政治家とわいわい組の違い
政治家は発言すればいいという物じゃない。そこが学者や評論家と決定的に違うところだ。学者や評論家はうだうだ言えば、それですむ話だが、政治家はそうはいかない。発言の重みが違う。自分の発言したことを実行して結果を出さなければならない立場にいるからだ。
そういう人間に我々は信頼を置いて、一票をいれているわけだ。批判ばかりせずに前向きに思考して、前向きアドバイスをするならともかくも、無責任に自分の考えにもとずいて、庶民感情を逆なでする愚者がいる。世間ではあざ笑われているにもかかわらずだ。つまり自己主張が強いのだ。それも万人を納得させる説得力がないにもかかわらずだ。
だのに立場もわきまえずに、TVにでて偉そうな口をきく。
大阪都構想が提案されたとき、中身が分からないから反対するという馬鹿な学者がいた。今から選挙するという段階でどうして精密な円が描けると思うのか。国会でやっている消費税問題だってそうじゃないか。アバウトと方向性で賛否を問えばそれで十分。細密画を書く必要はない。書いたところで、庶民がすべて分かるはずがない。中身の詳細については司つかさが詰めればそれですむ話だ。
だからどんなに自論を展開しても、それは空回りをするということに気がついていないのだ。確かに自論には自信を持っているだろうが、それは行動の裏付けがとれないから、まともには信用されない。また現実的側面から見ると空回りの理論になる事も在る。ここが学者馬鹿といわれるゆえんである。
XX大学の学者が偉いのではない。
その道の専門家であるという事は紛れもない事実かも知れないが。それだけのことである。