かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

田床山

2008年02月06日 | 追憶の山
1976年4月18日 天候 晴 参加2名
コースタイム 小郡(8:50)→上野(10:10~10:20)→西峰山頂(11:15~11:50)→桜谷川出合(13:10)→人丸神社(13:30)→東光寺(14:00)→松陰神社(15:00)→上野(15:15~15:25)→小郡(17:00)

3月20日付の朝日新聞に掲載されていた萩市にある田床山に神社巡りも兼ねてピクニックに行くことにする。上野付近の空き地に車を止め、田床山登山口と道標のあるところより車道を田床山西峰に向け歩く。途中、山桜が咲いており「穂高岳 見えて雨飛ぶ 山ざくら」という感じでもないが単調な道のりに花を添えてくれる。

山頂に着くと予想通り北、西面の展望は申し分ない。青海島、笠山、指月山、橋本川・松本川にはさまれた萩の市街地が一望の元に見渡せる。しかし、この西峰周辺も伐採が進んでおり、公園地化するのも時間の問題である。車道を造ると利用し易くはなるが途端に低俗化してしまう。ちょっとさびしい気もした。

ここより東峰を目指し、鳥越峠に下るつもりだったがルートらしきものは無く、5万図のルートに従い桜谷川に下ることにする。東光寺方面に下るルートの切り分けを過ぎると静かな山のムードとなり、ほっとする感じである。唐人山のピークが眼前に迫って来ると沢を下ることになるが下降地点だけはじっくりと見定めたい。

下降点より約15分も下るとブッシュ気味の道が桜谷川へと導いてくれる。林道に出るとすぐ唐人山からの沢に三段滝がありここで一休みすると良い。桜谷川の両面は若葉が美しい。さらに山椿も色を添え「雲に眠り 渓流にゆれ 山椿」という感じでこれもグー!人丸神社に着くと早速お参りをする。このあたりは人気がないらしく、苔むした感じも良い。さらに神社シリーズということで東光寺、伊藤博文旧宅、松陰神社etcにも立ち寄ったがいかにも観光地化されており我々には?でした。

注)駐車場は東光寺を利用した方が良い。桜谷川方面はルートファインディングがポイント。五万図と実際の地形をじっくり見ること。

後日談:田床山山頂付近は現在かなり変化していると思われ、我々が歩いたコースが、歩けるかどうか定かではない。

福智山

2008年02月05日 | 追憶の山

1976年3月16日 天候 晴れ 参加者14名 走行200km 会費1200円
コースタイム
小郡(6:40)→門司(8:00~8:10)→福智水源地(9:30~9:50)→七重の滝入口(10:15~10:20)→一の滝(10:30)→大滝(10:50)→山瀬(11:15)→豊前越(11:35~11:50)→福智山頂(12:35~14:25)→五合目(15:00~15:10)→福智水源地(16:30~16:40)→門司(17:35~17:50)→小郡(18:50~19:00 解散)
定刻集合もすっかり板に付き、6:40に出発!まだ見ぬ福智の山頂に思いをはせて車を走らす。少しまわり道もしながら福智水源地に車を止め、山頂を仰ぎ見ながら春き始める。道が交差しているところに案内板があり、そこよりルートを右にとり七重の滝入口に出る。清流を右に見ながら広い平坦な道を行くと七重の滝が始まる。そこからは滝、高巻きの連続で沢好きの私にとっては絶好のコース、滝には形により色んな名前が付けてある。思索の広場という場所もあり、雰囲気が良い。

このルートのハイライトは大滝、そこには虹もかかってグッドな感じだった。この滝を抜けると平坦な道となり、ゆるやかな流れが続く。しばらくいくとてっぺん広場という山の中のオアシスという感じのところに出る。ここはテン場にも良さそうで3~4張は設営可能。もうすぐ尾根に出るところだが道標に従いきれいな滝つぼの前を渡る。
しばらく山瀬までは沢を左に見ながら歩き、平坦な道が続く。山瀬に着くと立派な道標がありルートを左にとる(このルートは道標が完備しているので見落とさなければ迷うことはない)。

山瀬から少し歩くと杉のうっそうと茂る木立の中をくぐり抜け、水量の少ない枝沢を詰めることになる。このあたりは人の手も加えられておらず、自然がそのまま残っている。もっと荒れていると思っていたが予想外だった。また、皆の体調も少し汗ばむ程度で時折、沢を抜ける陽春の風が気持ち良く、快適だったらしい。段々と水量が少なくなり、沢が枯れてくると急坂になる。一気に登り切ると尾根に出る。豊前越である。ここからは尾根道なので大休止とする。冗談を言いながら軽口をたたいていると、尺岳から福智山へと向う縦走パーティが次々と通り過ぎていく。どの顔も元気一杯、先ほどまでの静寂?ムードは一変し、にぎやかになった。今回初参加のN氏はニコンでニコニコ顔を撮りまくる。きっと名作が出来上がるだろう。

SLが出発2分前を告げるとM、T、M´、Aの4名を除きすぐに出発する。取り残された4名はあぜんとして後を追いかける。ここからはプロムナードコース、交通量?も多いため、山道というよりも歩道である。山口近郊の山でもこのような縦走路があればいいなあと思う。振り返ると尺岳のピークが望まれ、一路福知山頂へと向う。ピークが近付くにつれ堂々とした秀麗な山容が眼前に迫ってくる。登山口で見た彼女?の姿は十種ヶ峰程度に写ったのであるが、近づいてみると実に堂々としている。山は自分の足で踏んでみないと語れないものだなと実感する。

カラス落としに着くと内ガ磯からのルートと出合い、急坂の直登になる。立派な山小屋(30人宿泊可、湧水あり)の側を通り、巨岩の露出したクマ笹の草原の中をいくと目指す福智山頂に着いた(クマ笹の丈は十種ヶ峰のものより長い)。
山頂からの展望は360°北には周防灘、響灘の海が広がり、遠く皿倉山、帆柱山のピークが望まれる。また南には英彦山、犬ヶ岳、東には平尾台のカルスト台地も確認できる。

登頂を祝ってY氏はイモショウチュウ、Y´氏はタヌキを出して祝杯を上げる。S氏はどこでみつけたのか雪をコッフェル一杯に詰めてくる。アラスカの雪を空輸したという説も?かくしてタヌキのオンザスノーの出来上がり。OHCの恒例としてどんな料理もタヌキベースになるらしい。昼食に作ったラーメン風山賊ごった煮もタヌキを少々という始末。

山ならではの豪華な料理?をおいしく頂き、食欲をなんとか満たすと次はゲーム、歌の時間でM氏の指揮の元に福智山雑音合唱団が大声を張り上げる。中には乗りすぎてアルペンダンスを繰り出す人も!山の神もさぞ迷惑がられたであろう。歌うのは山口県民の歌etc・・・・。山口県の歌を小さく歌えばいいものをわざと大きくしたり・・・とくかく楽しい一時を過ごした(福岡県民の皆様・・ごめんなさい。見逃して下さい!)。

復路はピークより東南にルートを取り、歌いながらの下山になった。少し下り肩の地点で左のススキの中の小道に入る。右に英彦山、犬ヶ岳を見て、左には先ほどの福智山のピークを見ながら進むと樹林帯になり、単調な下りとなる。途中五合目の道標を見つけると小休止とする。ここよりルートを左に取り、沢づたいに約50mも下ると、また山道になる。さらに進むと小さな滝に出合い、丸木橋を渡り、ここで食器を洗うと共にリンゴが配られる。おいしかったね!

ここからは平坦道となり、杉の木立の中を進む。しばらく歩くと今朝の道の分岐に出る。朝とは反対側の道を水源地を右に見ながら歩き、振り返ると福智山のピークを望むことができる。全員良く歩いたなと実感する瞬間でもあった。福智山は朝感じたものより、内容もあり素晴らしい山だった。それは皆が体で感じたものと思います。
(18:50全員無事に小郡に到着、お疲れさんでした。また山に!)

後日談:この山行からもう30数年も福智山には登っていない。山の様子も変わっているだろうが、また近いうちに同じコースを登ってみたいと思っている。当時、グループ登山では昼食後やキャンプファイヤー、天幕内で合唱が定番だった。数年前、現在所属している会の例会で同じようなことを目論んだが・・大失敗に終わった。やはり青春譜のひとつとして胸にしまい込んでいた方が良さそう。

ところで今日、恐羅漢山頂に向かって歩いて行き、連絡の取れなかった7名のグループが全員無事に見つかり救出されたとの報道があった。

下手に動かず、廃屋で焚き火にあたりながら体力を温存し、天候の回復を待って下山したことが、大事に至らなかった主要因だろう。

山頂付近は新雪50cmを含め2mぐらいの積雪だったとのこと。これぐらい積もればまともには行動出来なかっただろう。

「雪の多いところで楽しもうといった安易な気持ちで行動し、山を甘く見ていた」とは当事者の弁。最近バックカントリーを楽しもうと軽装で山に入る人も多いらしい。

自然の猛威の中で人はあまりに無力、それなりの準備も必要だし、天候悪化の兆しがあれば早めに撤退するなど畏敬の気持を忘れてはいけないと思った。

自身、冬山の怖さや大変さは少し経験もしている。本格的な冬山や岩登りは気力、体力及び技術面で到底無理なことも自覚している。これからも無理をせずに楽しみたいと思う。


五龍岳

2008年02月04日 | 追憶の山

北アルプス 後立山 遠見尾根~五龍岳
1975年12月28日~1976年1月3日 使用地図 1/5万大町・立山
担当 CL:MO SL:MI R:YA 装備:KU 気象:AK 参加以上5名

共同装備 ホエーブス4、ナベ2、コッフェル1、包丁2、ローソク5、メタ3、ランタン1、テント6人用一式、スコップ2、ノコギリ1、ツエルト3、ベニヤ(450×300)3、白ガソリン15L、ラジオ1、トランシーバー1組、ザイル2、標識布10、薬品一式、ロールペーパー5、たわし2、細引10m、テルモス2、ポリ袋20、天気図用紙、カメラ2、ペグ、竹15、ベンジン0.5L

個人装備 目出帽、毛手袋3、ダブルヤッケ上下、オーバーシューズ、ロングスパッツ、ニッカホース2、靴下3、セーター1、毛下着上下、オーバー手袋、替え下着1、地図、コンパス、健保、洗面具、アイゼン、アイゼンバンド2、ピッケル、ワカン、ゼルプスト、カラビナ4、シュラフ、エアーマット、ナイフ、ヘッドランプ、食器一組、サブザック、ポリタン2L×1、カイロ、ザック80L、背負子、その他見回品、

経費:一人当り24000円

行動地域の概念図

行動記録
12/28 小郡(8:52)→京都(12:40~22:16)→名古屋(23:45)→
12/29 神城(5:00~7:00)→とおみテレキャビン(7:40~8:30)→地蔵の頭(9:30~10:00)→小・中遠見のコル(12:50~13:20)→大遠見BC(先発隊14:20、後発隊15:00) 天候 快晴

小郡駅ではOHCの見送りを受け、元気に出発(M氏にオールド、つまみ、F嬢には非常食の差し入れを受ける)。
京都駅に着くとMO、KU両氏が迎えに来ており、MO氏の自宅で最終打合せ、荷造りをする。MO氏を除いて初対面であるが気さくな人ばかりですぐに打ち解けることが出来た。かくしてNRC五龍アタックパーティが出来上がる。

名古屋駅からは混雑が予想されたが以外に空いていた。神城駅に着くとチッキで送っていた食料を受取り背負子につける(平均40kgの荷物になる。当時体重が55kgだった自身も身につけた装備・荷物込で重量計に乗ると100kg近くになった。)

腹が空いては戦にならぬと駅前の食堂に駆け込む(ライス・豚汁・野沢菜)。ようやく腹を満たし出発しようとすると、白馬三山がモルゲンロートに染まり、我々の山行を祝ってくれる。

大糸線の線路を横切るとつらい山行が始まる。車道は凍っており多少歩きづらかったが、YB氏が一度スッテンコロリンと転んだ他は難なくとおみテレキャビン山麓駅に着く。少し時間があるので黒姫、妙高山系をバックに写真を撮る。無風快晴で絶好の登山日和だった。テレキャビンで高度700mを一時に稼ぐ、便利になったものだ。おかげで遠見小屋に荷物をデポする予定だったが、天候も良く行けるとこまで頑張ることになる。

実際はここから山行の始まりというべきか、果たして取付きよりMI、KU両氏が総重量が重い訳か雪に足を取られて中々進まない。他のパーティにどんどん追い抜かれる。KU氏が多少バテ気味になったので多少余裕のあると思っていた私が荷物を交替する。少しの重量差だったが今度は私がバテ気味となり、ラストを歩いていた私はだんだん間隔があく。中でも小遠見の登りがこたえたらしい。KU氏と私は休憩を取っても回復が遅くなる。

しかし、リーダーの好判断で小・中遠見のコルに各自10kg程度の荷物を下ろしデポすることになり、MO、MI、YAの3名が先発隊でベースに行くことになる。少しバテ気味のKU氏と私は10分後にゆっくりと歩き始める。八方尾根側に小雪屁が出ているが慎重に歩けば特に危険はない。山麓駅で白岳付近で雪屁の踏み外し事故があったと聞いていたのであせらずに歩くことにする。ベースに着く前に山に別れを告げる登山者の姿を見る。大切な同好の士を失ったような気持に駆られると共に冬山登山について考えさせられた。

ベースに着くと、着々と工事?が進められており、頭の下がる思いがした。私も及ばずながら設営に加わる。一通り設営が終ると、夢にまでみた五龍、鹿島槍の稜線に見とれる。五龍は男性的で後立山の一角にデンと腰を据えており、鹿島槍はカクネ里を懐に抱いて優美な姿を見せる。北壁のヒマラヤを彷彿とさせるヒダもたまらなく魅力的である。どこに人命を奪う魔力が潜んでいるのだろうかと思ったりした。

食事の後しばし談笑の時を過ごしたが、入山一日目の疲れも手伝って全員シュラフの中に入り、OHCのM氏差入れのオールドで乾杯を上げるとすぐに寝入ってしまった。割合スムーズに冬山第一夜を迎えられた。後は五龍のピークに立つことと、岩崎宏美の歌が聞けたら言うことなし?(夕食メニュー:カップライス、カレー)

12/30 大遠見BC(11:30)→小・中遠見のコル(12:00~12:30)→大遠見BC(13:30) 天候:雪 風が段々と強くなる。

今日の予定は荷揚げのみなので、11時頃まで様子を見る。風が少し弱くなってので行動食・非常食を持ち、MI、YA、KU、AKの4名で荷揚げを行う。若干吹雪いているが荷揚げには支障ない。約2時間で荷揚げを終える。残った楽しみは食事のみ、幸いなことにCLのMO氏が絶妙の味付けでカス汁を作る。おいしい!!やまやは料理上手でなければダメらしいが、CLのMO氏には奥さんはいらないという声が出たほど日頃から研究されているという。無精の私には中々真似できない。
夜はセーターを着て、懐にカイロを入れて寝たので寒さは余り感じなかったが、夜半より突風が吹き荒れ、テントのポールがしなり、テントも浮きそうになり、思わずポールを足先で抑えるようにする。突風が規則的に襲ってくるので本能的に足を突っ張ることになるが、昼間の行動時間が短かく、疲れもないのでなかなか寝付かれない。中には図太く豪快な寝息を立てているメンバーもいたが、私は小心者のため長い夜になった。(食事メニュー 朝 雑炊 昼 行動食 夜 こはん カス汁)

12/31 天候悪化のため停滞 天候 地吹雪 15時頃から晴れ
8:00起床するも風が強く、五龍アタックは中止、停滞を余儀なくされる。しかし退屈せずに楽しい一日になった。山、仕事、酒、○の話でもちきりだったが、MI氏がラッパとか・・・・とか面白い話を出して場を明るくしてくれる。石川さゆりと岩崎宏美ファンの他愛ない対立もあったが、宏美のロマンスもラジオから流れ、小生大いに満足(紅白もトップの歌いだしだったし・・・)。

さて、今日やったことといえば、雪洞を整備し、YA氏を除き大キジを打ち、サッパリとする(冬山の天幕生活では大小のキジ打ちが大仕事?になります)。さらに天幕の内外を整備する。15:00頃外に出てみると風も弱くなり、一日ぶりに五龍、鹿島槍が全容を現す。16:00天気図を取ると西日本一帯は快晴であり、晴れも一日半は持ちそうである。明日アタックを決定する。全員明日の好天を願って紅白歌合戦を聞きながら入山三夜目を迎えた。

1/1 大遠見BC(8:30)→五龍小屋(10:15~10:30)→五龍岳山頂(11:30~11:45)→五龍小屋(12:45~13:00)→大遠見BC(14:30)

7:00起床、予報通り快晴になり、アタックを決定する。昨夜の雑煮がカチカチに凍る。冬の残飯は腐らなくて良い。8:30アタック装備(アイゼン、ピッケル、ゼルプストダブルヤッケ、行動食、予備食、非常食、目出帽、オーバーシューズ、ザイル、ツエルト)に身を固めてベースを後にする。西遠見までは高度差も少なくCLのMO氏を先頭に快調に進む。白岳の方に目を転じると南斜面をラッセルしているパーティを見つける。スムーズには進んでいないようである。我々は先行者のトレースを忠実にたどる。西遠見、白岳のコルより白岳まではかなりの斜面を登高することになる。白岳のピークまでは難なく進んだが、ピークを越すと様相は一変した。雪質は湿雪から砂糖を散りばめたようなサラサラの乾雪となり、がれき交じりでアイゼンも効きにくい。更に風も日本海からの季節風をもろに受け、冷たく強い(顔に当たると冷たいというよりも痛いという感じ)。おまけに私はアイゼンの爪を岩角に引っ掛け転倒する。冬の北アルプスの厳しさが一挙に襲ってきた感じだ。

五龍小屋(冬季開放とあるが非常時でしか利用出来ない)の前で風を避けて一休みすると緊張感もとれほっとする(数パーティが風を避けて休んでいた)。行動食を取ると五龍アタックを開始する。相変わらず黒部側からの風は痛く、顔を刺す。ルートは五龍岳直下までは夏のルートとほぼ同じで黒部側からトラバース気味に徐々に高度を稼ぐ。慎重に行動すれば特に危険はないが、気を抜くと強風にあおられることになる。さらに天候不順の時アタックすれば危険極まりないだろう。

最後の詰めは雪壁を登ることになり、かなりの高度感を味わいながら、一歩一歩ピッケルとアイゼンを効かせて慎重に登る(信州側に巻いて夏道と同じルートを取ると岩と雪の壁をアンザイレンして登る必要がある。我々は先ほどのルートでザイルなしで登る。)
また後続のパーティが間を入れず登ってくるので絶対にミスは許されない。少しスピードが遅く迷惑をかけたようだが、滑落すると自身だけでなく、他人の命をも奪ってしまうことになりかねないので、とにかく確実に登ることにした。
壁を乗り切ると緩斜面となり、20mも進むともう登らなくて良かった。

かくし辰(龍)年の元旦に五龍岳のピークに立てることになり、記念すべき山行になった。変わらず強風の中だったが、空は快晴で目前に黒部をはさんで剱岳が周囲を圧している他に槍・穂高連峰、裏銀座の北アルプス、八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、更には上信越、三国山脈の妙高、黒姫、浅間山の山なみ、富山湾を隔てて能登半島、日本海までも確認出来る。他のシーズンでもこのように雲一つない快晴は珍しいのではないかと思う。

全員で健闘を祝し記念撮影をする。ここでも写真にかけてはセミプロのYA氏が大ハッスル、仕上がりが今から楽しみである。とにかく最高の展望ではあったが、夏山のようにゆっくりするわけにもいかず、15分後に下山を開始する。安全な場所になるまではファイトマンのKU氏をトップに、YAと続き、CLのMO氏をラストにアンザイレンで下降をする。雪がクラストしていないために思ったよりスムーズに下降することが出来た。しかし、アイゼン歩行、ピッケルワークは不十分だったとはMO氏の談。

五龍小屋に着くと緊張感も少し和らぎほっとする。テルモスの紅茶と行動食を取りいざベースへ。復路は白岳のピークを乗り越さず直下をトラバースする。白岳~西遠見間は鹿島槍側から吹く風で雪屁がかなり唐松側に張り出ているので、唐松側に踏み外さないように注意をしたい。おまけに信州側に降りてもこの間は突風が吹き荒れ、その度に顔を八方尾根側にそむけ、避風?姿勢を取る。しかしベース近くになると風も凪ぎ、安堵感も手伝ってゆっくりと歩く。ベース直前のちょっとした斜面ではシリセードで遊びながら下る。本当に良い一日だった。

1/2 大遠見BC(11:00)→中・小遠見のコル(11:30~12:00)→地蔵の頭(13:00~13:15)→とおみテレキャビン頂上駅(13:30~14:00)→とおみスキー場レストハウス(14:30~14:45)→神城駅(15:15~16:50)→大町(17:30~18:30)→松本(19:40~24:00)→1/3京都(6:10解散)

11:00までに朝食(ミルク入りカタクリ粉)をとり、テントを撤収して下山にかかる。食料は4~5日分余った感じで極端には減らない。CLのMO氏に荷が片寄ったこともあり、アイゼンも付けずに下山されたのでスリップ気味で歩きにくそうだった。地蔵の頭までくるとテレキャビン頂上駅まではわずかであり、もうここはスキーヤーの世界である。久し振りに女性の顔を見ると皆きれいに見えるとは全員一致の弁、いいところを見せようとしてAK、MU、KUは大ケルンにアイゼンの爪を立ててよじ登る。やっぱり岩登りがいいわと上に立ってパチリ、幼いことこの上ない。

レストハウスで昼食としたが何と人の多いこと。都会の雑踏に一挙に引き戻された感じである。山やはこんな雰囲気は似合わない。ラーメンをすすり、そそくさと神城駅に向かう。神城駅に着くと装備を整理し、2日分のきじ打ちに行く。なんと幸せなことか!苦労もせずにキジが打てる。さっぱりした後、駅前の茶店でビールで乾杯、つまみは野沢菜づけ、おでん。ビール1~2本ぐらいはラッパ、ラッパという者ばかりであっという間に飲んでしまう。
ここで郷里に向うYA氏と別れ、松本へと向う。京都行の電車の指定は無く、グリーン車で京都までゆっくり帰ることになる。駅前のみやげ店で思いおもいのみやげを買い、最後の打上会を夕食も兼ねて行う。全員食欲だけは旺盛で一気にたいらげる。酔った勢い?で京都に着く。皆さんお疲れさまでした。また山に。

感想および反省点
天候にも恵まれ、CLの好判断で楽しい山行となりました。今回の山行について皆さんに迷惑ばかりかけて申し訳ありませんでした。今後はランニングに加え、ボッカ訓練も十分にこなして参加しようと思っています。初参加でしたが皆さんの配慮により、何不自由なく過ごせたことに感謝しています。また声をかけてください。





鹿島槍ヶ岳

2008年02月02日 | 追憶の山
山行記録:鹿島槍ヶ岳 大冷沢周辺   日程:1976年4月29日~5月4日
参加者:4名
共同装備 冬テン一式(6人用)、ホエーブス(大2、小1)、コッフェル(1)、包丁(1)、ローソク(3)、メタ(1箱)、スコップ(1)、ツエルト(2)、 ベニヤ(450×300 2枚)、白ガソリン(8L)、ラジオ(1)、ザイル(11m×3)、薬品一式、トイレットペーパー(2)、たわし(1)、 細引(10m)、テルモス(1)、ナイロン袋(20)、天気図用紙(10)、カメラ(2)、ペグ(15)、なべ(2)、ロックハンマー(2)、ハーケン(10)
個人装備 帽子(1)、手袋(2)、ダブルヤッケ上下(1)、ロングスパッツ(1)、ソックス(3)、セーター(1)、毛下着上下(1)、替下着(1)、地図、コンパス(1)、健保、洗面具、アイゼン、アイゼンバンド(2)、ピッケル、ゼルプスト、カラビナ(5)、シュラフ、エアーマット、ナイフ、ヘッドランプ、食器(1組)、サブザック、ポリタン(2L×1)、その他見回り品

コースタイム
4月29日 小郡(17:00)→京都(20:55~22:26)
4月30日 信濃大町(6:00~7:00)→大谷原(7:30~雨のため停滞)
5月 1日 大谷原(11:10)→西股出合(12:40~12:50 テント設営13:15 夕食17:00~18:00)
5月 2日 起床(3:40)→大谷原(4:40)→鎌尾根取付(6:00~6:30)→第一ピーク(7:50~8:00)→稜線(11:00)→鹿島槍ヶ岳南峰(11:30~12:00)→冷池小屋前(13:10~13:30)→ 西股出合BC(15:10 夕食19:00)
5月 3日 西股出合BC(12:10)→大谷原(12:35)→信濃大町(13:00~14:00)→松本(15:00~24:00)
 5月 4日 京都(6:00)→新大阪(6:50~7:40)→小郡(11:10)

行動記録

4月30日 小雨まじりの中をタクシーで大谷原へと向かう、鹿島付近ではからまつ林の新芽が美しい。周辺の山の斜面に目を転じるとコブシが美しく咲き誇っている(雪渓を思わせるような純白)。天気は下り坂に向かっているので鹿島スキー小屋を借り、ネジロとする。

5月 1日 降り続いた雨も止み空が明るくなり、11:10よりベースに向かう。休みすぎなのか各自30~35kgの荷が負荷となり快調に進まない。苦しいベース入りとなった。本年は雪が少なくベース付近まで消えていた。天気は快方に向かい、明日アタックを決定する。

5月 2日 4:40夜が白みかかると鎌尾根を目指し大冷沢を詰める。所々デブリが生々しく残っており、なだれのすざましさを思わせる(あたかもブルで雪を掻き分けたようである)。鎌尾根取付まで来ると早めにアイゼンを着ける。このルートは条件(技術・雪量・気象)により変化するだろうが特に問題なくノーザイルで進む。1/3付近で野ウサギ、2/3付近でカモシカ・雷鳥と出会う。特にカモシカは圧巻で、尾根をゆっくりと通り過ぎて行った。鎌尾根からの展望は鹿島槍南面、東尾根、赤岩尾根等が手に取るように見渡せ申し分ない。雪庇の踏み外しに注意しながら慎重に進み、稜線に出ると眼前に剣岳が麗しの山容で迫ってくる。

風が少しきつくなり、セーターを着込み鹿島槍南峰を目指す(稜線には雪が無く、アイゼンを外す)。南峰では360°の展望を楽しみながら昼食をとる。冷池小屋前までは高度差のないコースを快調に進む。そこに着くとテントが10張程度、小屋の屋根ではトカゲを決めこむ者もいてにぎやかである。ここで鎌尾根の急斜面を確認し、大休止とする。

赤岩尾根をトラバースし、乗り越すとアイゼンをつけ西股沢に少し下る。後はBCまでの約半分はシリセードで一気に下る・・・・・・充実した一日だった。

5月 3日 朝からガスが巻いており、回復の気配なしのため下山を決定する。松本に着くと馬刺しと馬すきで乾杯、おかめ湯で汗を流し、岳人喫茶山小屋でくつろいだ後信州に別れを告げた。悪天候で実行動は一日のみで終わったが春山の楽しさは満喫できた山行でした。

♪山よさよなら ごきげんよろしゅ またくるときには 笑っておくれ♪

屋久島縦走

2008年01月31日 | 追憶の山

屋久島 永田岳・宮之浦岳縦走
日  程:1975年4月25日~5月2日 参加者:2名
装  備:テント、エアーマット、シュラフ、ホエーブス2、メタ、白ガソリン3L、ローソク2本、ナイフ、ロールペーパー2巻、ポリタン2L×2、雨具、ヘッドランプ、洗面具、コッフェル、地図(1/5万)、ガイド、コンパス、健保、医薬品、ラジオ、セーター、ヤッケ、帽子、着替、その他身回品

4月26日 4/25小郡(20:30)→4/26西鹿児島(6:16~7:00)→鹿児島港(7:20~8:00)→宮之浦港(12:30)→白谷雲水峡(13:10~13:30)→小杉谷山荘(16:10)

昨年白峰三山の帰途M氏と山行を決定した屋久島へ出発する。フェリーが鹿児島港を出ると桜島と開門岳のピークが見えるはずだが曇天で傘をかぶっている。屋久島についても同様で山なみは白いベールを被っており全容は見せてくれない。時間を稼ぐため小杉谷への最短ルートと思われる白谷雲水峡までタクシーを飛ばす。

白谷雲水峡で一休みすると道標に従い歩き始める。このルートは辻の峠までは沢伝いに付けてあり原生林の中のコケシダ類が美しい、大崩の沢ルートを思わすところだ。約一時間詰めると白谷川を渡ることになる。木立が開け前方が明るくなると辻の峠に着く。更に10分下ると前方に雄大な宮之浦岳、特異な山容の翁岳のピークが望まれる。植林された道を少し下ると安房よりの林用軌道に出合い、2~3分歩くと小杉谷山荘に着いた。

小杉谷山荘の夜は管理人のおやじさんよりスライドで登山コース、屋久島の四季についてユーモアたっぷりの説明を受けなかなか味のある山荘だった(注:現在小杉谷山荘は跡が残るだけで現存していない)。

4月27日 小杉谷山荘(8:00)→大株歩道入口(9:20~9:30)→ウイルソン株(9:50~10:30)→大王杉(11:10~11:40)→縄文杉(12:30~13:00)→高塚小屋(13:10)

本日は予定では宮之浦・永田岳のピークを踏むはずであったが、朝から雨が降っており様子を見て高塚までとした。山荘より小雨の降る中を約70m軌道沿いに進むと三代にわたって生き続けている三代杉がある。軌道を大きく曲がるところで近道に入るがすぐに平坦な軌道に出る。枕木を拾って歩くので単調になり、歩きづらいところである。しかし北沢の清流が気をまぎらしてくれる。大株歩道と道標のあるところより北沢に別れを告げ急斜面の登りとなる。約20分登るとウイルソン株に着く。この切り株は根回り32mの大きなもので内部が約10畳ほどの空洞になっている。雨が少しひどくなったのでここで雨宿りをする。十分休んだ後、次の大王杉をめざす。杉の原生林のなかで姫シャラの赤い幹が印象的だ。約40分歩くと樹齢5000年根回り41mの大王杉に着く(ここでは体を冷やすため上半身裸になる。気持ちいい!男に生まれて良かった)。更に少し進むと左手に手をつないだような夫婦杉が現れる。大王杉より約40分進むと樹齢7000年、根回り41mの縄文杉が周囲の木を圧してそびえている。英彦山の鬼杉も大きいがこれの比ではない。今日は高塚までと決めているのでここでも杉をゆっくりと鑑賞する。ここより10分も歩くと高塚分岐点(宮之浦越)に出て高塚小屋に着く。この小屋では東京、大阪、鹿児島のPと一緒になり角で談笑の時を過ごした。

4月28日 高塚小屋(6:50)→第一展望台(8:10~8:50)→分岐(10:30~11:15)→宮之浦頂上(13:00~13:30)→永田岳直下(12:30~12:40)→永田岳頂上(13:00~13:30)→鹿の沢小屋(14:10)

入山3日目いよいよ永田、宮之浦のピークを踏める日である。青空も見え元気に小屋を出発する。第一ピークを目指して急坂をジグザグ登り、小高塚の山頂直下を左に巻くと小屋跡にでる。背の高さにシャクナゲ、周囲に屋久杉とヒメシャラの林が続き見通しは良くないがシャクナゲの開花期(5月下旬~6月上旬)に通りたいコースである。約30分歩くと第一展望台に着く。左の岩の上に立つと夢にまで見た永田、宮之浦、翁の雄大な姿が眼前にある。永田の岩峰群、宮之浦のなだらかな山容、翁の大岩柱のピーク、三山三様で景観はアルプスに引けをとらない。洋上アルプスの名にふさわしい山岳美である。更に100分余りシャクナゲと屋久杉の奇形や白骨化した立ち枯れとビロードの絨毯を引いたヤクザサ、巨岩の中(大自然の庭園という感じ)のプロムナードコースを進むと宮之浦、永田のコルに着く。

昼食を済まし、空荷で九州最高峰宮之浦岳を往復する。ヤクザサのなかにシャクナゲそして巨岩とバランスがなんともいえない。次は第二の高峰永田岳を目指す。永田は全山岩峰で男性的容姿に満々ちている。北尾根の絶壁は遠く障子岳まで延びている。ガスの切れ間にははるか眼下に永田が箱庭のように見える。永田に登頂して西尾根を20分も下るとローソク岩が現れ、ここから障子岳の岩峰群も素晴らしい、シャクナゲ、屋久杉のバックに岩峰群は仙人池より裏剣(八峰)を眺める感じで実にいい!。さらにシャクナゲ、アセビの茂みの中を20分急降下するとビャクシン、シャクナゲの中に萎縮した屋久杉の老木が並ぶ鹿の沢に着く。中央に清流が走り、赤い小屋の屋根がが緑に映える。丹精こめて作られた神々の箱庭のごとく仙境という感じのところである。夜半からは大粒の雨が降り始める。

4月29日 一日中大粒の雨がふりづづき停滞を余儀なくされるが、他Pの方もいい人ばかりでやまやの交流が弾んだ。





4月30日 この日になっても雨は降り止まず、花山歩道をエスケープルートとして選ぶ(林道まで4hrで出れるため)。本来は翁、安房、黒味、花の江河、栗生歩道の計画であったが前線が停滞していたため断念した。

花山歩道は屋久島隋一の屋久杉原生林と言われているだけあって樹林の美しさは他に類を見ない。約4時間で林道に出る。これで命だけは助かったとはM氏の弁であるが、これから栗生までが長くつらい道のりだった。11kmの平坦な林道は気が滅入る。おまけに後半の6kmは夏の暑さである。栗生についたときは蒸れも手伝ってか足中豆だらけだ。しかし湯泊まで行き、公民館にネジロを決め(素泊100円)、海岸にある露天風呂に入ると疲れもとれ人間に戻った気分になる。
屋久島の最後の夜は鹿の沢より同行したオムロンP(大阪2名)と夜遅くまで談笑の時を過ごした。

翌日は安房で付近を散歩し、宮之浦へ出た。天候不順もあったが、八重岳連峰は期待以上の素晴らしい山であった。最後に今回の山行で健闘してくれたM氏へ感謝したい。

付記:停滞日に地元の山岳会の方に教えて頂いた「屋久島慕情」を紹介します。

1.青い海原 きらめくサンゴ ハイビスカスの花も咲く  夢にまで見た屋久島(繰り返し)
2.沖の漁火 夜釣の船が  鹿児島通いの定期船   離れ小島の屋久島
3.永田沖で 拾った恋が  アダン葉陰に咲いて散る  帰りともない屋久島

後日談:私達が行った頃は縄文杉も土がむき出しで自然に生えている感じで、幹にも直接触れた。現在は登山者も多くなり、さらに世界遺産に登録されたため、それに拍車がかかった。保護のために柵で囲まれ、周囲は板が貼ってある。保護のためには仕方のないことだが当時の野性味は見る影もないことは残念に感じる。

最近の報道で山中のトイレのし尿処理が大変になり、この費用(500円任意)を登山者に負担してもらうことになったとのこと。登山者が多くなりすぎると新たな問題も起きる。ニュージーランドの山などは環境を守るために総人員規制を行っており、一定数以上の登山者を山にいれないしくみになっている。日本の山もいずれ入山規制が必要になってくる気がする。