野田市が心愛(みあ)ちゃん。ふたりとも「愛」の文字があるのに、愛されなかったことがほんとうに切ない。