日々雑感

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バックアップ

2011年05月01日 | Weblog
バックアップ

パソコンを使うようになってから、バックアップを面倒がらずに、こまめに取ろうと本気で思った。パソコンが壊れたら、今まで積み重ねてきた作品が全部失われることは、恐ろしいことだ。作品作りにかけた膨大な資料や、発想や、記録が一切消し去られて失ってしまうからだ。そしてそれらは元通りに復元されることはまず不可能だ。それを考えると作品は何があっても復元できるようにしておくことが至上命題だ。おなじことが、国家の規模で言えるのじゃないか。

一番急がれるのは国家機能の分散化、最低でもバックアップ機能を東京以外にもう一箇所、設けておく必要がある。そして今回の東日本大震災はそれを煮詰めるのに、良い契機を与えてくれた。
今東京の都市機能が何らかの事情で、働かなくなったら、この国は一体どうなるのか。 国家の中枢機関のシステムが破壊されたら、この国は現在の国際地位を保つことが出来るだろうか。いわずとしれて、答えはネガチブなものに行き着いてしまう。国家運営の観点から見ると、東京が機能マヒに陥らない間に、機能やシステムのバックアップ体制を構築しておかなくてはならない。これが早急に解決しておかなければならない喫緊の課題である 。そのことを今回の震災は教えてくれた。
一方この時期に総理大臣の能力を疑問視する意見が多数見受けられる。官僚や行政や、産業界の複雑に入り組んだ関係は、人間の能力をこえていると僕は思う。つまり管という人物の能力不足が原因で、こうなっていると言うよりは、システムのあり方を検討して再構築しなければ、誰がやっても似たような結果しか出ない。ここに問題があるのだ。
今は管総理の資質の問題よりも、今までの国家のあり方を問題にするのが政治家の役割の筈だ。ところがどちらを向いても、そう言う議論はおこらないで、政党をあげてこの事を政争の道具に使っている。この現実を見るとき、どうして国家的な見地から、議論を進める人物が見あたらないのか。そう言う人物が出ないのか

国会議員とは名ばかりで人間的には、その資質において、レベルの低い人間の集まりかと、軽蔑してしまう。そう言えば日本近代史も勉強していない大臣がいたりするのは、情けない限りである。そんなレベルでどうして日中問題に頭を突っ込んでいけるのか、対等に渡り合っていけるのか。中味のない口先3寸の人間にこの国がリードされてたまるものか。
震災後の政治の動きを見ていると、この事を強く感じる。