黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

戦中 戦後 昭和ひと桁うまれの思い出 (樺太からの引揚げ)

2020年08月15日 | 戦争

今日は敗戦記念日 お盆の中日でもある

 

戦没者の追悼式が行われ

新聞には戦後75年の特集が組まれ

悲惨だった出来事が載っている

 

恵まれた方だった私一家の引揚の時の様子を

 

再度発表する

 

昭和20年8月18日午後 

 

着替えと食料だけを持ち 豊原駅に向かった

奥地からきた貨物列車には

大勢の人たちが鈴なりに乗っている

国鉄勤務の父は 少しでも早く港の大泊へ行くよう

貨物列車に乗るように促すので 急いで乗った

 

父は見えなくなるまで手を振っていた

 

  戦争はもう終わったと 少し開放感を感じていたが 

奥地からきた人たちが口々に 

ソビエト軍に追われて命からがら逃げてきたと話すのを聞き

恐ろしさと緊張感を感じた

 

無蓋車のシートで覆われた荷物は大砲らしい

ゴツゴツと座り心地が悪いが我慢するよりない

汽車は度々停まる 真っ赤な大きな太陽が傾いていく

新場という駅で停車すると 長い間動かない

オシッコをしようと貨車を降り草むらへしゃがんだ時

ポーッと汽笛が鳴りゆっくり動き出した

慌てて走ったが高くて足が届かない

誰かが手を引っ張り上げて貨車に乗せてくれた

無我夢中夢中だった

手を差し伸べてくれたのは

 豊原医專の学生さんだったと後で知る

暗くなって大泊に着いた

 

駅も道路も人々や荷物で溢れかえっている 

姉が逓信局に勤めていた関係で小笠原丸に乗船予定だが

 

誘導され映画館で待つことになった

 

館内も溢れんばかりの人人人である

万が一にと保存してあったもち米で搗いた豆餅 

暫らくぶりの美味しい味は忘れられない

 

乗船の順番はまわって来ず 一夜を過ごす

 

再び夜になりやっと順番がきた

 

港までは遠かった 暗い夜道をひたすら歩いた 

母は末妹を背に大きな皮のトランクを持ち

 4才の弟は長姉に手を引かれ

 3人も後に続いた

 

母は荷物が重く途中捨てようとした時 

兵隊さんが現れ持ってくれた

 

やっと港にたどり着き 乗せられた船は 

小笠丸ではなく 白龍丸という貨物船だった

2012年コルサコフの港

サハリンに咲いていた花


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