日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

現代中国について思うこと

2012年03月16日 | Weblog
現代中国について思うこと 8,297位 / 1,694,971ブログ中

長い日中関係の中で、今日ほど中国人のいやらしさを思い浮かべる出来事はそんなになかった。海洋進出、商標権問題、尖閣諸島の船長問題、どれをとっても最低の人間がすることだ。中国嫌いが増えてもしようがない。経済成長を武器にして覇権主義ともとれる行動が果たして中国の国益にかなうのであろうか。海を接している国は例外なく中国に対して警戒感を持っているようだ。国際的な嘲笑を受けてそれでいいのだろうか。
中国の威信に傷がつかないのであろうか。

国の勢いには消長がある。今後50年を展望するときに現在の中国が目指している事は世界中からひんしゅくを買うのではなかろうか。
日本開闢以来中国文明から受けた恩恵は計り知れないし、昭和1桁世代までは中国の思想を天下の公道を示すものとして尊敬の念をもって、その人間としての在り方を学んだものだ。悪く言えば中国思想や文化に洗脳されてきた。そしてそれは日本人の魂の根幹にも触れる問題だった。口でなんと言おうとも、中国思想こそ日本人の魂を育てたのだ。

19世紀に入り帝国主義の中で中国分割をされ外国に支配された不幸は中国に取ってはまさに国辱物だったことは十分理解できる。日本も帝国主義に便乗して中国侵略したことは、永世にわたり記憶にとどめておく必要があると思う。同時に中国人に鬼と嫌われた日本人の蛮行は忘れてはならないことである。

思うに今日の中国を建設する端緒になったのは、孫文の起こした辛亥革命である。
その辛亥革命に日本人のなかにも力を貸した者がいる。。神戸の写真館経営の梅田氏もその一人だ。周恩来も日本で学んでいる。こういう歴史の原点を探れば、日中の関係は切っても切れないものがある。

地理的状況だけでなく、倭の5王以来、いやそれよりより前に歴史をさかのぼるが、民族的にも中華思想は日本人に大いなる影響を与えて定着した。それは五,六十年前まで
続いた。いや今も続いている。少なくとも僕の頭の中では。少年時代青年時代の多感な時代に受けて古代中国思想をどうしてぬぐい去ることが出来ようか。それは中国思想だが、人間として目指す崇高な哲学でもあった。

以上のように個人の中国観はたった一人の人間の中でも矛盾している。感情的には嫌中国でありながら、中国よもっと天下の公道を、昔のように教えてほしいと言う理性面での尊敬の念だ。両面同時に混在する日本人の気持ちも分かってほしい。

「中国は経済的には発展したが、昔のように尊敬される文化がない。日本も中国にたいして謙虚さを失った」という中国人早稲田大学の教授の指摘は僕の思いと重なる。
そういう中でも個人レベルではお互いに敬意を払いながら交流している人も多いと聞く。
日中は本来、時間というへその緒でつながっているのかもしれない。