聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ルカ2章1~7節「いる場所のない救い主」

2016-12-18 20:15:22 | クリスマス

2016/12/18 ルカ2章1~7節「いる場所のない救い主」

 今日の聖書箇所は、イエス・キリストがお生まれになった出来事を伝える段落です。

「全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグスト[1]から出た」

という歴史的なスケールから始まり、ユダヤ総督クレニオ[2]、ユダヤのベツレヘムという町にズームインし、更に布にくるまれて飼葉桶に寝かせられる初子の赤ちゃんをクローズアップする、ダイナミックな手法です。

1.全世界の

 全世界と言っても、日本は勿論含まれません。これは、当時のローマ帝国の領土、地中海世界一帯に過ぎません。「全ての道はローマに通ず」とは有名な言葉ですが、あらゆる道がローマに通じるわけはなくても「全ての」と言えるぐらい広い領地をローマは支配していましたし、それを「全世界」と呼べるほどの広さがローマの傘下に収まっていました。その皇帝アウグストが全領土の住民登録をせよとお触れを出しました。日本では昨年「国勢調査」が行われて、その結果が先日やっと出されました。それほど国勢調査とは大規模で手間がかかるのです。かつてイスラエルの王ダビデが晩年、人口調査をしようとした時、側近のヨアブは大反対して引き止めます。それでもダビデは強行してしまい、後から大変後悔をして、主の前に罪を犯したと懺悔をするという顛末がありました[3]。日本のように十年ごとなど到底無理な、民への負担の大きな作業でした。それを皇帝が実行したのはその権力や自信の表れでもありました。

 そういう国際的な大権力の発する命令で、世界が動き、人々が従ったのが今日の箇所です。ナザレ村にいた貧しいヨセフとマリヤ夫婦など、芥(け)子(し)粒(つぶ)のような存在に過ぎません。ナザレからベツレヘムまではおよそ百二十キロメートルだそうです。身重の妻を連れた旅は、一週間以上かかったでしょう。それは、社会の大きな流れに拭かれ、為す術なく飛ばされている木の葉や虫のような、小さな存在です。愛国心に燃えるユダヤ人たちは、先祖たちの歴史の全盛期を懐かしみながら、ローマ帝国の属国に落ちぶれて、異教徒の皇帝に言われるままに登録の手続きをしなければならない屈辱に歯ぎしりをし、神の呪いや裁きを祈ったことでしょう。権力者の思惑とか不公正、社会の不正、暴力は昔も今も変わらずにあって、庶民は仕方なくそれに翻弄されるばかりです。しかし、そのような歴史の大きなうねり、どうしようもない強者の支配の波の中で、実は、ヨセフがマリヤと共にダビデの町へ上って行き、マリヤが男子の初子を産み、イエスがベツレヘムでお生まれになる出来事が起きたのです。ナザレの自宅ではなく、ダビデの町でお生まれになり、布にくるまって飼葉桶に寝かせられた姿となられたのです。ローマ皇帝がほしいままに振る舞い、庶民は登録に従うしかない、ただの統計上の数としか見做されないようでしたが、実はイエス・キリストがお生まれになるご計画は着々と信仰していました。イエスこそが、本当の王、本当の皇帝、そして救い主としてお生まれになったのでした。

2.飼葉桶に寝かせた

 とはいえ、ローマ帝国の思惑を越えて生まれた子どもは、布にくるまれて飼葉桶に寝かされました。決して、人知れない所で奇蹟が起きていたわけでも、ひっそりと大パーティが行われたわけでもありません。家畜の餌入れに寝かされた、地味な貧しいお姿です。

 7宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 これは、伝統的なクリスマスの風景では、マリヤとヨセフの二人が、家畜小屋にしか泊めてもらえず、そこでイエスがお生まれになったということになっているでしょう。当時の習慣をよくよく考えてみますと、どうやら二人が特別追いやられたというよりも、当時の貧しい庶民にはよくあったことらしいのです[4]。詳しい説明は省きますが、私が言いたいのは、イエスが本当に貧しい庶民と同じようになってくださった、という事です。そんなに低くなられたわけではない、と言うのでなく、当時のごくごく当たり前になっていた低さと同じようになってくださったのだ、ということです[5]。皇帝アウグストは世界を動かしながら、ローマの大邸宅で暮らしていましたが、イエスはそんな安全で快適な場所ではなく、貧しい人々と変わらない、民泊での、家畜スペースでの誕生をなさったのです。居場所を探しあぐねるような人間の現場に、イエスはおいでになったのです。言い換えれば、イエスは最も貧しく、いる場所も与えられない人々の所に、同じような生活をすることも厭わずに、来てくださったのです。

 例としてヨセフを考えてください。ヨセフはマリヤを一緒に連れて行きました。住民登録は家長の男性だけがすればよかったでしょう。女性は家で子どもといれば良かったのです。それにマリヤは身重です。一緒に連れて行くより、さっさと自分だけで行って帰ってきた方がどれほど楽か知れません。しかし、ヨセフはそれでもマリヤを連れて行きました。きっと一緒になる前に子を宿したマリヤへの誤解や口さがない噂がナザレにはあったのでしょう。そうした冷たい村に、マリヤを独り置いておくことは不安だったはずです。言い換えれば、マリヤにはナザレの村にいる場所がなかったのです。ヨセフはそのマリヤを守ろうとしていうヨセフの気遣いがありました[6]。ヨセフは、マリヤを一緒に連れて行こう、ヨセフ自身がマリヤの居場所となろうとした、と言えるでしょう。そして、イエスも人間に対してそうしてくださいました。イエスご自身が人間の中に来られ、居場所のない独りとなり、私たちの友となられたのです。

3.ただの「男子の初子」と

 ひっそりと、いる場所のない者の所に来られたイエスこそ、私たちの友であり、救い主です。そして、皇帝や政治や歴史の流れの中で、本当に私たちを治めておられるお方です。しかも、皇帝が居心地の良い場所から勅令を出したのとは違い、イエスは神の立場を惜しまずに後にして、冷たい飼葉桶に寝かせられる低さにまで降りて来られました。私たちを愛したもうイエスは、卑しめられている人と同じ扱いを受けて、卑しめられることも嫌がりませんでした。この、大いなる王であり、同時に、小さな幼子、傷つきやすく脆い存在としてご自分を差し出してくださるイエスを、私たちが受け入れ、自分の主、神、救い主として信じるのがクリスマスです。

 ここでは「イエス」と言われず、「男子の初子」としか言われません。布にくるんであげ、飼葉桶でもいいから寝場所を与えてやらなければならない、本当にデリケートな赤ちゃんです。イエスが、そのような繊細で、小さく、傷つきやすい存在となって下さった[7]。それは、何のためでしょう。それは、私たちが神を信頼するため、神と出会い、神との本当に豊かな関係を回復するため、でありました。カルヴァンは、

「信仰とは、私たちへと向けられた神の慈しみについての着実で確かな知識である。」

と定義しました[8]。世界を作り、歴史を支配しておられる神。神の力や正義、全てを知り、悪を裁かれる偉大さも私たちは受け入れます。しかし、何をしても神の偉大さは不動だ、人が何をしようと神は痛くも痒くもない、というのでもないのです。神の子イエスは、私たちが、神の子どもとしての生き方を回復するために、名もなき貧しい赤ん坊になってくださいました。誰かを助けるために、我が身の危険をも顧みず、ジャングルや戦場や宇宙に行くという感動的なストーリーはよくあります。イエスは私たちのために、今から二千年前、実際にそうしてくださったのです。このお方を受け入れるのは、偉大で強くて、ビクともしない神への信頼だけではありません。神の慈しみ-文字通り、赤ちゃんを抱くような、繊細で小さくて、自分のだっこを求める存在を差し出される主を知り、受け止めさせて戴くのです。神を信じるとは、幼子イエスを私たちが抱き留める事でもあるのです。

 私たちのために、弱く小さな赤ん坊となってご自分を差し出してくださったイエスです。このイエスを受け入れるとは、私たちの生き方そのものをも、神への恵みを信頼する生き方へと変えていただくことです。主イエスは、神への信頼と、優しい心とを下さるのです。[9]

「主が、この世界に人として貧しくお生まれくださった恵みを感謝します。その勇気、犠牲、惜しみない愛に思いを寄せます。飼葉桶から十字架へと至る道を歩まれ、今も私たちの心と人生に、測り知れない謙遜をもって伴いたもう恵みに感謝します。どうぞその主を心開いて迎え入れ、また互いに受け入れ合い、主の御国の完成を待ち望み備える私たちとならせてください」



[1] ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタビアヌス。紀元前六三年から紀元後一四年。紀元前四二年に「神君」、二九年「皇帝(インペラトール)」、二七年「アウグスト(アウグストゥス)」の称号を与えられる。

[2] プブリウス・スルピキウス・キリニウス。紀元前五一年から紀元後二一年。紀元後六年にシリアの総督となる。

[3] Ⅱサムエル24章、Ⅰ歴代誌21章。

[4] この言葉は、現代人の感覚ですっかり色づけられています。つまり、ヨセフたちがベツレヘムに着いた時には、もうどこの宿屋も空き部屋はなかった、だから仕方なく二人は馬小屋に泊まった、という筋書きです。でも、ほんの数百年前までは、裕福な人間でない限り、旅先では「民泊」が一般的でした。庶民の家は客室どころか持ち家さえなく、洞窟の入口に幕を掛け、手前に人間が、奥に家畜が住むのです。旅人は、その手前部分に場所を借りて、一晩一緒に眠らせてもらうのです。マリヤとヨセフもそうしたのでしょう。「宿屋」というより「借宿」、泊めてもらった家の事です。しかし、その手前部分では流石に妊婦がいたり、子どもを産んだりは出来ないので、洞窟の奥に引きこもって、そこで子どもを産み、壁に掘った飼葉を入れる穴にその子を入れた、そう考えた方が正しいのだそうです。「馬小屋」というイメージも、庶民が馬を飼うことなど出来ませんから、現代的な脚色です。「飼葉おけ」からの連想でしょうが、本文で触れたとおり、洞窟の奥の壁に掘られた穴のことを指しているとイメージを一新した方がよさそうです。

[5] 私たち現代人が思い込んでいる当時の生活の美化を考え直させてくれるものです。ヨセフとマリヤだけでなく、みんな個室に泊まるなんて出来なかったのです。普段の生活でさえ、持ち家などでなく、冷たい洞窟暮らしだったと考えたらどうでしょう。それは、出産の時も、いる場所を憚って飼葉桶のある場所に移動しなければならないような生活でした。そんな所に、ヨセフとマリヤも来られて、同じような寒い宿を取られました。

[6] あるいは、マリヤはイエスを布にくるんだとありますが、この言葉は「産着」から出て来た言葉で、マリヤがイエスのために産着となる布を用意していていました。決してぼろ布やあり合わせで間に合わせたのではないのです。ちゃんと出来る限りの用意をしていたのです。

[7] この頃の新生児の死亡率はどれほどだったでしょう。生まれた赤ちゃんの誕生は、今よりも遙かに、か弱く、脆く、危なっかしい思いで迎えられたに違いありません。家畜スペースで産むならば、不衛生で周産期は安心できなかったでしょう。今でさえアジアやアフリカにはそんな地域が多くて、助産師として派遣される方は絶えないのです。まして、今から二千年前の赤ん坊は、どれほど不安定ないのちだったでしょう。

[8] 『キリスト教綱要』第3篇第2章7節。中村佐知さんは、山田和音さんのブログからこの言葉を紹介していますが、その後に山田さんはこう付け和えておられることも紹介されています。「彼の言葉を今の私なりに受け止めて言い換えると次のようになると思います。「私が神を信じられない時、神などいないと思えるとき、神がいたとしても私なんかは絶対に愛されてなどいないと思えるときに、それでもなお愛されているという知識、それが信仰である」と。」http://rhythmsofgrace.blog.jp/archives/14326859.html

[9] しかし、そこで私たちは何もしないのではない。この方の働きに気づき、この方を礼拝し、心に迎え入れるようにと招かれている。いる場所がないキリストをそのままにしておくのではなく、その事にこそ私たちが悔い改め、問題を認め、キリストをお迎えする「居場所」となることが求められている。いや、すでに私たちの中にキリストがおられる。私たちが立派だから迎えられる、立派ではないから相応しくない、お迎えしていないと妙な遠慮を止めて、私たちの相応しくなさのためにこそ、キリストがこの心に来て下さったことを告白する。世に対して、傲慢な優越感を持つのではなく、自分の相応しくなさ、貧しさ、汚さを正直に認めつつ、その私たちの中に与えられたキリストの確かな希望を証ししていく。

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