■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 05 「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆05 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。
【語彙】
木の端: 取るに足りないものの意で、情けない人間を指す
げに: 誠に、本当に
【現代語訳】
天皇や貴族に次ぐ位置にいる法師ほど、うらやましくないものはありません。(二重否定)
清少納言が枕草子の中で「他の人から見ると、木の端のように取るに足りない人間のように思われます」と記述していますが、本当にその通りです。
【ひと言】
徒然草は、鎌倉時代に執筆されましたので、平安時代の枕草子は当然流布されていたことがわかります。
兼好は、30歳代で出家していますので、世間一般にいわれるのは、法師もうらやましい高貴な立場といわれていますが、法師は木の端のように取るに足りないものと謙虚にいっているのでしょうか。
経営コンサルタントは、相手の理解を求めることが多く、学校の先生的な口調になりがちです。その結果、「上から目線」と捉えられてしまったりします。
かつては、とりわけ、ベテランの先生に多かったのですが、自分が経営コンサルタントであることは、クライアントより偉いと思い込み、「指導してやるのだ」という意識につながり、顰蹙を買うことが結構ありました。
しかし、近年は、その様なコンサルタントも少なくなってきましたが、いまだに散見されます。
彼等の全てが、「好ましくないコンサルタント」というわけではありませんので、コンサルタントと契約するときには、その辺りも勘案し、自社に即した先生を選ぶことが肝要といえます。
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