1945年 昭和20年8月9日ソビエトが対日参戦した
恐れていたことが現実になった
樺太が孤立し戦場になる
当時の樺太全土の人口は約40万人
女性と子供に疎開命令が出され
14歳以上の男性は残ることになった
13日から疎開がはじまり我家は18日の出発が決まった
学校をさぼって荷物の整理
父が国鉄勤務だったのでよそより多い6個の荷物が送れる
教科書 冬服などめぼしいものはすべて行李に入れた
15日敗戦
天皇陛下のお言葉は近所の人たちと聞いた
雑音でわけが分からなかったが
日本は負けた 皆殺しにされるかも・・・と言うのを聞き
恐怖だった
疎開は引揚となった
16日だったと思うどこかのグランドに
豊原市の 女学校 中学校 師範など大勢学生が集まっり
誰かの訓示を聴いたが内容は何も覚えていない
暑い日で倒れる人が何人もいた
学校で在学証明書だけを貰う
ネットから
父の勤めていた樺太鉄道局
残念だがその頃の写真は1枚もない
2012年7月訪れたとき
戦前からの博物館 現在も博物館
展示物も子供時代に見たものが多い
神社の狛犬が玄関わきに鎮座していた
奉安殿 博物館の敷地内に
現在の豊原駅 昭和20年8月22日の空襲で焼けてしまった
昔の公園は ガガーリン公園になっていた