聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/3/7 創世記二章7-27節(7-9、15-17)「人」こども聖書⑦

2021-03-06 12:03:56 | こども聖書
2021/3/7 創世記二章7-27節(7-9、15-17)「人」こども聖書⑦

 『こども聖書』の34頁になります。神様はこの世界を造って、そこに植物や海の巨獣や空の鳥、地上の動物たちを、一つ一つお造りになりました。そして、最後に造られたのが、人間・人です。今日はこの「人」の創造について、聞きましょう。

神様は今まで造ったものすべてをご覧になり、喜ばれました。
それらはとても良かったのです。
でも何か足りません。
一緒に歩いて、お話しの出来る友達がいません。
神様は、ご自分によく似たものを造りたいと思われました。
そこで、土の塵を取り上げ、優しく息を吹きかけて、命を吹き込みました。
こうやって、神様は人を造られたのです。
神様は、この人をアダムと名づけました。
そして、特別な庭の中に人を起きました。
この庭は、神様が人のために造られた所で、エデンの園と言います。

 神様が造られたすべてのものは、とても良かったのです。でも、それで終わりではありません。神様は、ご自分が一緒に歩き、語り、友達になれるようなものをお造りになろうとしました。勿論、この世界をもお造りになる偉大な神様にとって、友達がいなくて寂しいということはありません。神様は、すでに御子イエス様と、聖霊なる神様とともに十分な関係にありました。神様は、父、子、聖霊の三つのお方が互いに愛し合い、友達であるような、永遠のお方です。だからこそ、その神様が造られた世界には、神様の友となるような、心があり、個性があるものがなければ、足りないのです。どんなに美しく、完全でも、それを見て、驚き、喜ぶものがいなければ、足りないのです。だから神様は、ご自分に良く似た者として、人間をお造りになりました。

 人間は、神に似た者として、神のかたちに造られました。私たちは、だれもが、神様を現している、尊い存在です。人間は、みんな神様を映し出す、かけがえのない存在です。神様を恐れない人間は、人間を比べて、あの人は頭が良いから偉い、この人は出来ないことが多いからダメ、と人を値踏みしてしまうことがあります。障がいがあっても、自分には理解できない人でも、その人を否定したり笑ったり貶めていいことは決してありません。「神のかたちに造られた」という尊厳を、すべての人は持っています。
ヤコブ書三9私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。10同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。


 神の似姿に造られた人間を呪うことはあってはなりません。その中には、私たち自身のことも含まれています。私たちは、自分も誰をも、神がご自身に似せて、ご自身のかたちに造られた存在として見るのです。私たちは、自分のことも呪ったり、価値がないように思ってはなりません。神ご自身が、私たちを愛して、ご自身を現すように造られて、そうしてくださるのですから。これは、本当に不思議なことです。

 神は人を、塵からお造りになりました。地の塵から造って、地を耕し、汗を流して働くような人間を、神はご自身のかたち、神様とはどんなお方かを映し出すものとなさったのです。世界の中に、もっと大きく、力強く、完璧な存在を造ることも出来たでしょうに、私たちのような人間こそ、神様のかたちだというのです。そして、神は人間に、エデンという園を造ってくださって、そこに人間を住まわせたのですね。人間は、神が創造されたものの最後ですが、最高の特別扱いをされています。人間は「被造物の頂点」と呼ばれるのです。そして神は人に何をお命じになったのでしょうか。


 神様はアダムに、木や花、動物の面倒を見るように、そして、名前もつけるように、と言われました。エデンの園にある果物、野菜は何でも食べて良い、と言われました。が、ひとつのものだけ、別でした。庭の真ん中にある木からは、取って食べてはいけない、もし食べれば死ぬ、とアダムに仰いました。アダムは神様の言われる通りにしました。でも、アダムを手伝ってくれるような生き物はいませんでした。しばらくして、アダムは寂しくなりました。動物たちは、互いに似たものがいるのに、アダムには、自分に似た人がいなかったからです。
 ここで神様がどんなことをなさっているでしょう。神がお造りになった木や花や、動物のお世話を、人間に引き継がせました。動物には名前をつけさせました。広い園に生えている沢山の木は、どれからでも実を取って食べて良いけれど、たった一本だけ、食べてはならないと命じました。神が創造主ですから、人間もその創造の業に加わります。神がこの世界を美しく命で満たしましたから、人間も、その命を見たり味わったりすることで生かされます。人間は、エデンの園で、のんびりだらだらと暮らしていたのではありません。園を耕したり守ったり、管理者として働いていたのです。また、神様から約束を与えられて、その約束を守る責任もありました。
 何より、神様は人に語りかけて、人間との関係を持たれました。他の動物とは違って、神は人間だけに語りかけて、それに応える関係を持ちました。神と語り合う関係がなくては人は生きていけません。そして、私たち人間同士も、語り、聴き、心を傾けて向き合うことが必要です。約束をしたり、それを守ったり、助け合うように造られています。



 ですから、最初のアダムも、一人では寂しくて堪りませんでした。神様はわざわざ、最初に一人を造られて、ひとりだと寂しいな、他の動物の手伝いでは違うな、自分に似た人がほしいなぁ、と思うような段階を踏まれました。そして、人間が、一人ではなく、友達や家族、仲間と一緒に生きる時にこそ、神様の形を映し出すのです。そこで、この後、神がもう一人の人間をお造りになることが聖書に書かれています。

 こうして、世界をお造りになった大いなる神様が、その最後に、私たちのような小さな人間をお造りになり、私たちがともに生きる歩みを通して、この世界の歴史を始められました。神様が人間を造ったことで、何をなさろうとしているのか、それはまだ僅かしか分かりません。でも、神様は私たちを造り、私たちと一緒に歩むことで、その目的を果たされるのです。そして、神様が神様である以上、それは必ず最後には完成するのです。神が神でいてくださり、私たちとこの世界を治めて、導いてくださるのです。

「造り主であり王である神様。あなたはこの世界の創造の最後に人間をお造りになりました。私たちはあなたによって造られ、あなたに息を吹き込まれた者です。どんな人も、自分をも、あなたのかたちに造られたかけがえのない者。ここに立ち戻れることを感謝します。どうぞ、私たちの歩みのすべてがあなたの栄光を映し出しますように」
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