日々雑感

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東電の体質

2011年05月17日 | Weblog
東電の体質

国会で東電社長が、賠償の枠組みを決めてほしいと言った。その枠組みの中で弁償を考えたいと彼は考えたのだろう 。この発想が国民の思いとが全く違っている。

東電を解体するくらいの発想で、ここまで賠償するつもりであるが、それでも足りないときは、国が責任を持って、たらづまいを賠償をしてほしい。というのがすじだろう。国がいくら出すのか。それを見極めた上で応分の賠償をしたいと言う趣旨の発言だったと思うが、それは発想が逆である。

彼は国民の怒りが判っていないし、社会全般に漂う空気が読めていない。だからこういう発想が出るのだ。

この発想を見かねたのだろう、枝野官房長官が東電として出来る限りの線を示せ。その提案が妥当かどうかを検討した上で、政府も考えようと切り返した。
出せるだけの物を出して賠償するという、身を切り骨を削る姿勢を見た上で政府も検討しようと、言ったのである。

事故予防対策、事故発生後の動き、謝罪訪問、賠償についての考え方、
全くなっていない。自己本位でこの公的性格を帯びた私企業の社会的な責任は一体どうなっているんだと、と叫びたくなる。長官は東電解体をほのめかして、賠償責任の自覚を促した。当然だ。

彼等の保身的発想はおそらくなおるまい。これでは被災者や、避難者は救われない。やはり世間に通用する考えを定着させるためにも、新東京電力を立ち上げて東電をつぶした方がよいだろう。さもなくば彼らの考えを相手にしていては、違いが多すぎて争いが長引き、被害者はもっと苦しめられるだろうから。