小林亜星さんの「淫する」 7,241位 / 1,699,131ブログ中
年齢は、彼の方が上。出身大学も学部も違う。共通事項は音楽好きと言うことだ。
昔から、僕は彼の音楽才能に、注目していた。
あの巨漢の風貌(失礼)からして、とても想像できない作品を書き、また歌作りや音楽に対する造詣の深い理解と考え方、哲学を持っている。
彼は内面に、素晴らしい創造才能を持っていて、その上とても頭の良い人だから、外からは見えない創造世界の真髄をよく、ご存知だ。
僕が、山田耕筰先生のお宅で、音楽の修行をしていたときに、
先生の歌曲を美空ひばり用に編曲して、コロンビアから出版されたらしい。年代的にはひょっとしたら、出会うかもしれないような身近に、いたにもかかわらず、ただの一度も、出会ったことなく、今も何の交流もない。山田先生を中にして、その外に、彼と僕がいただけの話である。
共通点を上げれば、彼は進駐軍のベースキャンプで、演奏していたそうな。僕も当時、ワシントンハイツ、(今のNHKのあるところ)で、バイトをして、当時、有名なバンドの演奏を毎晩、聞いていた。
#&bやオールブルーツなどが当時活躍していた時代である。ドラムのジョージ川口やタップの中川 笈田敏夫、松本英彦さんなどの演奏を毎晩のように聞いていた。そうそう、ダークダックスを育てた小島正夫さんが指揮棒を振っていた。
つまり、当時のアメリカのジャズやポップスをしこたま聞いていた。もう一つの共通点は、共に山田耕筰先生に、関係があったことぐらいで、彼の才能は、僕の及ぶところではない.決定的な違いは彼は音楽に「淫してる」僕は「淫する心境にまでは到達していない」
僕が、彼の名前をしったのはレナウンのCM ワンサカワンサカイエイエーイ娘やサントリーのCMソングだ。何としゃれた曲なんだと注目していたがそのうちに「北の宿から」がでて、その才能に脱帽した。
小林亜星さんの著者「亜星流」に描かれた内容は、自分の思いとかさなる部分が多いので当時を思いだして懐かしい。1996年に出版されたこの本には共感する部分がとても多いので。歌書きって一体何を考え居るのか。彼の思いと、僕の思い。そこに横たわる生き方や考え方を少しでも伝えることが出来たらと念願してこの文を書いてみた。繰り返しになるが、彼と僕の決定的な違いは、彼が言う「淫する」事だ。僕の言葉ならさしずめ三昧と言うことになるが、要するに詞や曲と一体にならないと歌作りは出来ないと言う事だ。別な仏教用語で言えば入我我入と言うところだろう。何しろ夢の中で作曲してしまうと言うから、彼の「淫する」の中味が知れようというもの。余人が持たない才能だ。だからいくらでも作曲できるのだ。8000曲だとか。いやはや天才とはこういう人のこというのだろう。
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年齢は、彼の方が上。出身大学も学部も違う。共通事項は音楽好きと言うことだ。
昔から、僕は彼の音楽才能に、注目していた。
あの巨漢の風貌(失礼)からして、とても想像できない作品を書き、また歌作りや音楽に対する造詣の深い理解と考え方、哲学を持っている。
彼は内面に、素晴らしい創造才能を持っていて、その上とても頭の良い人だから、外からは見えない創造世界の真髄をよく、ご存知だ。
僕が、山田耕筰先生のお宅で、音楽の修行をしていたときに、
先生の歌曲を美空ひばり用に編曲して、コロンビアから出版されたらしい。年代的にはひょっとしたら、出会うかもしれないような身近に、いたにもかかわらず、ただの一度も、出会ったことなく、今も何の交流もない。山田先生を中にして、その外に、彼と僕がいただけの話である。
共通点を上げれば、彼は進駐軍のベースキャンプで、演奏していたそうな。僕も当時、ワシントンハイツ、(今のNHKのあるところ)で、バイトをして、当時、有名なバンドの演奏を毎晩、聞いていた。
#&bやオールブルーツなどが当時活躍していた時代である。ドラムのジョージ川口やタップの中川 笈田敏夫、松本英彦さんなどの演奏を毎晩のように聞いていた。そうそう、ダークダックスを育てた小島正夫さんが指揮棒を振っていた。
つまり、当時のアメリカのジャズやポップスをしこたま聞いていた。もう一つの共通点は、共に山田耕筰先生に、関係があったことぐらいで、彼の才能は、僕の及ぶところではない.決定的な違いは彼は音楽に「淫してる」僕は「淫する心境にまでは到達していない」
僕が、彼の名前をしったのはレナウンのCM ワンサカワンサカイエイエーイ娘やサントリーのCMソングだ。何としゃれた曲なんだと注目していたがそのうちに「北の宿から」がでて、その才能に脱帽した。
小林亜星さんの著者「亜星流」に描かれた内容は、自分の思いとかさなる部分が多いので当時を思いだして懐かしい。1996年に出版されたこの本には共感する部分がとても多いので。歌書きって一体何を考え居るのか。彼の思いと、僕の思い。そこに横たわる生き方や考え方を少しでも伝えることが出来たらと念願してこの文を書いてみた。繰り返しになるが、彼と僕の決定的な違いは、彼が言う「淫する」事だ。僕の言葉ならさしずめ三昧と言うことになるが、要するに詞や曲と一体にならないと歌作りは出来ないと言う事だ。別な仏教用語で言えば入我我入と言うところだろう。何しろ夢の中で作曲してしまうと言うから、彼の「淫する」の中味が知れようというもの。余人が持たない才能だ。だからいくらでも作曲できるのだ。8000曲だとか。いやはや天才とはこういう人のこというのだろう。
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