日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

中国の軍備増強:

2011年05月16日 | Weblog
2011年平成23年

中国の軍備増強:          11/03/11

中国は、古代、秦や漢の時代から東アジアの盟主として君臨していた。偉大な思想家をたくさん排出したし、彼らが唱えた中華思想の上にあぐらをかき、対外的には、文化思想の先進国であった。

だから、日本も、西暦57年に、奴隷を皇帝にささげたり、
朝貢をしたり常に中国を一段上の国として崇めていた。対等外交した聖徳太子は例外であろう。太子が送った国書「日出づる処の天子書を日没する処の天子に致す。、、、」を見た随の陽帝は「無礼者めが、こういう外交文書を今後決して俺の目にかけるな」と怒ったそうな。どんなことを言っても古代中世は中国が東アジアの盟主。室町時代に至っても中国本社に対して足利義満が日本支店長の立場をとっている。長年に亘り、中国は、東アジアの先進国として周辺国に多大の影響をもたらした。東アジア諸国は中国の影響を受けて、中国文化圏の中に取り込まれていた。

世界が帝国主義時代に入ると、中国は、西欧諸国に分割支配される。いわゆる中国分割による植民地支配である。これは偏に、中国が大国としての軍備を持たなかったからである。思想や文明よりも、武力つまり、軍事力の大きさが結局列強によって、領土が分割支配を受けたと、いう歴史的事実となって現れた。
従属的な関係を持った日本は明治維新を遂げて軍備増強をして、西洋の列強と肩を並べ、中国侵略の一端をになった。日中の15年戦争がこれに当たる・。

やがて日本は太平洋戦争にまけて軍備は解体され、丸腰になった。そして悲惨な戦争体験から平和憲法をもち、再び戦争を起こさないと言う方向を目指して今日まで歩いてきた。世界がいわゆる正義による支配が定着して武力を背景とした
支配が通用しなくなる時代ならともかくも、日本の平和主義、非軍備、丸腰政策は今の世界情勢の中で、果たして時代の要請に叶っているのだろうか。時代を100年先取りしていると言われれば、そうかも知れないが。現段階では、なんか不安を感じる。

中国は毛沢東をリーダーとして共産主義革命によって国を一つにまとめ社会主義体制を取りながら、資本主義の要素も取り入れ、今日の経済成長を遂げてきた。その経済発展ぶりは眠れる獅子が立ち上がり、力強く活動する姿に似ている。
ほんの10年ほどの間に我が国を抜いて国民総生産は世界第2位と成り、このままの成長を続ければアメリカさえも追い抜くだろうと予測されている。

その実力は尖閣諸島問題で見せつけられた。強引なまでの中国のやり方に対しては、日本外交は余りにも稚拙であり、かたや、中国は無法とも言える強引なやり方で、日本を抑え込んだ。中国が強気になる背景は、強大な軍事力にある。それは暗黙の内に大きな脅しになる。

日本憲法に、示された平和主義や平和憲法も良い。がしかし、日本が、自国の平和と安全を無法国家によって破壊されないという保証は一体どこにあるのか、
国民の生命財産安全を守るために、対等に渡り合えるような軍備。すなわち核保有をすべきだ。という石原都知事の主張も、現在の世界情勢を眺めると、頷ける現実論である。タカ派の暴論として片つけるける訳にはいかない。
アメリカが、日本と密約を交わして、日本領土内に、核を持ち込むのは、現実の現理から来る応分の対応である。

早い話が、どんな正論や筋論で価値観や論点のポイントのそれを正しても、事態は何の解決もみない。ピカドン1発で、日本は壊滅させられるのだ。そういう事態になって、平和憲法が、どれほど役に立つだろうか。
日本は、単一の民族国家として、経済力は言うに及ばず、技術力では他国には決して劣らない。それを維持しようと思えば、日本は現実に即応できる力を持っていなくてはならない。少なくとも今回の中国やロシアや北朝鮮のような嫌がらせや脅しに屈し無いだけの力を持っていなければどうしても脅しに対して弱腰になる。

中国は軍備増強によって、ひとり、中国共産党だけではなく、過去に植民地支配を受けた屈辱をうけた反省から、現実論として、軍備増強で、国威発揚の実態を世界に示したい、と考えるのは当然である。そして、こう言う考えは、屈辱を味わった中国歴史の中でも、現実論として国民に対しては、ひときわ説得力を持っている。だから、軍備については、国是として、絶対にゆずれない方針であることは間違いなさそうだ。

もし私が中国人であるならば、1800年代から1900年代にかけて、味わった屈辱、中国分割 を肝に銘じて、近代兵器を駆使出来る軍備増強するのは当然のことだ。それによって、国民や国家を守る。ということが現実的に可能になるからである。
誤解を招かないためにも、核兵器は、人類に不幸をもたらしことは、じゅうぶん承知してはいるが、核の後ろ盾を持たない限り、中国やロシアや北朝鮮の難題には、立ち向かうことは出来ない。そう言う現実がある事言いたいのだ



東電の態度

2011年05月15日 | Weblog
東電の態度

これだけの大きな事故をおこし、多くの人を苦しめたのだから、責任をかんじて自殺者が出てもおかしくないと、僕は思ったが、彼らの神経や非常識にはそんな心配は全く無用。東電という独占企業王国の中でしか物事を考えられない低次元の輩ばかりだった。
トップの年俸が七〇〇〇万円と新聞は報じているが、彼らは責任を感じて、それを半減すると言った。あれだけ多くの人を路頭に迷わせながら、年俸が三五〇〇万円だと。ふざけるな。よくどしいにもほどがある。
怒った被災者は邸宅や別荘や車など全ての財産を投げ出して、賠償せよと怒る憤慨した声が聞こえないんか。どこまで責任感が希薄なんだろう。こういう状態を見ていると、人間的に問題のある人物集団だと言うところまで気がいってしまう。

彼らは独特の王国を作り私企業でありながら浮沈艦だと錯覚して、やることなすことまるで、宇宙離れしている。その態度を見ていると責任感はこれっぽちもなく
自分たちの都合の良いような事ばかり言ったり、したりしようとしている 。
口では誠意を尽くして、弁償をすると言うが、賠償額を少しでも少なくするために審議委員会にまえもって情報を流しておく。言わんとするところは、これこれしか払えませんよと言うことである。

朝日の夕刊には原発事故用ロボ幻に。 開発費30億円6台廃棄
原発ロボ阻んだ慢心 国産開発業界知らん顔と大きな字で書いてある
原子力災害用沿革操作ロボットが開発が頓挫した背景には「な原発事故を
「想定外」としてきた業界の慢心があったと」関係者は指摘する。
当時の通産省幹部は「炉心溶融のような重大事故は設計上起こりえない。だから想定しなくても良い」と言われたという。またいざとなれば人が突っ込めばいいという感覚があったらしい。
チエノブイリ事故についても「悲しいことに自分の事として考える謙虚さがなくなり人ごとになってしまっていた。」以上新聞から引用したが、こういう体質は安全に関するだけでなく一事が万事、社内や業界に蔓延して定着していたと見るのが妥当だろう。
こんな考えの連中にどうして我々が電気料アップで援助をしなくてはならないのか。ありとあらゆる物を召し上げて賠償金に充てるべし。東電がつぶれたって自業自得で、新規参入で新しい感覚で経営させた方がよほどましだ。というのは過去に社風となって定着している物はぶちこわす必要があるからだ。












英断

2011年05月14日 | Weblog
英断


浜岡原発を停止させたのは、いろんな批判はあるものの、英断だと高く評価したい。今回の福島原発の実情を見ると、喫緊の課題は福島原発と似たような防備しかしていない、また地震が起こる可能性からして、浜岡が最も危険な存在だった。

ただそうは思いながらも僕は考えるところがある。つまり問題があると思って言うのだ。
原子炉は確かに止まったが、それは福島も同じではないか。問題は冷却装置がが確保されるかどうかである。冷却装置がうまく働いていれば福島だってこんな大きな問題が生じなかったのではないかと思う。

冷却装置の確保、津波に対する防潮堤の確保がされない限り、原子炉を止めても福島と条件は同じではないかと危惧する。原子炉は停止したが、冷却装置が作動しなければメルトダウンが起こるのではないか。 僕はそれを案じる。
それらの備えが完備してこそ、安全が保たれる。原子炉停止だけでは安全の保証にはならない。

突貫工事で防潮堤を作り、冷却機器を安全なところへ移動、移設あるいは予備電源の確保や増設をして初めて安心できる、

危ないのは浜岡原発だけではない。日本国中にある54碁全てにおいて地震対策と津波対策が講じられていない間は、条件は福島と大同小異である
こういう事を考えると原発は決して安上がりの発電装置ではないとおもう。

浜岡原発は総理周辺で決めたと批判する向きもあるが、諮問して答申を待つほど安全委員会や保安院がたよりになると思うのか。
彼らがどれほど無責任で、当てにならないものか、まだ実感できない連中がいるのは、はなはだ情けない。

メルトダウン

2011年05月13日 | Weblog
メルトダウン 11/05/13

一号機はやっぱり、メルトダウンだったのか。

「冷温停止」のことをニュースで聞いたとき、冷却装置が働いていないなら、メルトダウンをするのではないかと気になった。
メルトダウンすることによって想定されることは、原子炉の底に穴が開いて、溶けた燃料と水が混ざり、高濃度放射能が生成される。この放射能が外に出たら、大変な汚染になる。と言うことである。

メルトダウンが決定したとき、もし僕が担当者であれば、おそらく公表しなかったであろう。隠した事だろう。
どのようにもの知らせようとも、誤解や不安は想像以上のものだから、さらなる非難を浴び今後の工事がやりにくくなる。だから隠す。

東電はすでに工程表をを発表したが、メルトダウンを盛り込まないで、発表したとすれば、工事完了がさらに遅れる。東電は本当にメルトダウンを予想しなかったのであろうか。

それは、被災者や避難者にとっては、工事遅れを宣言することであり、1日も早く帰りたいという、避難者心理を逆撫でする。

東電は、こんなレベルの質で仕事をしているのか、と思うとやりきれない部分がある。社長も社員も、一時が万事がスマートでない。日ごろの仕事ぶりが想像される。やはり出直しした方が良いのではないか。

至福

2011年05月12日 | Weblog
至福

僧侶の一人が言った。
あえて自分を苦境に立たせて、それを至福だと感じる力を養う。それが宗教だ。

至福、難しい問題だ。瞬間的だが、あらゆる思いが満たされたり、一番ほしい物が、ほしいことが満足させられて、一時的にぼーっとすることがある。幸せ感や満足感、充実感などが大津波のように押し寄せて、忘我の状態になる。
このような状態を至福というならば、僕はたった一回だったが、関西空港で飛行機待ちをしているときに味わったことがある。

この僧侶の言う至福とはちょっと違うかも知れないが、普通の人はこの程度ではあるまいか。苦境に追いやってその中に至福を感じると言うことは特別の行者でないと出来ないことだと思う。
それとも至福の感覚は個々人によって皆違い一般化は出来ないのであろうか。

.被災企業に徳政令を

2011年05月11日 | Weblog
.被災企業に徳政令を…南三陸町長が要望
読売新聞 5月4日(水)
 
東日本大震災復興構想会議(議長=五百旗頭真・防衛大学校長)の委員ら6人が4日、宮城県入りし、被災自治体の首長との意見交換や視察を行った。

 意見交換の席上、壊滅的被害を受けた同県南三陸町の佐藤仁町長は、被災企業の借金を棒引きする「徳政令」の実施を求め、梅原猛・同会議特別顧問は「政府に申し入れたい」と応じた。

 意見交換は同日午前、同県庁で行われ、被災地側から仙台市の奥山恵美子市長と佐藤町長が出席。佐藤町長は「町の全産業が壊滅的な被害を受けた。これまで重ねてきた借金に、災害支援のための融資制度(による借金)を上乗せすると、企業の再生はありえない」と、「二重ローン」に対する救済を要望した。

 委員らは同日午後、気仙沼市と石巻市の被災状況を視察、両市の市長とも意見交換した。視察後、五百旗頭議長は「切実な声をたくさん承ったことが大きい。地元の努力を後押ししていきたい」などと語った。

これほど大きな損害を受ければ、徳政令を出してほしいと思うのは、ある意味理解は出来る。かといって今度の被災者や被災企業に徳政令を出したらどうなるか。

大体日本国民の経済はローンシステムでまわっている。大災害だからといって
新しい借り入れのために、前回の借金を0にしたら、誰かが原資を出さない限りローンシステムが転げてしまう。それも常識的に見て、何とかやりくりの着く範囲のことであれば、可能性がなくはないが、被全員となれば膨大なローン残が在るはずだから、とても実現の可能性は生まれそうもない。

そうはいっても、被災者にとっては二重ローンは過酷である。天災という名の力が普段の人間の営みに加わると、生活が狂ってしまう事の実証である。
そしてこれはバブルによって人為的に引き起こされた災難とは訳が違う。
何ともやりきれない気持ちを、 最後はお気の毒に、という言葉でいうほかはない。

それはちょっと

2011年05月10日 | Weblog
それはちょっと

浜岡原発我の全停止決定は良かった。
今までと変わらない状態で、第二の福島事故が起こったら 、日本沈没も現実味を帯びてくる。放射能で新幹線や東名高速が中断されたら、日本経済は持たない。

くわえて住民対策が困難を極める。東日本震災と同じ程度のことが起こると、確かに浜岡はほとんど無防備で福島と同じような状況が生まれるだろう。
とりあえずは津波対策が完成して低温冷却が出来ることさえ確保されたら、直接県民被害はほとんどない。これは大きな安全である。このために不都合の生じることがあっても優先順位はとにかく原発を止めることだ。 そして大急ぎで津波対策地震対策を講じて被害が発生しないようにすることだ。

さて政府は浜岡を除いて他は再開を始めるらしい。僕はそれに待ったをかけたい。というのはまだ福島の事故の検証や総括が出来ていないし、国の原発政策も決まっていないからだ。これからの再開については地方から問題提起がされるだろう。その切実な声に耳を傾けてしっかりした政策を立案してほしい。
間違っても想定外と言う言葉を使わなくても良い、確かな物を指針として示してほしい

祇王寺にて7-44

2011年05月09日 | Weblog
祇王寺にて

閑話休題 やっと本来の自分に戻れるようになった。
五月の好天というのに、祇王寺は薄暗い感じがする。どうしてだろう。
平家物語に出てくる筋書きにあまりにも多く、とらわれすぎたのだろうか。
時勢の権力者のおごりと、それにまつわる白拍子の哀歓物語。その中に清盛の気まぐれな寵愛を受けた女性の嘆き
「仏もむかしは凡夫なり。我らもついには仏なり。いづれも仏性具せる身を。へだつるのみこそかなしけれ。」という詩に詠み込まれた女心。
平均寿命が違い、時代も違うとは思うものの、20才そこいらで、こういう詩を詠む心境が悲しい。

芝垣の門をくぐり境内に入ると、緑が目にしみる。今は青葉若葉の季節で木々の葉っぱからは緑がしたたり落ちる。まるでその緑を受けるかのように、地面は一面苔が緑の絨毯を敷く。
秋になって紅く染まった紅葉の枯葉が舞う頃も、感傷的な気分を味わえ、その風情は祇王寺そのものであるが、物語の暗さに比べて緑が映えたつ新緑の季節もさわやかでよいものだ。

清盛という権力者の盛衰と、芸人白拍子の人気の盛衰は、いずれも共通して人生の盛衰という普遍的な哲理であり、この作者はそれを言いたかったのかも知れない。そこで思いついたのだが、人生というものはできるだけ波長の長い、しかも高低差の少ないサインカーブやコサインカーブをたどるのが、幸せの条件ではなかろうか。
吉野窓から光はこぼれているが、仏間に安置された母とじ 妹、祇王、仏御前の木造が4体並んで薄暗い。仏間から縁側を降りて左手に進むと小さな石塔がある。その中には清盛のもある。黄泉の国でこの四人で暮らしているのだろうかと思うと、ある種のおかしさがこみ上げてきた。さぞかし清盛は生前の行いについて、閻魔さんからさんざん絞られていることだろうと、清盛の苦渋に満ちたしかめっ面が思い浮かんだ。
京都は風景と同時に歴史が色々あって、興味深い。歴史を知れば知るほどそれは自分の人生と関わりを持って生きてくる。1200年も都があったところだから、そこに住んで人間模様を繰り広げて、時を過ごした人達の数は多い。 人生模様、悲喜劇、怨憎。数え切れない人生が在った事だろう。そしてぼくもまた、その生命の大河の流れに一滴の命をたらす。

管降ろしについて考える

2011年05月08日 | Weblog
管降ろしについて考える

結論から先に言おう。
国難とも言う状況の中で、与党の中からも、やめろコールが起こっている。野党が言うのならともかく、これで民主党は政党としての体をなしているのか。中心は小沢一派らしいが、肝心の小沢はこの国難の最中に千葉に釣りに出かけ、釣ったイカをテレビの前で食べて、魚の安全を宣伝していたが、子供だましもいい加減にしろと言いたい。国難に際して小沢一派は何の役にも立っていないことを、国民はしっかりと心の中に焼き付けておく必要がある。

寸時を惜しんで被災者や国土復興のために働くのが政治家ではないのか。豪腕でならした小沢だというならば、国民が感心するような働きを見せてこそ、さすがはと、見直されると、復権もあるだろうが、釣りで遊んでいては話にならない。所詮見せかけの政治家だと言われてもしょうがない。

官邸では皆忙しい思いをしながら働いているのだから。こういう事が政権与党の危機を自ら招いていることになる。国民の目にはそう映る。

一方で自民党と組んで管降ろしに動いたら、これこそ滑稽だ。お尋ねしよう。
5Kのばらまき政党と反対政党が手を握ることになる。それはありーの??
まさか? まさか!!そんな噂が飛ぶだけでも彼は値打ちを下げている。

浜岡原発全停止へ

2011年05月07日 | Weblog
浜岡原発全停止へ

大きな見だしが紙面のトップに躍り出ている。総理が決断して中部電力が受け入れの検討を始めた。
福島の事故の例を見たら、国民の安全安心が保証されない恐れがあると中部電力が考えて、申し出たのかと思ったら、これは政治決断だった。

明日起こっても不思議ではない東海地震に対して、中部電力はどういう備えをしたのだろうか。 完璧な対策も取らないで、再開申請とは、企業の論理優先で社会的責任を果たす意識が希薄である。原発を動かして電力供給するのが、電力会社の社会的使命だと言うことだろうが、企業の論理よりも住民の安全安心のほうが遙かに優先することは、福島の例を見ると十分判るはずだ。運が悪い場合には
再開によって、中部電力をつぶす気か。

企業にそう言う考えがある限り、政治は住民を守るために安心安全を最優先するのは当たり前の話である。それは電力会社の利益でもある。
防潮堤もそのままにして、津波に襲われたら一体どうなるのか
中部電力だけで損失をカバー出来るのか。答えは火を見るより明らかだ。
東海地震が起こる確率は30年以内に87%の高い率だそうである。

それを知ってかしらないでか、「総理の決断は」唐突で判断材料や今決断した理由がわからない。公開討論をして科学的に技術的に判断する内容だと言う学者がいる。こういう種類の学者を学者バカというのである。大局が全然読めていない。
明日に来るかも知れないような差し迫った状況の中で、何故今?公開討論すべきだと?。君の目はいったいどこを向いているのだ。国民の安全に目を向けているのか。原子炉の安全だけでは片付かない問題を含んでいることを考慮に入れて発言しているのか。

安全的観点からしてみると、一時停止というのが正解だ。君の考えの中には切迫感がまるで抜け落ちている。緊急事態に近づきつつあると言う読みが滑落している。こういう学者に原子力の安全性を任せることは非常に危険である。何故今回のような事故が起き、多くの被災者を生んだのか。まるで状況分析が出来ていない。
原子力安全委員会の反省を知っているのか。知っていてなお発言したとなれば、空気の読めない、というより総合的判断が出来ないアホ学者だ。いっておくが原発は国民の安全を確保して上での話である。それも確保されていない状態で君のような発言をするとは暴論としか言えない。もっと真摯に考えてみたらどうだ。
よしんばこれによって社会的混乱が起きようとも、事故が起こるよりはましなはず。

原発再開について

2011年05月06日 | Weblog
原発再開について

浜岡原発が再開の時期に来た。国が指針を示していないと言う事情もあるが、静岡県知事にいわせると、付け刃的応急処置で、ちぐはぐが目立ち、とても再開許可は出せない、という。

許可を受ける前に、そこまでやるかとあきれるくらいに、準備周到、事故防止完全対策が取られたと、誰もが認める様な対策は当事者として何故実施できないのだろうか。事故が起これば真っ先に被害を受けるのは、他ならぬ電力会社自身である。

それは外部から見ると、一時しのぎだとか、ちぐはぐ対策だとか言われる以前の問題だと思うが、僕の勝手な論理なのだろうか。

どちらに賛成か

2011年05月05日 | Weblog
どちらに賛成か

今朝の新聞に原発賛否論が載った。反原発論は河野太郎氏
推進派は元参議院東電顧問加納時男氏  いずれも自民党である。

河野太郎氏の意見

1,自民党は電力会社から金をもらい、立地自治体に補助金を出しやすい制度を作った
2,経産省は電力会社にかねを出させて公益法人を作り、天下りさせている
3,建設業界やメーカーも原発建設を後押しした
4,電力会社は大学に研究費を出し都合のよいことしか言わない御用学者を作った
5,多額の広告費をもらうマスコミは批判を緩めた。

官、産、学、政、メデイアが安全神話を作った 。神話は経産省、自民党、電力会社で作られた。安全神話はもとからおとぎ話だ。

結局利権構造が行政をゆがめた。こういう構造を作り許可したのは自民党だから謝罪すべきだ。
賠償金は結局国民負担になるのなら、今の東電の存続を前提にしてはだめだ。逆立ちしても鼻血も出ないくらい賠償金を払わせるべきだ。

僕の意見

1,安全神話はまさしく 官、産、学、政、メデイアが安全神話を作った 。学校教育の現場に持ち込んで、子供達に国家が嘘を教え込んだ。過去についた嘘をどのように訂正するつもりか。たくさんのパンフレット啓発書は廃棄するのか。税金の無駄な使い方だ。

2,東電社長が住民から怒鳴られて土下座させられた。当たり前の話だ。避難者とともに難儀な生活をして、犯した<罪がどんなものか、自分の体で体験するがよい。体験を通して賠償を考えると被災民の苦悩がよくわかり、賠償にも誠意がこもるだろう。それがまともな人間のやることだ。彼は口で言う誠意とは裏腹に、事前配慮書を提出している。
この要望書をよむと、誠意はリップサービスにすぎないと思う。避難者は烈火のごとく怒るだろう。
まずは徹底した経営運営費を削減して賠償に回すために、東電をつぶし、新会社を立ち上げたらどうか。国が国策として原子力推進をしたのだから、国にも賠償責任があると主張するのは、時期尚早である。肉をそぎ、骨を削ってからいう台詞だ。




東電顧問元参議院 加納時男氏

1,東電出身 元国会議員として2重の責任を感じている

口先だけで物を言うな。現実に責任を取る姿を国民に見せよ。現実が伴わない限り
口先だけだ。君は痛くもかゆくもないのだから。被災者は今も苦しんでいるのだ。忘れるな。

2,電力会社役員から個人献金を受け自民党が原子力政策に甘くなったことはない。
嘘をつけ。自民党をはじめとする業界人が利権を絡めて作ったシステムじゃないか
もたれかけの構図が出来ているのに、君は公然と嘘をつく。河野氏の指摘が国民の常識だ

3,河野氏は反原発について 反原発政党で活躍すればよい社民党党首は大学の後輩だから推薦してあげる

人を馬鹿にするな。もっとまじめになったらどうだ。俺はお前の先輩だが、君のような恥さらしの人間が後輩にいたことを恥ずかしく思う。伝統ある東大の卒業生としてこの程度の幼稚なことを言って恥をさらす。東大にも君のような馬鹿が居たのか。不明を恥じよ。
君は東大の面汚しの後輩だ。恥を知れ。

4,太陽光や風力にはロマンがあるが、新増設無しに安定的にエネルギー確保が出来るのか
じゃ聞こう。ドイツは脱原発の方向に舵を切り替えた。これはロマン次元の話か。
安定してエネルギー云々する前に、今回の事故から教訓を学び完璧な安全対策を講じるように君なりの提案が出来ないのか。こういうぼけたことを言うから東大が馬鹿にされるのだ
5,東電をつぶせに反論 株主資産の目減り 金融市場を混乱議論は残念。

だから会社を存続させるというのは、変な論理だ。この根底に見え隠れするのは免責条項じゃないのか。我が身を削って、まず国民が納得する賠償をせよ、出発の原点はそこからだ。これだけの迷惑をかけた東電の存続を出発点に考えるなんてもってのほかだ。
君は社会に対してかけた迷惑に対する責任感が希薄すぎる。口では二重の責任を感じているとは言いながら。考えそのものが口先構造だ。

6,電子力損害賠償法には「損害」が異常に巨大な天災地変によて生じた場合は、この限りではない。免責条項がある。

今回の事故は天災か、人災かと問えば人災というのが現実だろう。
巨大地震によって破壊されたというよりは、津波被害によるもののほうかおおきい
。津波に対する対策が君らの言う想定外の出来事だが、冗談もほどほどにせよ。
過去のデータを調べれば、15mの津波は想定してもおかしくない。こんな事素人でもわかるのに、その道のプロが想定外だと言い逃れできるか。それは無能と言うものだ。
無能者が責任ある立場にとどまること自体が間違っている。そうはおもわないのか。

7,低線量の放射能はむしろ健康によいと言う学者も居る。これは説得力がある
  このことが世の中ではいえない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた

国民感情特に被災者に対する冒涜発言だ。謝罪取り消しを要求する。天然以外の放射線を浴びることは、多少に関わらず、健康によい影響を及ぼすとは考えにくい。
もしそれが科学的に証明されるのなら 、その根拠を示して堂々と被災者を説得すべし
それが出来ないのなら、口先だけのことをいって目障りなことを言うな。

8,地元が要望 雇用に貢献している

地元が要望したから福島原発が出来たというのか。しかもそれが雇用に貢献していると言うなら福島県知事にはっきり言ったらどうだ。確か君の言うような人も居ただろう
うまい話に乗せられて。安全神話にのせられて。しかし雇用の金額と今回の損害金額を見た場合、それでも君は原発設置でおつりが来るというのか。君がこの主張をするならば雇用と事故の損益計算書を作って国民に示したらどうだ。
君はすべて頭の中で考えたことのみを言葉に置き換えて発言しているが、現場の実感があるのか。劣悪な環境に突然放り込まれた人間の苦しみを理解して発言しているのか。
三百代言が器用に言葉を選んで物を言っているだけじゃないか。IQが高いバカの典型だ。
A級戦犯という言葉は君にはぴったりだ
もっとものごとを深く考えよ、本質的なことに目を向けよ。少なくともこれ以上の東大の面汚しはするな 。



僕の意見
原子力に変わるエネルギーが作られていない以上は問題があっても原子力に頼らざるを得ない。推進派ではないが、容認派である。ただし無条件に容認しているわけではない。
福島の事故を見ると、安全対策が余りにもお粗末ではないか。素人でもそう思う。
結局河野氏が指摘するように、国民は 東電 自民党、御用学者 産業界などが作り上げた安全神話にのせられて架空の安全話の上に安心していた。ふたを開けてみれば、それは科学的証明のつく話ではなくて、無責任者や無能者が集まって国民をだました話だった。
だからこのままの組織を温存するのではなくて、いったん解散して新たに新会社を発足する方がよい。しがらみを断ち切るためにも。


祈りを捧げる

2011年05月04日 | Weblog
祈りを捧げる 遠藤未希、斎藤両氏の御霊前に捧ぐ

お二人とも、東日本大震災で他人を助けて、ご自身は犠牲になり、帰らぬ人となった。人間としてまさに英雄的行為である。いくら称賛されてもされすぎることはない。

1,遠藤さんはまだ新婚ほやほや、やっと人生の船出をしたばかりだった。
町役場の防災無線で大津波来襲に避難を何回も呼びかけて、人々を逃げるよう誘導して、ご自身は逃げるチャンスを失って犠牲になられた。
危機に臨んで、職員としてのプロ意識以上に、人間として懸命に避難を呼びかけた。このおかげで命が助かった人も多いことだろう。避難の呼びかけはまさしく「天使の声」だった。

それは被災者の生活が安定して落ち着きを取り戻すほどに、深く人の心に刻まれることだろう。ご両親がテレビで「私たち夫婦にはできすぎた子供だった」と言われたときに、言葉に隠された悲しみが僕の胸をうった。

2,斎藤さんは水産会社の役員で、中国から受け入れた実習生を全員高台に避難させてから、ご自身は犠牲になられた。国境を越えた人類愛の証明であると同時に斎藤さんの人間としての崇高なまでのお人柄を物語る。

3,他に殉職された警察官や、消防団員、妻を助けた夫、逆の場合。親子の場合。マスコミ報道がないからよく分からないが、他を助けるために自分が犠牲になった人も多かったに違いない。それは時の闇の中に隠されてしまっているが、現実として在った事だろう。
遠藤さんも斎藤さんも発見されて、死亡が確認されたが、いまだに行方の判らない人も大勢いる。

近頃事故や事件で犠牲者が出ると、道行く人が花などのお供えをして哀悼の意を表し、供養する場面がよくある。見かける。他人の不幸を悼む優しい心根は人としての温かい心を表すと思うので、僕は気持ちがほっとする。

今回の震災犠牲者に対し、僕は花を供える人と同様、悲しみと哀悼の気持ちを鎮魂曲にした。
応援歌も良い。応援のイベントも良い。しかし物言わない人達にいったい誰が救いの手をさしのべるのか。犠牲者の魂に呼びかけるのか。供養するのか。被災犠牲者の中でも最も救いの手がさしのべられていない人達は最悪の状態に置かれているのではなかろうか。そう思うから鎮魂曲を作曲して供養するのである。
御霊よ やすらかに ねむれ。あー あー あー。

責任者

2011年05月03日 | Weblog
責任者

1原子力安全委員会の長の発言を聞いていると、今回の事故は想定外だと言ったが、
本来だったら、素人で考える事を想定外だと言った。誠にお粗末だ。想定の問題ではなくてそれ以前の問題だ。高村薫の本も読んでいないのか。
素人でも危険に感じるような津波対策をとってそれが想定外だという。それはもはや想定外だという次元の問題ではない。事故が起こればどれほど多くの人が苦しむのかわかっていない無能者なんだ。そういう程度の連中の上に国民の安全があると思うと、ぞっとする。無責任きわまりない責任者だ。

2,東電の社長。経営者連中、これも無責任極まる。たとえ安全委員会がOKを出したとしても、現場を預かる者の責任という観点からして、国民の安全に関してどのように
考え責任感を持っていたのであろうか。そして事故発生直後には逃げようとさえした。
こういう状態で責任というものは、どこにあるのだろうか。被災者だけでなく国民の怒りを身に受けて、とことん困るがよい。それは自業自得というものだ。事故後の対応のまずさに加えて被災者を置き去りにした責任はどうするのだ。謝罪くらいですむものではない。

3,政治家のアホども。 いったい何を考えて行動しているのだ。ポイントをどこに置いているのか。被災者は飢えと不安と寒さの中で震えているというのに。倒閣?ふざけるな
お前ら国政を預かる責任者なんだぞ。その自覚があるのか。

4,生肉のユッケを客に食わせて死者2名もだした経営者。飲食店では命のはずの衛生管理をなんと心得てる。記者会見ではやってはいけないことをやったと言ったが、食という
直接健康被害をおこすことを、うすうす感じて今度の事件をひきおこしたということなら、
どこに責任感があるのだ 。謝罪くらいですむものではない。責任者としていかに無能か。一度失った信用を何をもって取り返すつもりなんだ。つぶれるがよい。それ以外に方法はないだろう。

沈滞ムード

2011年05月02日 | Weblog
沈滞ムード

大震災の現場の映像をみて悲惨な状況を知るにつれて、気分は沈んでいった。直接には何の被害も受けていないのに、浮かれ気分になって花見に出かけることは、被災者に悪いような気がして、今年の花見は見送った。
普通の感覚の持ち主ならば、沈滞ムードになるだろう。
そしてこれば自発的にそうなるわけで、他から押しつけられたものでないだけに、自分の力で、気分転換を図る意外にはない。
また気分的な問題だけでなく、経済状況もサプライチエンの破壊で、落ち込み活気がないので余計に沈滞の雰囲気が漂う。

復興と言うことの中味は、まず経済の活性化だろう。金が動いて景気が動き出すと、人間は元気が出てくる。気分的にいくら励ましの言葉を送ってもそれだけでは、真の力は湧いてこない。やはり労働に携わり、その成果配分によって自然に元気を取り戻すことが出来る。
だから何としても早く、失業状態から抜け出して就職先が決まり、精神的に落ち着く事。そして家族で安定した家庭生活が以前と同じように出来るように、国がいろいろな手を打つことが必要である。

原発については責任問題は当然第一義的には東京電力が背負うべきである。賃金カットは言うに及ばず、財産処分など、我が身に痛みを感じる事でなくてはならない。これだけ大きな被害を与えた企業だから、その責任はきっちり取るのが当然の社会的な責任だろう。とはいっても被害のスケールが大きすぎて東電だけでは背負いきれないことは十分予測できる。

最後は国家で、つまり税金で、と言うことは全国民が幾ばくかづつ負担せねばなるまい。この国難については国民的合意の元に、なにがしかの負担増は余り抵抗なく受け入れられるのではなかろうか。といってもこれを理由に増税をもくろむことは国民感情からして良くない。
財政赤字を、何とか増税でしのぎたいというのは判らないでもないが、それとこれとは話の筋が違う。 そこだけはきっちり押さえておかなくてはと思う。