2014/12/28 ウェストミンスター小教理問答31「イエス・キリストを受け入れるように」
エゼキエル書十一章19-20節
聖霊が、私たちに、イエス・キリストの贖いを届けてくださる。そのことを確認しながら、今日は「有効召命」という言葉を手がかりに、神様の救いの恵みを覚えましょう。
問 有効召命とは何ですか。
答 有効召命とは、それによって神の霊が、[第一に]私たちに自分の罪と悲惨を悟らせ、[第二に]私たちの思いをキリストを知る知識で照らし、[第三に]私たちの意志を新たにすることによって、福音において無償で私たちに提供されているイエス・キリストを受け入れるように、私たちを説得し、また、実際受け入れることができるようにしてくださる、そのようなみわざです。
「召命」というのは、「召す」ということです。こちらに来なさい、あなたはどこに行きなさい、このような仕事をしなさい、裁判所へ行きなさい…そのような時に「召集」「召喚」「召還」と言います。礼拝の最初でも「召詞」と言って、神様が私たちを礼拝に召しておられる言葉を一緒に聞いて、礼拝が始まるのですね。そして、「有効召命」という場合の召しは、「イエス・キリストを受け入れるように」という召しです。教会では、いろいろな機会に、まだイエス様を信じていない人は、イエス様を受け入れましょう、福音を信じてください、と呼びかけます。これも、「召し」です。
けれども、そういう招きをしても、分かりましたと応じる人ばかりではありません。むしろ、殆どの人は、なかなかその招きに答えませんね。では、神様が人間を救おうとなさっても、人間がそれを断ることは出来るのでしょうか。神様の呼びかけを人間がスルーしてしまうこともあると考えて良いのでしょうか。
今日の「有効召命」という言葉は、それを言っています。聖霊が救いを届けてくださる時には、それは「有効」だ、「効き目・効力が有る」と言うのですね。無効ではなくて、有効なのです。人間が福音を話しても、相手が聞くかどうかは分かりません。けれども、聖霊が救いへと招いてくださるのは「有効」ですよ。人間が無効にしたり、スルーしたり出来ない、確かな「召し」ですよ、と言っているのです。教会の説教や集会での招きは拒むことも出来ます。でも、神様が見えない所で深く心に働いておられて、
…福音において無償で私たちに提供されているイエス・キリストを受け入れるように、私たちを説得し、また、実際受け入れることができるようにしてくださる…
聖霊の御業が有効に働いているから、人がイエス・キリストを受け入れることが出来るのです。そういう御業を信じて、教会は、伝道を続けていけるのです。
もし神様が招かれても、人間が拒むことが出来るとしたらどうでしょう。召命の内容は、ここにある通りです。
…[第一に]私たちに自分の罪と悲惨を悟らせ、[第二に]私たちの思いをキリストを知る知識で照らし、[第三に]私たちの意志を新たにする…
人間は、自分の罪と悲惨を認めたくありません。キリストを知る知識の光からは何とかして逃れて、隠れようとするのが生まれつきの人の本心です。意志を新たにされないまま、古い自分では、意志を新たにすることなど願いもしません。もし、人間に、1パーセントでも、神様の招きを拒む余地があったとしたら、救いはたちまち脆く崩れ去ってしまいますし、私たちも絶望するしかありません。でも、神様の召命は有効です。
ヨハネ六44わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
この「引き寄せる」という言葉は、他に漁師が海に投げ入れて魚でいっぱいになった網を引っ張る時に使われる言葉です。グイーグイッと手繰り寄せる、そういう動作です。神様が、私たちのこともこのように力強く引っ張ってくださるのです。そうして私たちが、福音において提供されているイエス様を、受け入れるように説得してくださって、受け入れさせてくださって、イエス様のもとに行く事が出来る、のですね。決して、自分では行くつもりもないのに、嫌がる私たちを、神様が無理矢理引き摺っていく、ということではないのです。私たちの心に働いてくださって、自分の罪と悲惨を悟ることが出来るようにしてくださり、イエス様を知る知識で心を照らされ、私たちの意志を新たにしてくださる。だから、本人としては、色々な迷いや心配はあるとしても、それでも自分で納得して、「イエス様を信じよう。自分の罪や悲惨は本当だ。イエス様によって新しくしていただきたい」と、心から願って来るのですね。それは、実は、聖霊による御業であって、「有効召命」と呼ぶに相応しい、力強い招きなのです。先に読んだ通り、
エゼキエル十一19「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
20それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの民となる。」
私たちに新しい心を下さることは、神様のご計画でした。この世界を作られた神様の大きなご計画の中で、私たちの心が罪を悔い改め、イエス様の光で照らされ、新しくされることが着々と進んでいくのです。だから、私たちもまた、神様の恵みに与って、救いをシッカリと戴き、新しい心を戴くことを期待していいのですね。神様が、私を救いに招いておられるだけではなくて、私たちのうちに力強く働いてくださいます。罪を認めさせるだけではなくて、イエス様を知る知識の光を照らしてくださいます。そして、心を新しくしてくださいます。ホントかな?と思ってしまっても、神様の方がそれを望んでおられるのですから、私たちは、神様に、素直に祈っていきましょう。
神様は、どんなひどい人の心にも働いて、罪に気づかせ、イエス様の贖いを受け取らせることが出来るお方です。「この人は駄目だろう」と諦めることはありません。逆に、どんないい人も、聖霊によらなければ、罪を認めることは出来ません。「いい人だから信じるだろう」という期待も的外れです。神様にお任せして、ただ、自分については謙遜に、正直に、そして神様の福音への信頼と喜びに溢れて歩む。それが、神様の私たちに対する御心ですし、そういう私たちの姿を通しても、有効召命の御業は広がるのです。