お吉姉さん。
姉さんがこの世を去ってから、50年近くも経って、おいらはこの世に出てきた。
大人の感覚でものが、判じられるようになったのは、姉さんがこの世をさってから100年もたってからだ。
それにしてもだ。お吉姉さん。おいらね。
姉さんのこの悲惨な人生をちょっと耳にしただけでも涙が止まらないよ。
人の世に、こんな不条理がまかり通ってたまるものか。そんな怒りが次から次へと込み上げてくる。 おいら、これでも江戸っ子の端くれ、。
ちょっと話を聞いてくれ、
おいらは、今二つのことで怒ってるんだ。
一つは、奉行所の役人どもの無知とバカさ加減の犠牲になって、姉さんの人生がめちゃめちゃにされてしまったということ。
国と国とが駆け引きする交渉の相手は、それなりに強いものであるのは当たり前の話じゃないか。
人身御供によって交渉相手を籠絡しようなんて考えが通るわけがないのに、姉さんは、人身御供にされてしまった人だ。
話によると、姉さんには、当時、大工をしていた恋人がいたというじゃないか。
今思うに、生木を割かれて、心はずたずたになり、どんなにか苦しんだことだろうよ。
もう一つは、姉さんが、お役御免になって戻ってきたときに、周りの奴等は、姉さんのことを洋妾ラシャメンとよんで、蔑んだというじゃねえか。
これは一体どういうことなんだ。長い鎖国時代を通して、日本人が西洋人に対して抱いていた複雑な感情から、腹の底では恐れながら、表面では、蔑む。のは、わからねえ、でもないが、姉さんまで軽蔑するとはいったいどういうことなんだ。
もともと姉さんの言い分は、自分をねじ曲げて、不本意ながら努めさせられたお役目じゃねえか。
なのに、どうして人々が姉さんを、ラシャメンとか、唐人お吉とか、ののしらなければならないんだよ。
姉さんには、どれ一つとして、落ち度はありゃしねえよ。あるのは運の悪さだけじゃないか。
美人に生まれ、才気煥発であれば、たいていの場合、それは、女にとってプラスに働くよ。だろうに、女性のこういう長所が、人身御供の選考基準になっているんだ。ここに姉さんの運のなさがある。いくら同情しても同情しきれない思いでいっぱいだよ。
どうか極楽へ行って、前世で味わった。悔しい思いを存分に取り返してほしいね。そうでもしないや。オレの気がやすまらねぇや
この世には、不合理や不運の間の中で、悲運にも命を落とした人が大勢いて、みんな草葉の陰で泣いている。姉さんよりも、もっと悲劇的な生涯を終えた人も、歴史のなかにはたくさんいて、その人たちは一様に、この世に恨みを残して去っている。
どうすれば、その悲運や悲劇に、まとわり付かれた人々の恨みをとき放ち、安らかに眠ってもらえるのか、考えざるを得ない。そうでもしなじゃ。おいら、救われないよ。
いろいろな方法があるのだろうか。俺が今知っていることを一つだけ教えるよ。
お釈迦様が解かれた。お経の中に、法句経というものがある。その中に、恨みを解くには、恨みを抱く心を捨てるしかないと。説いてある。
姉さんの心の中がよく分からないから、まことにいいにくいことだが、やっぱりお釈迦さんが言うように、恨みに、こだわることはやめた方が良い。
恨みの情念にこだわっている限り、いつまでたっても、解けることのない、怨念から一歩も、踏み出せず、未来永劫に、自縛されたままで苦しむよ。
おいらの本当の気持ちからすれば、1日も早く、姉さんには、極楽へ往生してもらいたいんだ。
この世で地獄、あの世でも地獄では、あまりにも気の毒で、見ちゃいられないよ。
無理にとわいわねえが、お願いだよ。姉さん、一つそこんとこ、考えてくれねえか。
おいら姉さんが1日も早く、そういう気になって、お釈迦様だが、阿弥陀様だか観音様だか、知らねえが、お膝元へ行って、安穏に暮らして欲しんだよ
ついでに言っておくが、大地喜和子の「唐人お吉物語」は、もう上演されることは無いよ。
ほら。知ってるだろう。車が海に突っ込んで、彼女が死んだことを。
巷では、あれは、お吉さんのたたりだという噂が流れているぜ。
そりゃそうだろうよ。あの女は、姉さんの悲しみや恨みが、嘆きを知ってかしらでか、墓前に挨拶もしないで、姉さんが苦しんだその姿を迫真の演技で再現して、人に見せ、銭を取ろうと、してるんだもの。
ちょっと道に外れてはしないか。おいら、そう思う。せめて、挨拶ぐらいはしないと。
あんな形で、予期しない事故が起こったモンだから、世間雀が、いうのも分からないわけじゃあないが、でも、姉さんが、大地喜和子を闇の世界にひきずりこんだとは、思いたくないよ。
お吉姉さん。ここでおいらのいうことをじっくり聞いてくれねえか。
正真正銘、おいら姉さんが1日も早く、成仏して、極楽とやらに、往生してほしいと、心から願っているよ。それに、人生のことっていうやつは、過ぎてしまえば、皆、夢さ。
覚めじと執りて迷う心、というのが人の心というものさ。姉さんたって、太閤さんたって、この点は同じっていうことよ。ちょっと生意気なことが多くて、気恥ずかしいが、学も、何もない、おいらでも、このぐらいの条理は分かるんだよ。
ほら、姉さん。乗せてやるよ。このお経の功徳の雲に乗り、まっすぐに、極楽へ行ってくれよ、南無阿弥陀仏。 ナムアミダブツ。
姉さんがこの世を去ってから、50年近くも経って、おいらはこの世に出てきた。
大人の感覚でものが、判じられるようになったのは、姉さんがこの世をさってから100年もたってからだ。
それにしてもだ。お吉姉さん。おいらね。
姉さんのこの悲惨な人生をちょっと耳にしただけでも涙が止まらないよ。
人の世に、こんな不条理がまかり通ってたまるものか。そんな怒りが次から次へと込み上げてくる。 おいら、これでも江戸っ子の端くれ、。
ちょっと話を聞いてくれ、
おいらは、今二つのことで怒ってるんだ。
一つは、奉行所の役人どもの無知とバカさ加減の犠牲になって、姉さんの人生がめちゃめちゃにされてしまったということ。
国と国とが駆け引きする交渉の相手は、それなりに強いものであるのは当たり前の話じゃないか。
人身御供によって交渉相手を籠絡しようなんて考えが通るわけがないのに、姉さんは、人身御供にされてしまった人だ。
話によると、姉さんには、当時、大工をしていた恋人がいたというじゃないか。
今思うに、生木を割かれて、心はずたずたになり、どんなにか苦しんだことだろうよ。
もう一つは、姉さんが、お役御免になって戻ってきたときに、周りの奴等は、姉さんのことを洋妾ラシャメンとよんで、蔑んだというじゃねえか。
これは一体どういうことなんだ。長い鎖国時代を通して、日本人が西洋人に対して抱いていた複雑な感情から、腹の底では恐れながら、表面では、蔑む。のは、わからねえ、でもないが、姉さんまで軽蔑するとはいったいどういうことなんだ。
もともと姉さんの言い分は、自分をねじ曲げて、不本意ながら努めさせられたお役目じゃねえか。
なのに、どうして人々が姉さんを、ラシャメンとか、唐人お吉とか、ののしらなければならないんだよ。
姉さんには、どれ一つとして、落ち度はありゃしねえよ。あるのは運の悪さだけじゃないか。
美人に生まれ、才気煥発であれば、たいていの場合、それは、女にとってプラスに働くよ。だろうに、女性のこういう長所が、人身御供の選考基準になっているんだ。ここに姉さんの運のなさがある。いくら同情しても同情しきれない思いでいっぱいだよ。
どうか極楽へ行って、前世で味わった。悔しい思いを存分に取り返してほしいね。そうでもしないや。オレの気がやすまらねぇや
この世には、不合理や不運の間の中で、悲運にも命を落とした人が大勢いて、みんな草葉の陰で泣いている。姉さんよりも、もっと悲劇的な生涯を終えた人も、歴史のなかにはたくさんいて、その人たちは一様に、この世に恨みを残して去っている。
どうすれば、その悲運や悲劇に、まとわり付かれた人々の恨みをとき放ち、安らかに眠ってもらえるのか、考えざるを得ない。そうでもしなじゃ。おいら、救われないよ。
いろいろな方法があるのだろうか。俺が今知っていることを一つだけ教えるよ。
お釈迦様が解かれた。お経の中に、法句経というものがある。その中に、恨みを解くには、恨みを抱く心を捨てるしかないと。説いてある。
姉さんの心の中がよく分からないから、まことにいいにくいことだが、やっぱりお釈迦さんが言うように、恨みに、こだわることはやめた方が良い。
恨みの情念にこだわっている限り、いつまでたっても、解けることのない、怨念から一歩も、踏み出せず、未来永劫に、自縛されたままで苦しむよ。
おいらの本当の気持ちからすれば、1日も早く、姉さんには、極楽へ往生してもらいたいんだ。
この世で地獄、あの世でも地獄では、あまりにも気の毒で、見ちゃいられないよ。
無理にとわいわねえが、お願いだよ。姉さん、一つそこんとこ、考えてくれねえか。
おいら姉さんが1日も早く、そういう気になって、お釈迦様だが、阿弥陀様だか観音様だか、知らねえが、お膝元へ行って、安穏に暮らして欲しんだよ
ついでに言っておくが、大地喜和子の「唐人お吉物語」は、もう上演されることは無いよ。
ほら。知ってるだろう。車が海に突っ込んで、彼女が死んだことを。
巷では、あれは、お吉さんのたたりだという噂が流れているぜ。
そりゃそうだろうよ。あの女は、姉さんの悲しみや恨みが、嘆きを知ってかしらでか、墓前に挨拶もしないで、姉さんが苦しんだその姿を迫真の演技で再現して、人に見せ、銭を取ろうと、してるんだもの。
ちょっと道に外れてはしないか。おいら、そう思う。せめて、挨拶ぐらいはしないと。
あんな形で、予期しない事故が起こったモンだから、世間雀が、いうのも分からないわけじゃあないが、でも、姉さんが、大地喜和子を闇の世界にひきずりこんだとは、思いたくないよ。
お吉姉さん。ここでおいらのいうことをじっくり聞いてくれねえか。
正真正銘、おいら姉さんが1日も早く、成仏して、極楽とやらに、往生してほしいと、心から願っているよ。それに、人生のことっていうやつは、過ぎてしまえば、皆、夢さ。
覚めじと執りて迷う心、というのが人の心というものさ。姉さんたって、太閤さんたって、この点は同じっていうことよ。ちょっと生意気なことが多くて、気恥ずかしいが、学も、何もない、おいらでも、このぐらいの条理は分かるんだよ。
ほら、姉さん。乗せてやるよ。このお経の功徳の雲に乗り、まっすぐに、極楽へ行ってくれよ、南無阿弥陀仏。 ナムアミダブツ。