聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

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2021/5/30 創世記24章「イサクとリベカ」こども聖書⑯

2021-05-29 12:16:54 | こども聖書
2021/5/30 創世記24章「イサクとリベカ」こども聖書⑯

 今日のタイトルは「イサクとリベカ」です。アブラハムの息子イサクは、リベカという女性を妻としました。そのリベカを迎えるため、アブラハムのしもべが「嫁捜し」の旅をした出来事が、今日の創世記24章です。そのしもべの名前は分かりません。名前の分からないしもべが、遠くアブラハムの故郷まで旅をした出来事を伝える創世記24章は、四頁半もあります。創世記の中でも最も長い24章。創世記の丁度真ん中にあり、無名のしもべの旅をじっくりと伝える24章です。この章は、名もないしもべの旅を通して、私たちにも、神が導いてくださる方であることを、語ってくれる章なのです。
1アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。2アブラハムは、自分の全財産を管理している、家の最年長のしもべに、こう言った。……4あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい。
 アブラハムのいた地から、故郷アラム・ナハライムまで、750kmほどの旅です。富士山から広島ぐらい、鳴門からなら東京を超えて茨城県の向こうまで、ラクダで旅をする大旅行でした。今よりももっと危険で、一ヶ月はかかったでしょう。そうして、しもべは目的の町につきました。そして、井戸のそばにラクダを伏させて言ったのです。
12…「私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。13ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。14私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」
 何て都合の良い祈りでしょう。こんな事を神様に突きつけるなんてどうなんでしょう?決して皆さんは、こんな真似はしないでほしい、とも言いたくなります。ところが、
15しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。16この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。
 願っていた通りの女性、しかも、アブラハムの親戚の美しい娘が、そこに来たのです。
17しもべは彼女の方に走って行って、言った。「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」18すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。ご主人様」と言って、すばやくその手に水がめを取り下ろし、彼に飲ませた。
 そしてこの後、ラクダにも飲ませましょうと言ってくれます。十頭の駱駝に水を飲ませるのはとても大変で時間もかかることだそうです。それをリベカはしてくれました。最後に彼女がアブラハムの親戚でも分かると、しもべは跪いて、主を礼拝して、
27こう言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」
 こうしてしもべは、リベカの家に行きます。そして、夕食を出されても、それをいただく前に、リベカの家族にこの旅の目的を話すのです。彼らの親戚アブラハムが、主の大いなる祝福によって豊かに富んでいること、年を取ってから初めての子イサクが与えられたこと、そしてこの遠い旅を命じて、親戚からイサクの妻を迎えるよう命じたこと。そしてさっきの、井戸端で自分が祈ったら、話し終わる前にリベカが現れて、願い通りにラクダにまで水を飲ませてくれたこと、そうしたすべてを伝えたのです。すると、
50[兄]ラバンと[父]ベトエルは答えた。「主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに善し悪しを言うことはできません。51ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。主が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」
 こうしてリベカは、翌日、しもべとともに旅に出発し、イサクの妻となったのです。
 この話に、神様は直接は登場しません。確かに大きな旅でしたが、そこで特別にドラマチックな出来事や奇蹟があったわけではありません。私たちの生活や、どの夫婦のなれそめにも、多少はこんなドラマはあるものです。しかし、ここでしもべは、神が導いてくださったことを確信しています。主が恵みをまことを施してくださった出来事だと言っています。主がこの旅を成功させてくださったのだ、と確信しています。それを聞いたリベカの家族も、これが主から出たことだと疑わずに受け止めています。そうして、イサクとリベカは結婚して、アブラハムの祝福の約束が受け継がれていったのです。その先の子孫たちも、聖書の民の歩みも、教会の私たちの歴史も、この地味なようで、ユーモアも鏤められているドラマを重ねながら、今日に至るまで進んできました。そして、これからも、主が私たちを導いてくださいます。私たちは、どんな所にも、その主の導きを信じて、見ていくよう招かれています。
 そこに神はハッキリと見えないことの方が多いでしょう。「神がいるなら、もっと違う事になるはずだ」と言う声は沢山聞きます。でも今日の箇所が教えるように、これこそが、神の導き方なのです。そっと偶然を装ったり、長い旅を支えたりしながら、神は私たちを出会わせてくださいます。人が水を汲むような労苦を通して、人と人との間に信頼を与え、新しく何かを始められるのです。だから、私たちも自分の小さな仕事を大切にします。しもべはそのように生きましたし、リベカの家族にもこう言いました。
49それで今、あなたがたが…恵みとまことを施してくださるなら、…」
 しもべは、主の恵みとまことだけでなく、リベカの家族にも、恵みとまことを施すよう呼びかけるのです。
 主が恵みとまことを施し、私たちを祝福してくださる。私たちの生活の中にも、神はこっそり働いています。輝いて賛美されるような派手なあり方ではなく、ささやかな、笑ってしまうような小さな形で、神は私たちの歩みを導いてくださっています。その主の業を、振り返って見る目を戴きましょう。私たちが旅を続け、過去を離れ、新しい道へと踏み出す、すべてに、恵みとまことに富む主はともにおられます。だからこそ、私たちはその導きに相応しく、生きていこうと願えるのです。

《祈り》詩篇二三篇

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