何度もこのブログで書いているように、YOUTUBEの存在を知ってからというものルチャリブレの動画は意識的に収集している。最初の頃は最新の試合映像ばかりだったのだが、ここ1~2年は古い試合の映像も投稿されてきて当時専門誌で写真と記事でしか知ることの出来なかった“本場のルチャ”を手軽に鑑賞出来るようになった。いい時代である。
この間、1991年に開催された第58回アニベリサリオ(創立記念大会)のTV映像がまるまるアップされていてちょっと興奮した。CMLLでは毎年、創立記念日である9月21日の前後週に創立記念大会として総本山アレナ・メヒコでビックマッチが開催される事はルチャファンならば周知の事実であろう。
WWEの『レッスルマニア』のごとく(当然アニベリサリオのほうが歴史は古いが)すべての抗争・遺恨の決着戦がこの大会に行われるのでメイン級のカードのほとんどははタイトル戦やマスカラ戦、カベジェラ戦が占めていてただでさえ熱いメヒコの観客の興奮も高まりっぱなしだ。
収録されている試合はNWAライトヘビー級タイトルマッチのマスカラ・サグラーダVSピラタ・モルガン戦、アニバル、リスマルク、ラヨ・デ・ハリスコJr組VSウニベルソ・ドスミル、マスカラ・アニョ・ドスミル、ニトロン組の6人タッグマッチ、メインがコナンVSペーロ・アグアヨVSシエン・カラスの3wayカベジェラ(髪切り)戦(厳密には3人で行うバトルロイヤルみたいな感じで負け残ったものが髪を切られるというルール)といったラインアップだ。
どの試合も遺恨・因縁絡みのマッチメイクで、たしかこの後にアニバルはM・A・ドスミルにマスクを取られているし、メイン戦なんか三人共々仇敵同士という凄さ。しかし試合内容はどうかと聞かれれば「これは!」というほどのものではない。豪華なカードではあるけども。
ではこの映像の何に価値があるのか!?それはルチャ史における重要な分岐点だからである。
ルチャ史をちょっとでもかじった事のある方ならピンと来ると思うがこの大会の翌年(92年)、EMLLの企画室長だったアントニオ・ペーニャがごっそりとスター選手を引き連れ独立、AAAを旗揚げしたのだ。この映像に登場する選手の大半がもう翌年にはEMLLマットには上がっていないのである。
89年にメキシコシティでのTV放映が解禁となるとEMLLは、フランシスコ・フローレス氏亡き後徐々に力が落ちてきた敵対団体・UWAに大差を付けるために、UWAで活躍する若くて才能ある選手を引き抜き、TV時代に合わせたカラフルで個性的なキャラクターを与え続々と登場させる(現在活躍中のウルティモ・ドラゴンもそのひとり)と同時に、各地のプロモーターたちと協力しタイトル管理組織CMLL(これが現在の呼称となっている)を設立したりとルチャ業界では独走状態であった。その集大成ともいえるのがこの91年度のアニベリサリオだったといえよう。
YOUTUBEのおかげで次々と“お宝映像”が公開されることを切に希望する。そんなわけで海外のマニアの方、ひとつ宜しくお願いします(笑)。
この間、1991年に開催された第58回アニベリサリオ(創立記念大会)のTV映像がまるまるアップされていてちょっと興奮した。CMLLでは毎年、創立記念日である9月21日の前後週に創立記念大会として総本山アレナ・メヒコでビックマッチが開催される事はルチャファンならば周知の事実であろう。
WWEの『レッスルマニア』のごとく(当然アニベリサリオのほうが歴史は古いが)すべての抗争・遺恨の決着戦がこの大会に行われるのでメイン級のカードのほとんどははタイトル戦やマスカラ戦、カベジェラ戦が占めていてただでさえ熱いメヒコの観客の興奮も高まりっぱなしだ。
収録されている試合はNWAライトヘビー級タイトルマッチのマスカラ・サグラーダVSピラタ・モルガン戦、アニバル、リスマルク、ラヨ・デ・ハリスコJr組VSウニベルソ・ドスミル、マスカラ・アニョ・ドスミル、ニトロン組の6人タッグマッチ、メインがコナンVSペーロ・アグアヨVSシエン・カラスの3wayカベジェラ(髪切り)戦(厳密には3人で行うバトルロイヤルみたいな感じで負け残ったものが髪を切られるというルール)といったラインアップだ。
どの試合も遺恨・因縁絡みのマッチメイクで、たしかこの後にアニバルはM・A・ドスミルにマスクを取られているし、メイン戦なんか三人共々仇敵同士という凄さ。しかし試合内容はどうかと聞かれれば「これは!」というほどのものではない。豪華なカードではあるけども。
ではこの映像の何に価値があるのか!?それはルチャ史における重要な分岐点だからである。
ルチャ史をちょっとでもかじった事のある方ならピンと来ると思うがこの大会の翌年(92年)、EMLLの企画室長だったアントニオ・ペーニャがごっそりとスター選手を引き連れ独立、AAAを旗揚げしたのだ。この映像に登場する選手の大半がもう翌年にはEMLLマットには上がっていないのである。
89年にメキシコシティでのTV放映が解禁となるとEMLLは、フランシスコ・フローレス氏亡き後徐々に力が落ちてきた敵対団体・UWAに大差を付けるために、UWAで活躍する若くて才能ある選手を引き抜き、TV時代に合わせたカラフルで個性的なキャラクターを与え続々と登場させる(現在活躍中のウルティモ・ドラゴンもそのひとり)と同時に、各地のプロモーターたちと協力しタイトル管理組織CMLL(これが現在の呼称となっている)を設立したりとルチャ業界では独走状態であった。その集大成ともいえるのがこの91年度のアニベリサリオだったといえよう。
YOUTUBEのおかげで次々と“お宝映像”が公開されることを切に希望する。そんなわけで海外のマニアの方、ひとつ宜しくお願いします(笑)。