僕は美しいものを美しいと感じる心はあると思っている。だらか山に登っても美しい花に出会うと心が躍るし、美しいなあと感激に浸る心があると思っている。
ただ花に対する熱意が足りないからか、花の名前だけは何度教えてもらっても頭に残らない。
先週、大山の三鈷峰に登った時、多くの花たちに出会えたのに花の名前だけははっきりしない。でも最近、それはそれでもいいんじゃないかと思うようになってきた。
美しい花を美しいと感じることが第一義で、その名前云々は二の次じゃないかと。その点、僕にはまだ美しい花に出会うと、美しいなあと感じる心があるし、その花の名前を知ったから感動が一段と高まるわけではなかろうと思うからだ。
美しい花たちを美しいと感じれる心だけはいつまでも失いたくないと思う。