2015/08/09 ウェストミンスター小教理問答63-4「親も子どもも敬え」エペソ六1~4
今日と来週は、十戒の第五の戒めから、神様の深い御心を教えられましょう。今までは、他の神があってはならない、偶像を造ってはならない、神の御名をみだりに唱えてはならない、安息日を覚えよ、という事でした。生ける本当の神様だけを礼拝することが、その方法や、心持ちや、時間の過ごし方から教えられていました。それが、十戒の前半の要求でした。後半では、神様との縦の関係から、人間同士の、横の関係についての内容になります。その最初が、今日の第五の戒めです。
問63 第五戒は、どれですか。
答 第五戒は、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」です。
問64 第五戒では、何が求められていますか。
答 第五戒は、目上の人、目下の人、あるいは対等な人として、さまざまな立場と関係にある、あらゆる人の名誉を守り、その人に対する義務を果たすことを求めています。
次の第六の戒めは「殺してはならない」なのですね。「殺してはならない」よりも先に「父と母とを敬え」が来ます。これは、とても面白いと思いませんか。勿論、どっちも大事なのですよ。殺人は親不孝よりも罪が軽い、という意味ではありません。順番であって、優先順位とか比較ではないのです。
でも、私たちはみんな親があって、生まれたのです。生まれる前から、親との関係があって、命が与えられたのです。そんな意識はないでしょうが、赤ちゃんにとって最初は親との関係が人生の全てです。そこから段々と他の関係にも気づくようになっていくのです。だとすると、人間にとって「殺してはならない」よりももっと根源的なことは、確かに親との関係ということなのだなぁと思わされて、十戒の順番が持っている意味が「なるほどなぁ」と分かるのです。
ウェストミンスター小教理問答では、「あなたの父と母を敬え」を解説して、
…目上の人、目下の人、あるいは対等な人として、さまざまな立場と関係にある、あらゆる人の名誉を守り、その人に対する義務を果たすことを求めています。
としています。親というから、目上の人だけかと思ったら、目下の人、あるいは対等な人、あらゆる人だ、というのです。学校の先生や上級生、先輩、職場の上司、政治家や指導者たちだけではないのです。下級生や後輩、職場の部下、社会の立場の低い人、弱い人も、同僚や仲間も、引いては、通りがかりの人や見知らぬ人も含めた、すべての人に対して、その名誉を守り、果たすべき義務があれば果たしなさい。そう言います。それぐらい、お父さんお母さんとの関係は、すべての人間関係の土台だ、という事ですね。
でも、そんなに大切ならば、わざわざ「あなたの父と母とを敬え」とわざわざ何故言う必要があるのでしょうね。それはやっぱり、お父さんとお母さんと言えども、尊敬するのが難しいこともあるから、ですね。大好きなお父さんとお母さんでも、間違うことがあります。話しを聞いてくれなかったり、分かってくれないと思ってしまったりすることもありますね。嘘を吐いたり、裏表があったりするかも知れません。僕は小学校の時に、家族でドライブをしていたら、お父さんがスピード違反で捕まったことがありました。「お父さんはクリスチャンなのに、警察の人に謝っている」と、物凄くショックだった記憶があります。中には、間違っている時の方が多くて、お父さんお母さんを尊敬するだなんて難しすぎる、と思わずにはおれないお友達もいます。とても悲しいことですが、親になっても、どう子どもを愛して、育てたら良いのか、分かっていない人もいるのです。聖書が、「あなたの父と母を敬いなさい」と言っているのは、そんな酷い大人がいると考えていないからではありません。むしろ、聖書は、大人も子どもも、みんな罪があると教えています。親になったからといって、立派なお父さんお母さんになるわけではありません。良かれと思ってでさえ、間違った育て方をしてしまうのが人間なのだ、と聖書は言っているようです。
ですから、神様は十戒で、どんなお父さんお母さんでも、「好きになりなさい」「言うことを絶対聞きなさい」と言っているのではないのです。エペソ書六章1節でも、
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
と言われていました。「主にあって」とは、主なる神様とともに歩む者として、ということです。もし、親が主の御心に逆らうことを言ったら、それでも親の言うことに聞き従え、ということではないのです。そして、親にも、
4父たちよ。あなたがたも、子どもを怒らせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。
と言われたのですね。子どもにだけ、親への尊敬を命じたのではないのです。
十戒でも、最初には何と言われていたでしょうか。
出エジプト二〇2わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
でしたね。それが、十戒の全ての出発点です。
「父と母を敬え」
もそうです。神である主が、イスラエルの民を導き出してくださいました。尊い御業で神の民としてくださいました。それでもまだ、イスラエルの民は間違いを犯し、罪の思いから自由ではありません。自分の家族という一番大切な関係でさえ、こじらせてしまうのです。でも神は仰います。あなたがたの土台は、わたしだよ。親との不完全な関係から、わたしがあなたがたのために果たした完全な関係に、あなたの生きる土台を変えなさい。親との関係は多かれ少なかれ、必ず壊れている。あなたが親になった時にも、完全な親になんかなれっこない。それでも、わたしがあなたがたを愛しているのだから、あなたがたは自分の親を不完全なままで大切にしなさい。自分の子どもに対しても、わたしがあなたがたを親子として結び合わせることを信じなさい。神は、私たちをご自分の民としてくださった完全な関係を土台として、全ての人間関係を新しい目で見させてくださるのです。
神様は天の父として、私たちを本当に愛してくださっています。その神様が、私たちに必要なこととして、親を心から大切にしなさいよ、と言ってくださっています。この戒め自体が、完全な天のお父様から与えられた、愛の籠もったプレゼントなのです。