日々雑感

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想定外の多用

2012年03月05日 | Weblog

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結果等を見れば、安全神話はまったくこっけいなものであった。地震国であり過去に大津波の経験が古文書に残されていたにもかかわらず、津波については全く予想されていなかった。今から思えば、地震国日本では海岸に面した立地物件は常に津波の危険にさらされている事は常識である。

福島原子力事故では此の常識的なことが想定外だというのだから、東電を始め原子力安全委員会や保安院は、到底安全運転の当事者能力に欠ける。そのかけた部分が想定外という言葉で表現された。

想定外だから許されるというニュアンスがある。これは難しい科学理論に誤りがあって犯したミスではない。子供でさえ持ちそうな疑問である。その疑問がすっぽり抜け落ちていたのだ。何を想定していたのか、どこを想定していたのか、想定外という言葉を使う前に開いた口がふさがらないというのが、国民感情だったと思われる。

僕は主張したいのは想定外という言葉によって免責されることはないということと、人間はどんな高度なことを言ったり、したりしていても、必ずミスを起こす危険を伴うということだ。ミスを犯しても取り返しのつくことだったらいい。

現在の人間の力ではコントロールできない原子力のミスを犯して、取り返しのつかない結果を招く事は、どうしても避けなければならない。いかに経済性優先の社会だといえども、国民の安全安心を守るのに少しでも不安が残るようであれば、より慎重に、場合によってはそういうことを避けるように考えるのが科学的態度というのではないか。想定外の多用は無用である。多用によって責任感が薄れそうな気がするからだ