日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

1問1答にコメント

2012年03月14日 | Weblog
1問1答にコメント 9,131位 / 1,694,167ブログ中

1,、ストレステストを真っ先に福島第1原発で行うべきだと指摘 ストレステストはすべてコンピューター上の計算ですから、実際に地震や津波が起きた場合、その通りになるかどうかは分かりません

そんなことが出来るのですか。出来るならば是非やってほしい。東電は協力すべきです

2,福島第1で行えば、現実の結果がそこにあるわけで、計算によって福島のような事態を想定できるのかどうか、ストレステストの有効性を検証できる。私の提案を受け、東京電力は津波についてだけ簡単に行いましたが、おざなりなものでした。津波以前に、地震でどれだけ壊れたかが問題なんです。

 事故は現実には津波と地震の相乗効果だが、出来ることならば地震被害と津波被害を分けて検証してほしい。

3--意見聴取会には、専門家だけでなく市民も議論に加えるべきだと主張しています。過酷事故が起きた場合、被害を受けるのは地域住民。その視点から安全性を考える必要があります。
原発サイト内の施設は重要度に応じて耐震性がS、B、Cクラスに分けられています。万全を期してほしい住民からすれば「すべてをSクラスで」と思うが、原発の技術者は「それではコスト的に見合わない」などと判断します。ものごとを考える場合に、専門家と市民ではそうした立場の違いから生じるギャップがあるわけです。

今回の事故からして、被害者・地域住民の意見は是非聞くべきです。賛成派と反対派の意見をよく聞いて何よりも住民が判断すべきです。政治家の判断がどれほどいい加減か身にしみた。50基の原発が止まっても夏も冬もを過ごせたわけだから、少し工夫をすればやっていけるはず。よしんば電気料金が上がっても安心の方がどれだけ大切なことか。被害者が子や孫に健康被害を及ぼさないように、といっていたが、根本的に大切なことはこのことです。
産業界や一部の政治家の声に押されては絶対に危険です。
 
4,技術の世界には「工学的判断」という言葉があります。「100%安全でなくとも大事故の可能性は非常に低いからつくってよい」という発想です。つくってみて失敗しても改善すればいいのですが、原発に限っては事故は許されない。原発は他の技術とは分けて考えるべきです。

原子力が一番恐ろしいのは、人間の力でコントロールできないと言うことだ。
いったん暴れ出したら止めようがない。そんな恐ろしいことをしようとしているのだ。今度福井で事故が起こったら、日本は国力を失いどれほどの人間が犠牲になるか、考えてほしい。

5, --原子力安全委員会の班目春樹委員長が2月20日の記者会見で「安全性を高めるための資料として、1次評価では不十分」と発言しました。どう受け止めましたか。
まったくその通りだと思います。2次評価を含めて再稼働を判断する条件として考えていただきたい。

彼は自分の判断が甘かったことを身をもって体験した人だ。彼が水素爆発は起きないと菅総理に言った数時間後爆発が起きた。いかに恐ろしいか。科学の力が及んでいないかを示す重大なな発言だ。重く受け止めなければならない。再開をいそぐよりも電力新体制の確立を急ぐ方が賢明だと思う。

6,過酷事故に至った場合、放射能汚染がどれぐらいの範囲に広がるのか、どんな影響緩和策をとっているのかも含めた「2次評価」が出てこないと、住民としては判断がつきません。
全原発を対象とした2次評価は昨年末をめどに提出するということでしたが、まだ一件も出てきていません。保安院は催促もしていない。
--原発の安全審査はこのままでいいのでしょうか。

福島の事故で、従来の安全審査に不備があったことが明らかになったわけで、新しい枠組みづくりが必要です。そもそも福島の事故は実質的に収束しておらず、詳細な原因も分かっていません。

私は基本的に原発は非常に危険であって、地震列島である日本におくべきものではないと考えています。実はストレステストで分かることは、どの原発が非常に危険で、どこが相対的に危険性が低いかということであり、どこから止めるべきかという優先順位でしかありません。

先日の新聞報道によると柏崎の原発の近くに断層がある事は分かっていたが東電の危険度と学者の危険度には開きがあって東電の判断はおざなりと言わねばならない。」とありました。電力会社の危機説明なんて住民の生命と安全の重大性をどの程度に考えているのだろうか。 

7,--国内の原発54基のうち、動いているのは2基。5月までにすべて止まる見込みで、夏の電力不足が懸念されています。電気料金の値上げも予定されるなど、原発再稼働への要請が強まっています。

 昨年の夏、皆さん、家庭でも会社でも一生懸命、節電に取り組みました。それを長期的に続ければ消費エネルギーを減らせるわけで、今こそ「エネルギー中毒」から脱却すべきです。
安全を二の次にして、「エネルギーが足りないから、原発を動かそう」ということでは、フクシマから教訓を学んだことにはなりません。

最優先は人々の安全だ。これが確保されるまで再開は歯を食いしばっても認めてはならない。こんな大災害は福島だけで十分だ。県民には悪いが、福島の例に学ばなくては次回は国を滅ぼすことになる危険性がある。そんな危険を冒す必要性がどこにあるのか。
事故処理の最中に閣僚の中では再稼動を口にした愚か者がいたそうな。二名は名前が載っていたが、閣僚でもその程度だ。これでは福島県人は救われない。どんな悔しい思いをしたことだろう。1年たった今でも事故処理の方策さえ分からないというのに。選ばれた者として国民に対する責任をどう考えているのであろうか。程度が低すぎる。いくら総理が先頭に立って住民を説得すると言っても、安全でないものを再開出来ないのが道理というものだ。



死刑について考える

2012年03月13日 | Weblog
死刑について考える 7,025位 / 1,693,743ブログ中

1,基本的な考え方
(賛)賛成論いのちを奪ったら命で償うべきだ。社会正義のに必要

(反)対論
残虐 国に人を殺す権利はない。

僕  被害者は殺されて人権を抹殺されているんだ。それも個人的な欲望を満たすために恣意的に人の命を奪ったのだ。こういう事実に対して
どういう形でけじめを付けるのだ?。それに何ら合理性の無い、国に権利なしとは的外れな主張だ。正論で答えるべきだ。そうで無い限り、説得力を持たない。

2,犯罪抑止力
(賛),抑止力あり
(反)自棄自暴犯罪には効果なく、自殺願望の犯罪を誘発
僕 これは例外的なことを大げさに主張している。自棄自暴による二件以上の殺人事件がどの程度の頻度で発生しているか、考えて見るが良い。

3,誤判断のおそれ
(賛)死刑特有の問題ではない
(反)えん罪の可能性は常にある
僕 人間である限り誤判断はあり得る。しかし現代の科学技術で捜査した結果は尊重されるべきで、可能性だけを取り上げて実現性に言及しないのは片手落ちだ。

4,遺族感情
(賛)怒り哀しみが癒やされることが正義
(反)仇討ちは時間とともに変化する
僕 被害者遺族の感情を癒やすことが最重要。元々落ち度が無いのだから反対論者のいう仇討ち感情は消えることが無い。それは人間の本能である


5,加害者更正
(賛)罪は消えぬ 生き返らない
(反)更正可能性あり
僕  犯人が更正することで被害者への償いが出来るのか。正面から答えていない。可能性があるから、というのは理由にならない。

6,世論の支持
(賛)国民意識は反映されるべき
(反)入り組んだ問題で多数派にこだわることはない
僕 個人は社会の一員として存在するのだから、国民意識が反映されてしかるべきだ。個人単体の問題では済まない
7,国際的な動向
(賛)国民が決めること
(反)世界は廃止に進んでる
僕  世界の潮流が何であれ、国内で起こったことは国民が決めて何故悪い。理論的根拠も無く、世界の潮流に乗ろうとする所に無理がある。
日本国民の生活感情は世界的潮流にのるほど軽くは無い。

8裁判員制度
(賛)社会正義実現の責任がある
(反)市民が判決を下すことは恐ろしいこと
僕 専門家よりも一般市民の方が実態に即した、国民感情を反映させることが出来る。国民は一人ひとり正義を実現する責任を負う。国民一人ひとりに付託された正義感の判断がより遺族に寄り添うことが出来るだろう。

総じて死刑廃止が時期尚早と言うことで無くて、根本的に安全で平和な市民生活をする者の命が奪われること自体と、その責任追及が肝心かなめで
それをハズしたら、賛否両論が錯綜するだけだ。実利の無い空理空論になる。
今の段階で基本的な考え方を覆す様な理論的根拠が乏しいので、死刑賛成論が優勢なのである。これは当然だと思う。
それに付け加えるならば、最終的には人間は理性で物事を決めるのでなくて、感情であることを付記しておく。 (元英首相サッチャー氏の言葉より)

東洋的価値観

2012年03月12日 | Weblog
東洋的価値観 9,221位 / 1,693,267ブログ中


古いと言って切り捨て欧米をまねて科学技術と経済成長、で余って捨てるほど手に入れたが反面、物心ともに失った物も多い。原発事故を被災するまではそれほどにも思わなかったが。
勿論オウム事件や原発事故で宗教も科学も信頼を失う。
そこで見直されるのが東洋的考え方、即ち伝統的な自然観 人間観 無常絆、万物が心と命を持って他の万物とつながっている東洋の自然観 人生観のそこにある全体思想、それを象徴しているのが、一切衆生の命を尊ぶ 山川草木悉皆成仏と言うことになろうか。

ところがこれまで五十年間慣れ親しんできた経済観念や宗教的な感覚については心の底にこびりついてしまって、こんな大事故を経験した後でも簡単に価値観の転換はできそうにも無い。

仮設住宅では今までの家族形態は分断され、ともすれば絆を確かめること無く孤独が幅をきかせる現象も現実にはある。現実は判っていても
自我を解きほぐしたり自己解放する事は容易ではない。

震災前からその傾向は全国規模で広がり始めているのだが、人口減少は高度経済成長が果たして良かったこのなのだろうかという問題を突きつけている。
それに変わる何が良いのかは、今後の課題になるだろうが、それが即従来の東洋思想への回帰するだけでは解決しそうにも無い。
思想の混迷はますます深まりそうだ。







5月になると稼働  原発0

2012年03月11日 | Weblog
5月になると稼働  原発0 6,760位 / 1,692,779ブログ中

1,節電は最大の電源 電力需給は安定している。
現状を見る限り大停電は発生しなかった。節電が聞いたのかもしれない

2,節電で経済が失速して国民生活に大きな影響がでているわけでもない
節電してみてとりわけ大きな不都合が生じたわけでは無い。
3,そもそも日本に54基必要だったのか
現状から見る限り、必要ない。これから卒原発にむかって数は減っていくだろう
4,原発政策は需給面で新しい観点に立ち発想を根本的に変える
原発事故をきっかけに、発電送電のあり方を考える様になったさらに太陽光発電などの新エレルギーの開発なども急ピッチで進められなくてはならない
5,ストレステストは重要機器や設備を対象にした物で原発全体に目配りしているわけではない。
テストは原発の安全性の余裕テストで原発の全体の安全性を確認する為の者では無い。

6,保安院の妥当は安全性の保証でなく計算に間違いがないかそれを示すだけだ
ストレステストでOKが出たのだから、安全と考えるのは間違いである
7,電力業界は自らの利益のために大飯原発を突破口になしくずしてきに原発を動かしたいのではないか
伊方原発のストレステストにもOKが出た。設計、機能上のペーパーテストのOKが即原発の安全性を証明するものではない
8,そんな疑念が国民にある限り再稼働を訴えても説得力はない
国民は今回の事故で国や、科学者に大きな不信感を持った。これを払拭しない限り国民には不安な気持ちが残る。
9,原発による発電が不可欠になっても必要最小限どのものしか動かさない政府がそう打ち出すことが国民の理解を得る最低条件だ
専門家 電力会社 政治家はこの現実から目をそらしてきた
それが安全神話をうみ原発反対派との間で建設的議論が成り立たないまま大震災を迎えた。その後の検証や対応も国民を納得される者では無い。
国民の理解を得るのは簡単では無い。
10,新しい安全基準基準や機器、防災対策、の枠組みを早く完成しなくてはならぬ
福島事故発生当初の政府や東電、原子力委員会などの発言行動は記録されていなかった。どのようにして福島事故を検証するのか。事故とその対応を評価するのか。政府が作った概要議事録あ不明の部分が多いから
福島事故の検証にはまだまだ時間が掛かる。
30年以上物は19基  内3基は40年以上


芸能界

2012年03月10日 | Weblog
芸能界 9,473位 / 1,692,400ブログ中


人間社会どこでも同じだとは思うが、人間関係を芸能界は特に重視する世界だと思う。
先日もある芸能人と話したのだが、義理は欠かす事は出来ないと言う結論になった。

芸能界は月給せいではないから、金回りがよいときは、なんとも思わないが、金欠病にかかっているときは、つきあいが大変だ。金がないから酒のつきあいも、ゴルフのつきあいも出来ないとなると、忘れ去られてしまうのではないかという不安がつきまとう。つきあいのある芸能人のイベントや会合には、無理を押してでも出席せねばならず、義理を欠くと後が心配だ。

どんなに大見得を切ったところで、所詮はの域をでない。自分の芸を売るわけだから、大勢の人が評価してくれないとのちのち立ちゆかなくなる。定収入がないだけに、生活上の不安の常に追いかけてくる。
そういう説明ともぼやきともとれる話の後に彼は言った。
別に自慢するわけではないが此の芸に関しては天性のものを自分は持っている
だからなんとしてもこれを人様のお役に立てないと、、、。

彼と握手をして別れたが、帰り道道楽なことに手を染めたものだ。と来し方を振り返った。

なるほど。だがしかし天性のものがあると、信じたらよいのだ。此の道は開ける。そう思いつつ寒い夜道を急いだ。

その道のプロがたるんでいる

2012年03月09日 | Weblog
その道のプロがたるんでいる

今朝の朝日新聞の3面記事。
右側には2児を放置して衰弱死させた母親の初公判の記事。
左半分は長崎ストーカー2人刺殺事件について3県警の会見記事。

いずれも人命が損なわれた。再びこの世に姿を見せることはない。なんと胸の痛む話であろう。
この種の事件をみると、もう少し熱を込めて此の事件に取り組むことが出来たらこんな大事にはならなかったし、被害者の無念さを重ね合わせると、怒りがこみ上げてくる。

僕の観点からすれば、二つとも関係責任者のプロ意識が希薄だと思う。プロが積極的に対策を講じなかったとか、連携がうまくいかなかったとか、対応に不備があったとかそんな結論を出している。それがプロ意識か。なんと希薄な意識なんだ。

これは自分たちの落ち度を認めたことになる。だからそこには、当然のこととしてペナルテイが発生する。
ペナルテイは反省の弁や、今後の対策に生かす程度の軽い物であってはならない。
事は人命を失っているという重大な結果を招いているのだから、それに見合う責任追及がされてしかるべきだ。端的に言えば職務怠慢による目に見える形での懲戒処分である。
最悪は懲戒免職があってもいい。これが初めてというならそれほど追求しようとは思わないが、同じパターンがあまりにも繰り返されるからである。言葉では言うが、一体どこに反省があり、再発がどこで食い止められているのか。反省がどういう形で実行に移されているのか。

今回の件でも子供センターは詳しい情報の把握も出来ていなかったが、今後は24時間体制で即応するという。
警察の件ではストーカー規制法を積極的に活用して対応するという。
事件が起こってからではもう遅い。起こる前にやらねばならないことをきちんとやっておけば防げたかもしれないから、やはり落ち度があったと言わざるをえない。
今頃になってこういう反省の弁が出るというのは、人命が失われて初めて気のついたことではない。分かっていたけど対応が遅れたのだから、当然責任を取れと主張しているのだ。

どうしてこれだけ子供の命が社会的に守られないのか。子供センターの職員は神経をぴりぴりさせて、子どのもの命の警戒に当たってもらいたい。

経済・科学技術への信仰

2012年03月08日 | Weblog
経済・科学技術への信仰 7,038位 / 1,691,575ブログ中

経済至上主義や科学技術信仰が過ぎたことだけはまちがいない。それはこの度の大震災で証明された。
経済至上主義は日本国民に幸福をもたらすと固く信じていた。世界第二の経済大国になって、我々はどれほど幸せになっただろうか。住みにくい社会を作って、殺人事件は毎日にのように起こり、道徳心は地に落ちた。
大震災の人々の対応で世界から称賛を受けたが、日本人の僕から見れば、あれは日本人の特性では無くて、東北人の我慢強さが、それまで培った東北魂が称賛されたのであって、日本人全体に対する評価ではないと僕は考えている。
年収が200万円以下の人が1000万人も居て、その人達の暮らしぶりを想像するだけでも、良い時代だとは思えない。加えて3万人以上が自殺するなんて、どこがいい国なんだ?一部の人は良い思いをしたかも知れないが、物質の豊かさと引き替えに、それまで培った日本人魂を失った。物欲に振り回されて、常に心は落ち着かず、飢餓感だけが残って居るでは無いか。
一方では、何でも科学的と言えば、それが万能であるかのように錯覚して、今から見れば嘘っぱちの安全神話に載せられていた。それは科学と科学者を信じた為に生じた悪弊だった。原子力安全委員会に携わる学者があれほどお粗末だとは思わなかった。彼らは科学者と言うより科学という名をかたって国民を騙した連中だ。しかも責任をとって切腹しか。誰一人として責任をとってないじゃないか。これじゃ国民を騙した大犯罪者だと言われても仕方が無い。

他にもある。保安院はストレステストさえ合格すれば原発再開はOKだ、めいたこという。しかしこれにはクレームが付いた。原子力安全委員会の会長自らがこれで安心というわけにはいかないと断言した。国民の安全を守る側にいるはずの保安院が、ストレステストの結果が大丈夫だから再開の有りだと宣伝したが、実態はこれで安全が保証されたのか。大嘘っぱちだ。
さも安全であるかのように言うても、国民はそうですかと言えるわけが無いじゃ無いか。そういう感覚がわからない。要はその担当者だと言うだけで、その実安全の中味が判っていない。だから糞の役にも立たないとこき下ろされるのだ。

「福島原発事故独立検証委員会」

2012年03月07日 | Weblog
「福島原発事故独立検証委員会」 6,020位 / 1,691,200ブログ中

(民間事故調)

原発事故対応は「大失敗」=官邸に備えなく、情報不十分―菅前首相
菅直人前首相は3月11日で東日本大震災発生から1年となるのを前に時事通信のインタビューに応じ、東京電力福島第1原発事故について

1,「事前の備えがあまりにも不十分だった。備えがなかったという意味で大失敗だった」と述べ、、、、

余りにも安全神話に乗っかりすぎた。これはおそらく国民全体がそうであったと思う。特に当事者の東電、原子力安全委員会 保安院は責任を負わねばならない。

2,事故を想定していなかった政府や東電の対応に大きな問題があった
同時に「東電から上がってくる情報そのものが極めて不十分だった」とし、その原因については「全部『3・11』前になる。つまり全電源喪失を一切想定しなかったからだ」と断じた。
 
安全神話が信じられていたときのことだから仕方が無いが、原子力を推進した当時の自民党の政治家や官僚、産業界のリーダーは結果的には無責任そのものだった。80km圏内を指定したアメリカのやり方は正しかった。最悪東京まで汚染されていたらどうなったか。それは国を滅ぼす恐れのある原子力を安全神話を信用して粗雑な取り扱いをした者への天罰だ

政府の初動対応をめぐり、民間の「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は、官邸が過剰に現場に介入したなどとする報告書をまとめた。これに関し、菅氏は「首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回はやらざるを得なかったからやった。(官邸執務室に)黙って座っていても何も情報が来なかった」と釈明。震災翌日にヘリで原発視察に向かったことについても「黙って見ているときではなく、現場で実際に対応している所長に、きちんと話を聞かないといけないと思った」と語った。 

発生当初の東電の無責任な態度には誰しもしびれを切らせて右往左往したのではあるまいか。責任無しとは言わないが、普通の人間だったら菅総理のような行動をとったのでは無かろうか。少なくとも僕だったら動かない東電や適切なアドバイスの出来ない学者や官僚達に業を煮やして、何らかの行動を起こしていたことだろう。だから僕は菅さんをせめる気にはなれない。どうしてその部分に対する理解が無いのだ。この部分への批判はあたらない。現実に君だったらどうしただろうか。胸に手を当てて考え見るがいい。

電力不足

2012年03月06日 | Weblog
電力不足 5,365位 / 1,690,842ブログ中

震災後原発は停止し始め、現在では2,3基しか稼働していない。54基もあるのに50基が止まって電力をまかなえるのか。心配したが、夏冬ともに大停電は起こらなかった。
ということは原発を動かさなくても電力需要はまかなえるという事が証明された。
電力事情予測の数値も90%を超えた日は数える程だった。
こういう実態から考えてみると、電力会社の需給逼迫の主張はいったい何だったのか。疑問に思わざるを得ない。原発50基が止まった段階で、僕は日本の電力事情の壮大な実験が始まったと書いた。その結果は50基止まっても電力はまかなえたという結果である。
電力会社の言い分とは裏腹に現実にはたいした不都合も起こらなかったのだ。もちろんこれには節電協力があったり、電力会社の発電努力があった。理由が何であるにせよ、電力不足を乗り越えたという事実が残った。
国民は今まで電力会社の言い分をそのまま信じていた。疑いを持たなかった。がしかし、今回電力会社の発表とは違った結果が出た。

そこで考える。需給予測が間違っていたのか。想定外の方法で発電供給が出来たのか。
電力不足を主張した電力会社は嘘をついたのか。だとすれば今後電力会社の広報は信用できない。
結果からいうと、需要見積もりが不透明で一方的に電力会社の言い分をそのまま受け入れていたことになる。こうなると彼らの言い分はそのまま鵜呑みには出来ない。
公共性があっても基本は営利会社の言い分であり計算である。企業にとってマイナスになるようなことは発表するはずがない。ということは国民は金ばかり払わされて実態とかけ離れた電力需給に踊らされていたことになる。

これはおかしい。不合理だ。電力需給は外部の第三者機関によってチエックを受けるようなシステムが必要だ。国策にも該当するような重大事項をこの際、徹底的に洗い直して国民に正確な情報を開示すべきである。
さもなければ、国民の不信感はぬぐい去れないだろう。原発再開はさらに遠のく。

想定外の多用

2012年03月05日 | Weblog

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結果等を見れば、安全神話はまったくこっけいなものであった。地震国であり過去に大津波の経験が古文書に残されていたにもかかわらず、津波については全く予想されていなかった。今から思えば、地震国日本では海岸に面した立地物件は常に津波の危険にさらされている事は常識である。

福島原子力事故では此の常識的なことが想定外だというのだから、東電を始め原子力安全委員会や保安院は、到底安全運転の当事者能力に欠ける。そのかけた部分が想定外という言葉で表現された。

想定外だから許されるというニュアンスがある。これは難しい科学理論に誤りがあって犯したミスではない。子供でさえ持ちそうな疑問である。その疑問がすっぽり抜け落ちていたのだ。何を想定していたのか、どこを想定していたのか、想定外という言葉を使う前に開いた口がふさがらないというのが、国民感情だったと思われる。

僕は主張したいのは想定外という言葉によって免責されることはないということと、人間はどんな高度なことを言ったり、したりしていても、必ずミスを起こす危険を伴うということだ。ミスを犯しても取り返しのつくことだったらいい。

現在の人間の力ではコントロールできない原子力のミスを犯して、取り返しのつかない結果を招く事は、どうしても避けなければならない。いかに経済性優先の社会だといえども、国民の安全安心を守るのに少しでも不安が残るようであれば、より慎重に、場合によってはそういうことを避けるように考えるのが科学的態度というのではないか。想定外の多用は無用である。多用によって責任感が薄れそうな気がするからだ

人口減少と年金や社会保障の減る分

2012年03月04日 | Weblog
人口減少と年金や社会保障の減る分 7,624位 / 1,690,116ブログ中

2010年  12700万人が  2050年には 10060万人 約2500万人減る。3,40年間に2500万人減ればその年金や医療費はどのくらい減るのであろうか。

社会保障が消費税アップしないともたないとしきりに言われるが、どうしてこのように減る部分が提示されないのか。

2500万人分も減れば医療や社会保障費もずいぶん減ると思うが。厚労省あたりがどうして試算しないのだろう。僕の記憶ではそういう数字なり傾向を示したグラフはまだ見たことがない。その辺も十分議論されていいと思うが。


東電議決権過半数取得

2012年03月03日 | Weblog
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問題になったのは、東電の体質である。あれだけの事故を起こしながら、手を引こうとした段階で東電は社会的責任を放棄した。それ以後の事故対応をみても、対応のまずさは目を覆うばかり。自己改革できるはずもなく、電気料金値上げは会社の義務であると公言する体質は、外部からメスを入れない限り、改革できない。
だから客観的に考えて、今の体質のママで企業運営されることは許されるはずもなく、今回の政府の方針は妥当な物だと考える。こうすることによって東電の抜本改革は進むだろうが、いずれにしても付けは国民負担になることは避けられない。

これを機に日本の電力事情が地産地消の方向に向かうことを願うと言うよりは実現の方向に向かわないと、これだけ大きな月謝を払って何も得るところがないという惨めな結果に終わる。

政治家とわいわい組の違い

2012年03月02日 | Weblog

政治家とわいわい組の違い

政治家は発言すればいいという物じゃない。そこが学者や評論家と決定的に違うところだ。学者や評論家はうだうだ言えば、それですむ話だが、政治家はそうはいかない。発言の重みが違う。自分の発言したことを実行して結果を出さなければならない立場にいるからだ。

そういう人間に我々は信頼を置いて、一票をいれているわけだ。批判ばかりせずに前向きに思考して、前向きアドバイスをするならともかくも、無責任に自分の考えにもとずいて、庶民感情を逆なでする愚者がいる。世間ではあざ笑われているにもかかわらずだ。つまり自己主張が強いのだ。それも万人を納得させる説得力がないにもかかわらずだ。
だのに立場もわきまえずに、TVにでて偉そうな口をきく。

大阪都構想が提案されたとき、中身が分からないから反対するという馬鹿な学者がいた。今から選挙するという段階でどうして精密な円が描けると思うのか。国会でやっている消費税問題だってそうじゃないか。アバウトと方向性で賛否を問えばそれで十分。細密画を書く必要はない。書いたところで、庶民がすべて分かるはずがない。中身の詳細については司つかさが詰めればそれですむ話だ。

だからどんなに自論を展開しても、それは空回りをするということに気がついていないのだ。確かに自論には自信を持っているだろうが、それは行動の裏付けがとれないから、まともには信用されない。また現実的側面から見ると空回りの理論になる事も在る。ここが学者馬鹿といわれるゆえんである。
XX大学の学者が偉いのではない。
その道の専門家であるという事は紛れもない事実かも知れないが。それだけのことである。






春風が吹けば

2012年03月01日 | Weblog
春風が吹けば、 8,138位 / 1,689,035ブログ中

季節の変わり目には、必ず衣替えのギャルが登場する。今年のショートパンツはさらに危険ラインに近づいた。早春とはいえ、まだ雪の積もっている所がたくさんあるというのに一足先に、ギャルの心はもう春なのだ。

ボーアのついた厚物衣装からレースのように、軽快な春物衣装へと服装が変わる
季節の移り変わりは女性の服装を見て実感するのがよい。

関西の春は東大寺の2月堂のお水取りがすむとやってくる。
お水取りは3月1日から2週間続けて行われるが、12日がクライマックスの日である。大勢の人がこのお水取りを見学しようと、全国から集まってくる。

お水取りがすむと、飛火野が緑の絨毯を敷き詰めるのを追いかけて、若草山が爽やかな緑に染まる。

四季のある日本の自然を眺めれば、この国ほど美しい自然や季節の移り変わりや、それによって自然が衣替えする景色に恵まれている所は、おそらく世界中にはないだろう。
日本に生まれたシアワセをしみじみと噛みしめた。

12/02/29