日々雑感

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三万人を超える自殺者

2011年05月23日 | Weblog
三万人を超える自殺者

東日本大災害の犠牲者数は死者行方不明者をあわせて、三万人近くにはなるがそれ以上にはならないようだ。大津波や家屋の倒壊で一瞬にして三万人弱という人の命がなくなったので、大災害だと思う。

ところが今日本では三万人を超える人が、自ら命を絶っているという。災害によってと言うならば、仕様がないとあきらめられるこの数も、災害でも何でもない日常生活を営む中で、死んでいくという現実を見ると、何かがおかしいと思うようになった。

原因は色々あろうが、これは現代社会のあり方と無縁ではないと思う。
要するに、いろいろな事が原因して、人の心が弱くなった、つまり生きていく力が弱まったのではないだろうか。

生活難だけを問題にすれば、100年前はもっと過酷だったはず。人間関係を問題にすれば、昔に比べて個人の自由は比較にならないほど多くなった。
労働の苦しみを考えると、機械化や文明の利器の発達で格段に肉体労働は軽減されたはずだ。
だのに、なぜ3万人以上の人が自殺するのであろうか。原因はいくつもあり、それが複雑に絡まってのことではあろうが、大局的に見ると、日本人の生命力即ち生きていこうとする精神力が弱まったからではなかろうか。では何故弱まったのか。
僕なりに強いて思い当たることをいえば、物質文明のおかげでそれに心がついて行っていない。つまり昔のような強靱な精神力が、押しつぶされて弱くなったのだろう。
じゃいったいどうすればいいのか。この問いは究極には人の心を問題にする。
心の問題と言えば、広く言えば教育や宗教の問題にぶち当たる。心とそれを取り巻く外部環境、例えば社会のあり方や、家庭のあり方、学校教育のあり方などの総体を今一度再編成、再構築する必要がある。特に心を鍛えて強靱なものにする方策が求められる。心理学や、神経医学のアプローチだけでは、この自殺状況をストップさせたり、改善、解決出来たりするものじゃない。
生命力を弱くするあらゆるものを取り除き、それを強くする方策を強めることが重要である。例えば戦前のように生活の場は大家族制で、大勢の人間関係の中で生きる知恵を学んだり、問題を解決する道を探ったり、出来る制度やシステムを再構築することなど。究極的なことを言えば、人間は自分を受け入れてくれる人間関係があって、そのなかでこそ人間らしく生命力をいやしたり強めたり出来るのであって、物質や科学的知識だけで生命力が強めることは出来ないと思う。