聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/6/27 創世記29-30章「ヤコブとラケル」こども聖書⑳

2021-06-26 13:03:26 | こども聖書
2021/6/27 創世記29-30章「ヤコブとラケル」こども聖書⑳

 今日の話には出て来ませんが、このヤコブという人は、神様から新しい名前を与えられます。それはイスラエルという名前です。今のイスラエル共和国や、そこに住むユダヤ人、そして聖書を読む全ての人にとって、原点とも言えるのが、このヤコブなのです。
 しかし、ヤコブは決して立派な人、模範にしたい、優れた人ではありません。父の愛を独占する、長男エサウを妬み、母親と一緒になって、父も兄も欺した人です。激怒した兄の怒りを逃れるため、母親の故郷に逃げる旅に出かけたのが、先週のお話しでした。そんなヤコブに、主は夢の中で語られて、必ずこの地にヤコブを帰らせて、ヤコブと子孫たちに、この地を与え、世界のすべての部族があなたによって祝福される、と約束してくださったのです。立派ではないヤコブ、問題だらけのヤコブを、神様は選ばれて、イスラエル、神様の民の先祖としてくださいました。イスラエルとは、神様が人を変えてくださり、祝福のご計画を果たされるお方だ、ということを思い起こさせる名前です。

 さて、そのヤコブが旅の目的地、ハランの地についた時、ヤコブは井戸の所で、ラケルに会いました。ようやく旅を終えて、無事に到着して、ホッとしていたでしょう。そして、井戸の周りにいた羊飼いたちに、自分の叔父さんの名前を言ったら、「よく知っています。ほら、娘のラケルが羊を連れてやってきます」と、なんてタイミングだろう、と思って飛び上がりたいほど嬉しかったことでしょう。ヤコブは、羊飼いたちが三人いても動かさずに待っていた井戸の蓋の大きな石を、一人で動かしてしまいます。
10ヤコブは、母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石を転がし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。11そしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
 ヤコブはよっぽど嬉しくて、ホッとしたのでしょうね。そして、このラケルを好きになってしまいます。もしかしたら、自分のお母さんもこの井戸の所で、自分のお祖父ちゃんのアブラハムのしもべと運命的な出会いをしたことを思い出したのかもしれません。だから自分も、ハランの井戸で出会った、この美しい女性、しかも願っていた同じ部族の女性との結婚が、運命に違いないと思ったのかも知れません。

 けれども、そんな簡単なことなのでしょうか。自分のお母さんがここで運命的な出会いをした時、お父さんのしもべはまず神様に祈っていましたが、ヤコブは一言も祈っていません。しもべは、我慢をしましたが、ヤコブはすぐにラバンの家に行って、お客になってしまいます。どっちがいいか悪いかは言えませんが、決して同じではありません。ですから、聖書にあることと、自分のことが、似たようなことであっても、決して同じではない、聖書から何か原則を引き出して、形ばかりの幸せや成功を当てこもうとすることは出来ない。それこそが、聖書の原則なのだと心に刻んでおきたいのです。
 その通り、ヤコブがラケルと結婚したくて「ラケルと結婚したいから、七年間あなたにお仕えします」と言ったのはラブロマンスのようでもありました。すべてが薔薇色に見えました。七年後、ヤコブは遂にラケルとの結婚式をしてもらいます。土地の人たちがみな集まって、祝宴をしてくれました。夜、ヤコブが妻を迎えて床に入り、大興奮して、幸せの絶頂を味わった思いでいました。しかし、翌朝明るくなって、ヤコブが隣の妻を見ると、ラケルではなく、姉のレアだったのです。ヤコブの描いていた幸せは一気に崩れました。ヤコブはビックリして、ガッカリして、ラバンに怒鳴り込みました。
25朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」

 でも思い出せますか。ヤコブ自身が同じことをしたのです。お父さんに兄のふりをして近づき、祝福を騙し取ったのです。お兄さんを怒らせ、お父さんを絶望させたのはヤコブでした。ここまで逃げてきたものの、ヤコブは同じ事をされたのです。それが、神様の裁きとか罰とは言われていません。神様の意地悪ではないのです。ただ、ラバン叔父さんの意地悪であって、ヤコブも同じ事をしたのです。そこで、ヤコブはもう七年、ラバンに仕えることにして、ラケルも妻として迎えます。つまり、姉のレアと妹のラケル、二人とも自分の妻にする、というとてもおかしな家族を作ってしまうのです。
 兄を妬んだヤコブは、自分もレアよりラケルを贔屓して、二人も妻を持つ。この後、ヤコブと、レアとラケル二人の妻、そして、その子どもやおつきの女性たちも絡んで、とても複雑な物語が続きます。聖書の創世記29章から31章、そして、最後の50章まで、ヤコブの家族のドラマはゴチャゴチャで、ここで簡単に紹介することなど到底できません。ロマンスどころかドロドロ劇になってしまう。こんな歪(いびつ)な家族が、イスラエルの民族の始まりでした。どうぞ、それぞれに読んでみて下さい。来週は、そこの息子のヨセフの話に飛びますが、その37章までの間には、これが聖書かと思うような出来事が記録されています。でも、そんな歩みをするヤコブたちにも、神はともにいてくださり、働いて下さって、やがて約束通り、彼らをあの夢を見た場所に連れ戻してくださるのです。それが、この聖書の不思議な物語です。神は、このヤコブをも愛されており、そして私たちも、どんな問題や失敗や足りない所があろうとも、愛されています。

 神は、弟のヤコブを選ばれたように、ヤコブに愛されなかった姉レアを愛されました。六人の息子と一人の娘、あわせて七人もの子を与えてくださいました。それを見て、ラケルは妬みます。でもそのラケルにも最後は二人の子どもを神は授けてくださいます。全部で12人もの子どもは、イスラエルを悩ます事にもなります。でも、その子どもたちが祝福になります。私たちはヤコブの物語に、失敗の刈り取りと、そのことも祝福へとつなげてくださる神様の不思議とを、いつも両方見ていくことが出来るのです。
 そしてそのイスラエルの歴史の末に、イエス・キリストが来て下さいました。イエスはこの世界に、私たちの家庭に来て、妬みよりも祝福へと私たちを変えてくださいます。

「主よ、あなたはヤコブを愛し、レアを愛し、ラケルも愛され、私たちも愛されます。どうぞ私たちの歩みを導いてください。ヤコブの旅を導かれたように、私たちの心を探ってください。沢山の失敗だらけのイスラエルの旅が、イエス・キリストを迎える歩みとなったように、主イエスが私たちの歩みにも来て下さり、私たちに祝福を与え、私たちを通して、祝福と恵みを現してください。あなたの不思議な、良い御心に委ねます」

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