2022/1/23 Ⅰ列王記17章「ツァレファテのやもめ」こども聖書㊹
預言者エリヤは、イスラエルに雨が降らなくなると告げました。それは、本当の神から離れていた人々に、世界を創り、雨を降らせ、太陽を昇らせ、私たちに食べ物を下さるのは、本当の神だけであることを力強く知らせるためでした。神である主は、エリヤを細いケリテという川へ行かせ、烏にパンと肉を運ばせてエリヤを養いました。しかし、
7…しばらくすると、その川が涸れた。その地方に雨が降らなかったからである。
その川も涸れてしまったのです。どうしましょう。そこに導かれたのは神なのに。時に神は、そのようなことをなさいます。でも、それも神のお考えがあってのことです。
8すると、彼に次のような主のことばがあった。9「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
ツァレファテは、イスラエルの更に北、シドンの国の町です。そこまで100km以上はあるでしょう。何より、シドンは異教の国です。アハブ王が今、神を冒涜して礼拝しているバアルの神はシドンの宗教であり、シドンの王女イゼベルこそアハブ王の妻となって、夫をバアル礼拝に引きずり込み、後々までイスラエルを操った女傑です。そのシドンの町ツァレファテに行け、と主は言われるのです。
10彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。
「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
11彼女が取りに行こうとすると、エリヤは彼女を呼んで言った。
「一口のパンも持って来てください。」
12彼女は答えた。
「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」
シドンも雨が降らず、食べ物がなかったのでしょうか。そうではなかったけれど、この女性は貧しくて、食べ物があと少ししかなく、息子と二人の最後の食事を食べて死ぬしかないと絶望していたのでしょうか。もう明日への希望さえ持てない。そんな女性でした。
「あなたの神、主は生きておられます」
は、エリヤの神は生きておられるけれど、私には関係ない、私の神は死んでしまった、という皮肉な言葉にも聞こえます。こんな言葉をいう女性は頼りになるでしょうか。この投げやりな言葉に、こちらまで絶望してしまいそうにならないでしょうか。しかし、エリヤは言いました。
13…「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。14イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
この言葉を、エリヤがいつ聞いたのかは分かりません。ここに来る前だったのか、この時に主がエリヤに語りかけられたのか。興味はありますが、エリヤはこの主の言葉を根拠に、やもめに
「恐れてはいけません」
と言いました。そして、その信頼の証しとして、まずエリヤのために小さなパン菓子を作れと言います。彼女にも、主が生きておられる神であることを信じるよう求めます。そして、彼女はそれに従うのです。
15彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。16エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。
彼女は行って、エリヤの言葉の通りにした。それは丁度5節で、エリヤが主に言われた通り、ケリテ川に行った、というのと重なります。異教徒のやもめが、主の言葉の通りに行動する。そして、思い切って、自分のためを差し置いて、エリヤのために、パンを焼いて与える。この決断が、この状況を変えるのです。本当に主の言葉の通り、瓶の粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。彼らはずっと、パンを食べ、生き延びることが出来ました。この母子は生き延び、エリヤもこの家で養ってもらいました。聖書にはこの後、もう一つ、大きな出来事があったことが書かれています。その出来事を経て、
17:24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」
異国のシドン人の貧しい女性、もう息子ともども死ぬしかないと思っていた女性が、こんな言葉を口にするのです。イスラエルの王アハブや、国民たちも、エリヤを疎んじていました。エリヤの語るのが主の言葉であることを認めようとしませんでした。そんな中この女性が、こういう告白をしたことは、本当に不思議なことです。決して小さくない、かけがえのない尊いことです。そして、神様はそのようなことをなさるお方です。後に、イエスはこの出来事を引き合いにして、集まった人々に語られます。
ルカ4:25~26「まことに、あなたがたに言います。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、26 そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、シドンのツァレファテにいた、一人のやもめの女にだけ遣わされました。」
今日の出来事を引き合いにして、イエスは神の眼差しの思いがけなさを語られました。すべての人にとって、まことの神が神として働かれます。聖書の言葉を私たちへの言葉として従いましょう。自分だけでなく、他の人にもそうであることを覚えましょう。恐れることなく、持っているものを分かち合いましょう。
それが一握りの粉やほんの少しの油のような、小さなものであるとしても、主はそれも私たちをも用いられます。主が祝福のために用いて下さることを信頼して、主の言葉に従って、生きてゆきましょう。
「主よ、あなたの言葉は真実です。私たちもその言葉を信じます。多くを持っていれば、あなたを忘れ、僅かしかなければあなたを恨む、そんな私たちをもあなたが引き寄せて、生かしてくださいます。どうぞ、全ての人に、命と信仰を与えてください。感謝と分かち合う心を与えて、新しくしてください。エリヤを遠くへ遣わし、主イエスご自身が遠くに来られた、その深い憐れみを、私たちの生涯においても豊かに現してください」
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