今朝も非常食の缶詰ごはんを昨日の鮨の容器を洗った器に移して温めて頂いた。プチトマトが2個残っていたものを冷蔵庫に入れておいたので、それを頂いた。
余り見晴らしもない宿だったので、早めに退出して、元町港から地層切断面前というバス停で降りて見学し、少し表砂漠方面に歩こうかと考えていた。良く時計を見たら、もう5分前、慌ててオーナーさんにカギを返して、走って元町港へ。なんとか間に合って、バスの運転手さんにそこで降りる予定と伝えたら、道路沿いだから車窓から見るので十分ですよと言われてしまった。何しろ次のバスは約一時間後なので、それなら波浮港へ直行しようということになった。お土産物屋さんくらいあるのかなと思っていた。
地層切断面は、かなりの規模で続き、見ごたえがあったが、車窓からだったので、つり革が反射して映り込んだりしてしまった。
波浮港は古い港で文人なども盛んに逗留したらしく、文人通りなどができているようだった。しかし港にはお店屋さんらしいものも見えず、船が停留しているだけの静かな湾だった。昔は火口湖だったところを切り開いて港にしたのだとか。
大島海洋国際高校所有の船
バスは波浮港のバス停に停まったが、そのまま乗っていたら波浮港見晴台にこのまま行きますと放送され、そのまま見晴台まで乗って行った。このバスルートは路線バスだったので、シルバーパスが使えて、私は無料だった。
そのバス停に一緒に降りた青年に、(湾の展望とあんこ椿の歌碑の他は、)何もないですね、と話しかけたら、この先を歩いて信号を右に曲がると文人通りとか見どころのある建物などもありますよ、そっちから降りて、ご自分は美味しいコロッケ屋さんがあるから、行くつもりだとのお話。それなら私たちもご一緒させていただくことにした。
ところがその手前に、波浮港近道という標識があり、私たちはそちらの方がハイキングコースっぽいので降りて行ったら、その方も面白そうということで一緒に降りて来た。
でもなんということはない、西海岸のバス停に近いところに降り着いたが、入口には何の標識も出ていなかった。
それで海岸で釣りをしている若者に、何がつれますか?と聞いたら、かさご、という答え。一人の人のバケツに小ぶりのカサゴが泳いでいた。カサゴのから揚げ、美味しいですね。煮つけも…
それから風情のある、商店がほとんど今はない商店街を通り抜けて、カモメの像が置かれた場所の手前の商店、目立たないが「コロッケ」の旗が出ていて、中には有名人のサインの色紙が並んでいた。それで、その方が注文した後、私たちも一つずつ注文した。小ぶりで一個70円(値上げのお詫びが書かれていたから、もっと安かったのだろう)揚がるのをしばらく待っていると、紙袋にくるまれたコロッケが出来上がり、港の端で立ち食い。肉は入っていない玉ねぎだけのあっさりしたコロッケだったが、確かに美味しかった。
途中にみなとずし、と書かれた鮨屋があって、後で見たら消毒液などが出ていて営業しているかなと期待したが、なんと今日は貸し切り予約で、一般客は入れないと書かれていた。天丼などもあって、美味しいらしかった。残念でした。
それから港の端の方に行ってみたら、古い通信塔があって風情があった。
その間の民家の土地には、黄色のパルポコジュームの花がさいていたり、野生化したペチュニアとか白いペチュニアでしょうかが咲いていて、崖の方にはキイチゴの花が沢山咲いていた。
キイチゴの花
それから時間もあるので、昔は賑わっていたという湊屋旅館が保存されているのを見学。
階段を登って登って、旧甚の丸邸を見学したりした。
土間にきれいなタイルがはめられているのが当時をしのばせた。
裏から見たなまこ壁
踊り子会館は見つからなかった。登山靴を脱ぐのが面倒で奥に行かなかったからだろうか?
脇のオオシマザクラがきれいだった。
再び階段を下りてバス停に出たが、時折パラパラしていた雨がちょっと本降りっぽくなって、雨具を身に着けた。真っピンクの雨具が目立ったのか、その時に、横の車に乗って、コロッケを食べていらっしゃったおじさまに声をかけて頂いた。「送ってあげようか?」
それなら、後から合流した例の青年も一緒に乗れるかなと思って、3人でも良いかどうか伺ったら、良いとおっしゃるので、遠慮なく乗車させていただいた。どこまで?と聞かれて、その青年のおすすめで火山博物館が見ごたえあるということで寄ろうと思ったので、火山博物館とお伝えした。
私たちはてっきり元来た道を戻るのかと思っていたが、筆島は見たことある?と聞かれて、私たちはそういう島があることも知らず、その青年が「バスでは行かれないですから」とお答えしたら、連れて行ってくださるというのでお願いした。
そこは断崖絶壁の向こうに 小さな島があって、火山活動で固まった固い岩が周りを削られて残った島だそうだ。
そこから大島周遊道路のバスの通らない東側を運転してくださって、裏砂漠の出口(真っ黒な砂地が細長く広がっていた)や最初計画していたテキサスルートの出口を教えて下さり、途中の海のふるさと村というキャンプ場にはコテージもあって温泉もある良いところだとのお話。同乗の青年は数年前に自転車で大島一周なさっていて、そこをキャンプで利用したそうだが、急な道をすごい下の海岸まで降りるので大変。特に帰りが登りで大変だったとのお話だった。そこはバスが通らないのでレンタカーとかマイカーでないと利用できませんね。
テキサスルートからバス停のある、大島公園まで、かなりの距離の車道を歩かないとならないことが分かって、そのコースを選ばないで良かったと思った。
大島公園のあたりから、アジサイの多いアジサイレインボーラインという大島を横断するルートに入って下さり、桜っ株という、昔はさくらの大木で航海の目印にしていたという桜の古木が保存されているところも教えて下さり(花はこれからだそうだ)、大島温泉横を通って、なんと昨日バスに乗った三原山山頂口まで寄ってくださった。そこから御神火スカイラインのくねくねした道を下って行った。かなりの腕前でないと、華奢ではない4人が乗り込んでいる重い車の操作は大変そう。途中、三原山を見渡す場所で止まって下さり、写真撮影。
あいにく雲が頂上付近を覆い隠していた。それから、元町港が俯瞰できる場所で減速して下さった。
またくねくねと溶岩流が今は浅い緑に覆われた傾斜地になっているのを見ながら降りて行って、新しい子供のための公園にはさくらの苗が沢山植えられていて、将来は見事だろうなと思いながら見て、元町に出て下さるのかなと思ったら、左折してなんと火山博物館の入り口に車を付けてくださったのだ。夢のようなドライブを経験させていただきました。お礼に何かと思って非常食などを探しているうちにもうお帰りになりかけて、言葉のお礼しかできなかったのが申し訳ありませんでした。相当にガソリンも消費したと思います。本当にありがとうございました。ご子息様は東京に出られていて、夜釣りがご趣味で大島に残っていらっしゃるとのこと。お元気でお過ごしください。
ということで、その青年と私たちは火山博物館を見学。入場料は500円だったが、大島だけでなく、世界各地の噴火の種類とか岩とかの説明や、噴火予知のためにどういう調査を行っているのか、そういう機器の展示などがあり、見ごたえがありました。ただ、食事や喫茶の施設は一切なく、少しお土産が置いてあるだけだったのが残念。それでバスの時間を確かめたら、また、後5分しかなく、慌てて長い階段を下って行って、道路の向こう側のバス停に出た。時刻表が元町港出航の日と、岡田港出航の日で違っているので見間違えてしまったのだった。困ったものです。
元町港で食事をなさるというその青年の後をついて行って、同じ食堂に入ってみた。その青年はくさやが気に入って、食べるとのこと。私たちは地魚刺身定食にしたら、白身の地魚が4種盛り合されて、珍しい魚もあって美味しく頂いた。しかし、思ったほどは臭いが広がらないし、折角大島に来たんだから、くさや、食べてみましょうか?ということで1人前だけ頼んで分けて頂いたが、私は臭いに敏感なので、大きめの一切れを頂いたら十分だった。食堂の方は、マイルドなくさやだとおっしゃっていたが、やっぱり私には無理だった。なんとか食べられましたが。慣れると美味しく感じるのかしらね?
追加注文したので、時間が少しかかり、気が付いたら、次のバスまでまた、後5分。またまた走ってバスのところにたどり着いた。お酒を召し上がった仲間は少し遅れたが、何とか時間に間に合った。
昨日来た道をまた戻って岡田港へ。まあお土産屋さんを見たりしていたら、1時間はすぐにたった。お土産屋さんでは試食のお菓子も置かれていて、コロナなのに大丈夫かしら?と言いながらそばの女性と一緒に試食してしまった。
ついに呼び出しの放送があって、最終便に乗り込んだ。朝の段階では久里浜行きは運航するかどうか分からないと出ていたが、運行され、舘山経由の便も運航、旅行会社の千葉行きの臨時便も運行されて、最後の最終便も運行の運びとなった。幸い強い雨には会わず、乗船時、パラパラ降る程度で助かった。
途中、さすがにしばらくしたら白波が立っていたが、思ったほどは揺れず、眠れる程度の揺れで、時間通りに伊東港から熱海港に到着した。
熱海港では道路の反対側にバス停があり、そこに並んでいたらすぐにバスが到着。ここはスイカが使えました。大島では、まったく使えませんでしたが。
それから順調に電車で品川に行き、私は乗り換えて帰宅。仲間は残念なことに乗り継ぎの電車が架線事故か異音か何かで点検中で止まっていたらしく、大分遅くに帰り着くことができたそうでした。何分基本的には新幹線とか有料特急とかを使わない方針なので、時間がかかります。お疲れ様でした。
伊豆大島をたっぷり楽しむことができました。椿祭り中で、椿もたくさん咲いていたのですが、写真に撮らなかったことを反省しています。大島は良い所でした。人口はどんどん減っているとか。行楽施設もほとんど見当たらず、喫茶店さえ数える程度でした。田舎はどこもそんな感じかもしれませんね。
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