[1] この「信じる」は、写本に二種類の系統があり、「(一度)信じる」不定過去の時制であれば、未信者が信じることを主に差すでしょうし、「信じ(続け)る」未完了時制であれば、既にキリスト者である人々が信じ続けることに焦点があると言えます。どちらの写本が有力かは意見が分かれるところです。「新改訳2017」では欄外に「異本「信じ続けるため」」とあり、両方が併記されています。
[2] ジェームス・ブライアン・スミス『エクササイズ』(松本雅弘訳、いのちのことば社、2016年)では、「第7章 神はご自分を捧げるお方」の結びの「魂を鍛えるエクササイズ」で「ヨハネの福音書を読む」ことを勧めます。「ヨハネの福音書はユニークな福音書です。ロゴスすなわちことば、あるいは「人となって、私たちの間に住まわれた」神の子について語るプロローグをもって始まります。ヨハネは一連のユニークな物語を綴りながら、、イエスを垣間見せようとしていますが、ヨハネの福音書において最も重要なことは、イエスと天の父との関係がはっきりと描かれている点です。」(242ページ)
[3] ことばロゴス ヨハネで40回。1:1(初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。)、14(ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。)、2:22(それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。)、4:37(ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。)、4:39(さて、その町の多くのサマリア人が、「あの方は、私がしたことをすべて私に話した」と証言した女のことばによって、イエスを信じた。)、4:41(そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。)、4:50(イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。)、5:24(まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。)、5:38(また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。)、6:60(これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」)、7:36(『あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません』とあの人が言ったこのことばは、どういう意味だろうか。」)、7:40(このことばを聞いて、群衆の中には、「この方は、確かにあの預言者だ」と言う人たちがいた。)、8:31(イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。)、8:37(わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。)、8:43(あなたがたは、なぜわたしの話が分からないのですか。それは、わたしのことばに聞き従うことができないからです。)、8:51(まことに、まことに、あなたがたに言います。だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。」52ユダヤ人たちはイエスに言った。「あなたが悪霊につかれていることが、今分かった。アブラハムは死に、預言者たちも死んだ。それなのにあなたは、『だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を味わうことがない』と言う。)、8:55(あなたがたはこの方を知らないが、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしもあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っていて、そのみことばを守っています。)、10:19(これらのことばのために、ユダヤ人たちの間に再び分裂が生じた。)、10:35(神のことばを受けた人々を神々と呼んだのなら、聖書が廃棄されることはあり得ないのだから、)12:38(それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」)、12:48(わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。)、14:23(イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。24わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。」、15:3(あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。)、15:20(しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。)、15:25(これは、『彼らはゆえもなくわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。)、17:6(あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました。)、17:14(わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。)、17:17(真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。)、17:20(わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。)、18:9(これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。)、18:32(これは、イエスがどのような死に方をするかを示して言われたことばが、成就するためであった。)、19:8(ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れを覚えた。)、19:13(ピラトは、これらのことばを聞いて、イエスを外に連れ出し、敷石、ヘブル語でガバタと呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。)、21:23(それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。)
ちなみに、以下の「ことば」はロゴスではなく、レーマ。3:34(神が遣わした方は、神のことばレーマを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。)、5:47(しかし、モーセが書いたものをあなたがたが信じていないのなら、どうしてわたしのことばレーマを信じるでしょうか。」)、6:63(いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちレーマです。)、6:68(すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばレーマを持っておられます。)、8:47(神から出た者は、神のことばレーマに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」)、10:21(ほかの者たちは言った。「これは悪霊につかれた人のことばレーマではない。見えない人の目を開けることを、悪霊ができるというのか。」)、12:47(だれか、わたしのことばレーマを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその人をさばきません。わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです。)、14:10(わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばレーマは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。)、15:7(あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばレーマがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。)、17:8(あなたがわたしに下さったみことばレーマを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。)
[4] ヨハネの福音書9章。
[5] 七つの奇蹟:①カナの婚礼のぶどう酒(2章1-11節)、②役人の息子の癒やし(4章46-54節)、③ベテスダの池で、足の萎えた人を癒やす(5章1-9節)、④五つのパンと二匹の魚で五千人の給食(6章1-14節)、⑤水上歩行・嵐を鎮める(6章15-21節)、⑥盲人の癒やし(9章1-41節)、⑦ラザロの復活(11章)、そして復活と、ガリラヤ湖での大漁の奇蹟(21章1-14節)。
[6] ヨハネの福音書3章。
[7] 「永遠のいのち」17回。「天国」ではなく、イエスに結ばれた永遠の生き生きとした、新しい歩み。自力で獲得するのでなく、イエスが下さったことを驚き、喜び、生かされるのだ。
いのち、ゾーエー。ヨハネに36回。うち、17回が「永遠のいのち」。1:4(この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。)、3:15(それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」)、3:16(神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。)、3:36(御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。)、4:14(しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」)、4:36(すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに至る実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。)、5:21(父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。)、5:24(まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。)、5:26(それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。)、5:29(そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。)、5:39(あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。)、5:40(それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。)、6:27(なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」)、6:33(神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」)、6:35(イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。)、6:40(わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」)、6:47(まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。48わたしはいのちのパンです。)、6:51(わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」)、6:53(イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」、6:63(いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。)、6:68(すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。)、8:12(イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」)、10:10(盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。11わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。)、10:15(ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。)、10:17(わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。18だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」)、10:28(わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。)、11:25(イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。)、12:25(自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。)、12:50(わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。ですから、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」)、13:37(ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」38イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」)、14:6(イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。)、15:13(人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。)、17:2(あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。3永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。)、20:31(これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。)
生きる ザオー17回。4:10(イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」11 その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。)、50(イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。51彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。)、4:53(父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。)、5:25(まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。)、6:51(わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」)、6:57(生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」)、7:38(わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」)、11:25(イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。26また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」)、14:19(あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。)、
[8] エゴー・エイミー(わたしは○○です):①いのちのパン(6章35節)、②世の光(8章12節、9章5節)、③羊の門(10章7節)、④よい牧者(10章11節、14節)、⑤よみがえり、いのち(11章25節)、⑥道、真理、いのち(14章6節)、⑦まことのぶどうの木(15章1節)
[9] そこでヨハネが強調する特徴の一つは、聖霊の働きです。風のようであり(3章)、慰め主であり(14、16章)、復活のイエスは「聖霊を受けなさい」と弟子の派遣を聖霊と直結します(20章)。
[10] 掲載の順番は、ヨハネの黙示録が一番最後ですが、緒論としては、ヨハネの福音書、および、ヨハネの手紙第一から第三が、最も遅く書かれたと考えられています。
[11] そして、ヨハネ伝の21章は後から付け足されたようにも読めますし、半ばの7章53~8章11節までの「姦淫の女の石打」のエピソードは、明らかに後代に書き足された、本来はなかったものです。福音が固定・完結した閉じたものではなく、オープンである面をこのヨハネの福音書は、そうした成立史からもほのめかしてるのでしょう。