2018/5/6 使徒の働き二三章11-23節「勇気ある避難」
今日の箇所は、使徒パウロに対する暗殺計画というサスペンスが伝えられていました。元は生粋のユダヤ主義者の先鋒であったパウロが、イエスに出会い、今では他民族にも神の福音を届けて生きている。そのパウロに怒り、殺そうとした民衆から、ローマ兵の将校がパウロを救い出したのですが、遂に暗殺計画となって、パウロが救い出されていく、という顛末です。
1.主を証しするために
もうこの暗殺計画で、パウロはエルサレムからカイサリアに移送されますので、エルサレムでのパウロの証しは終了するのです。この時点でパウロは出来る限りのことは果たして、これ以上留まる事は危険だという判断で、引き上げるのです。その事を示すのが主の幻です。
11その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。
主はエルサレムでのパウロの証しを受け入れて下さって、目をエルサレムからローマへと向けさせます。ここで「勇気を出しなさい」とあるのは、パウロがこの時点でよっぽど落胆していたのでしょうか。主はパウロに頻繁に現れていたわけではありませんし、私たちが憔悴している時には神様が現れてくださる、ということもありませんから、あまりここでの心境をとやかく憶測しない方がよいでしょう。いずれにしても、この言葉はパウロを勇気づけたに違いありません。エルサレムでの証し、特に23章前半の議会でのやり取りは、学者たちも評価に苦しむぐらい理解しづらくて、パウロの証しは失敗だった、ちゃんと証ししていないとも思ったりするのですが、この幻は主がパウロの証しを責めておらず、受け止めて下さった証しですね。
もうパウロを葬り去ろうとしか考えないぐらい、聞く耳は持たない段階でした。パウロは愚直に真っ直ぐ語るより「変化球」を投げたのです。ただ十字架の福音や自分の信条をオウム返しに繰り返すばかりが証しなのではありません。私たちがその主の御言葉をどう受け止めるか、私たちの生活や心に真っ直ぐに向かい合って来られる方の前に自分が立っているか、そしてそれを相手にも投げかけていく。そういう証しが証しなのです。そういう証しは、様々な形を取り得ますし、たとえぎこちなくて誤解や逆上で終わるとしても、主は受け止めてくださる。私たちのたどたどしい生き方も長い目で用いて下さる。そこに励まされて勇気を持てるのですね。
パウロの告白に耳を貸したくない人々はパウロを殺すまでは飲み食いしないと誓って集まり、パウロを裁判にもう一度引き出したら、隙を見てパウロを殺そうと企みました。これをパウロの姉妹の子ども(甥)が聞いてパウロに知らせて、パウロは甥を千人隊長の所に送って、その夜、パウロは五百人近い兵士に囲まれてカイサリアに護送されていくことになるのです。
2.平気なふりをしない
甥っ子が来た時、パウロはこうは言いませんでした。
「心配は有り難いが、自分には主がいてくださる。夕べは主が幻に現れて、これからローマで証しすることを保証してくれた。だから心配しなくて大丈夫。うちに帰って、イエス様に祈っていてくれ。君も教会に行くんだよ」。
そこに気づかせてくれた説教を忘れられません[1]。パウロはこの時、逃げずに留まろうとはしませんでした。主が何とかして下さると信じるのが信仰だとか、ローマ兵の手をこれ以上借りるなんて証しにならない、などとは考えず、甥っ子を千人隊長の所に送って、自分の危険を伝え、対策を講じてもらいました。その結果、彼はカイサリアに護送されます[2]。ここでもパウロはまた守られて、救い出されました。以前のように、御使いが現れたり、地震が起きたりといった奇蹟はなかったにせよ[3]、ユダヤ人の甥っ子や異邦人の百人隊長が動いてくれました。あたかも彼らは神の御使いのように働いて、パウロの命を守ってくれたのです。
逃げたり、このままではダメだと認めたりするのは案外難しいものです。
「逃げるなんて卑怯だ、逃げないのが勇気だ」。
そう思い込みがちです。もう危険なのに思考を停止したり、危機的な状況なのに
「何とかなるんじゃないか」
と思い込もう。あえて考える事は拒否して、自分のやり方を変えたくない心理が働くのです[4]。その時、信仰さえ自分の行動の正当化に使うのです。
「自分で動かず祈って主が動いて下さるのを待つのが信仰だ」
と行動を禁じる声さえ聞く事があります。行動を起こしたくないための、まことしやかな口実として
「祈って待っています」
と信仰を隠れ蓑にするのです。逃げれば良い、頑張らなくて良いのでもありませんが、頑張れば何とかなる、信じれば解決するという精神主義は恐ろしい結果を招きます。
この時パウロを暗殺すると呪いをかけて誓った人たちは、計画失敗にどうしたのでしょうか。本当に飲み食いしなかったのでしょうか。それを批判や笑うつもりはないのです。飲んだり食べたりしたんであってほしいのです。「それ見た事か」なんて笑ったりしないから、それはそれで真剣だったと認めるから、命を大事にしてくれよと思うのです。この十数年後、ユダヤとローマの関係が急速に悪くなりエルサレムがローマ軍に包囲されます。それでも多くの熱心なユダヤ人が「エルサレムは神の都だから大丈夫」と狂信的になって、都に籠城し続けるのです。このユダヤ戦争は、紀元七二年、餓死や自害で凄惨な最後を迎えます。死者は百万人とも記録されています。そうした行動とは違って、パウロは自分の命を大事にしたことにホッとします。
3.逃げる勇気
主イエスが下さる勇気は現実の厳しさが見えない狂信とは違うはずです。現実をしっかり見つめ、出来ることをする勇気です。無理をして、神からお預かりした本当に大事なもの(いのち、心、人)を犠牲にする勇気ではなく、無理を認めて大事でないものから手を引ける勇気です。逃げたり引き返したり出来る勇気。助けを求め、相談し、解決に向けて行動を起こす勇気でした。パウロも自分の身を守る行動を起こしました[5]。いいえ、主イエスでさえエジプトに逃げ、危険な道を避け、本当に向き合う十字架の時までは安全な道に退かれました。
「イエスでさえ逃げた」「パウロは助けを求めた」。
これは「逃げてはいけない」と思い込んで、自分を追い詰めて、自殺や鬱が減らない今の時代への慰めです[6]。学校のいじめ、過労死寸前の勤務、家庭の問題、人間関係の辛さ、或いは教会生活の負担もあります。そういうことは相談しづらくて、自分で解決できればと思いますが、やはり一人で抱え込まずに相談して、自分の安全を確保したほうが良い場合、恥ずかしがることはありません。具体的にどういう行動が賢明かはケースバイケースです。だから祈って奇蹟でも起きて解決してくれたら有り難いし、楽ですが、それだけが信仰だと言う狂信は危険です。勇気を持って手を引けるよう祈る場合もあるのです。
1コリント十13あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
パウロは「神は堪えられない試練には遭わせないのだから堪えるのだ」とは言っていません。堪えられるよう、試練とともに脱出の道を神は備えておられる、です。黙って堪える時もあれば、脱出の道が備えられていてそこから逃げる選択もありなのです。現実逃避とは違います。逃避は気を紛らわすだけでもっと問題をややこしくするだけです。
「脱出の道」
は新しい始まりへと通じる道です。ここでもパウロは、エルサレムから移され、それがローマに護送されていく道程になっていきます。彼の避難は次の証しへの「道」となりました。今も、厳しい出来事の中で、主はどんな道を備えてくださるか知れません。だから、意地で留まったり、場当たり的な気晴らしに逃避したりせずに、現実に臨機応変に行動しましょう。そのように自分の限界を素直に認めて、賢明に行動する生き方そのものが、主を証しするのです。
「私たちの隠れ家なる主よ。あなたは隠れる者を守り、蔑まない方です。どうぞ私たちに本当の勇気と知恵を与えて、あなたから授かった命を大事に育ませてください。現実を見つめ、危険を避け、ノーと言える勇気を与え、間違った逃避から救い出してください。与えられた生活で、本当の勇気をもって、自由に、喜んで生きることで、あなたの恵みを証しさせてください」
[1] 榊原康夫『使徒の働き』
[2] それが驚くような大軍による護送だったのか、実はパウロの他にも移送された人がいた、ちょっと前倒しになっただけの予定されていた護送だったのかは分かりません。千人隊長の親切だったのか、先にパウロを鞭打ちかけた失態を隠すためのわざとらしい大げさなパフォーマンスだったのかも不明です。ただ、いずれにせよパウロは馬に乗せられて、暗殺の手を逃れることが出来ました。
[3] 使徒五19以下、十二7以下、十六25以下、参照。
[4] この心理を「一貫性の法則」と『影響力の武器』(第3章「コミットメントと一貫性」、ロバート・B・チャルディーニ、社会行動研究会訳、誠心書房、1991年)で述べられています。同書は、人間がどのような心理で行動を起こすものか、また、それを利用して企業が商品を購買したり宗教勧誘や寄付を集めたりしているかを教えてくれます。
[5] パウロの甥が、おじの暗殺計画を知った時、それを知らせたのは本当に勇敢な行為でした。知らせた自分が裏切り者とされる恐怖を考えたら、祈るだけで黙って何もしなくていいのではないかと思いたかったかもしれません。それは信仰のふりをした優柔不断ですが、ともかく甥っ子は危険を冒してでも知らせてくれました。自分が出来ることを勇気をもって行動しました。
[6] ゲオルギー松島雄一「東風吹かば 第23回 主でさえ逃げた」『舟の右側』(地引網出版、2017年12月号)、40-41頁。