新聞でもTVでも取り上げられている話題は、「イジメ」「教育基本法の改正」「臓器移植」「核論議」と多岐にわたっています。今朝の新聞&TVは、イジメが治まらなければ自殺をするという手紙が文部科学省に届いたという話題でもちきりでした。
消印が「豊」となっていたというから、頭の中で何となく「そういえばここの郵便局もそうだな」と思ったものです。
それでも豊の付く集配業務をしている郵便局は、全国に44箇所もあるようなので、何処という断定は出来ないのでしょう。東京には豊島区もあれば大阪には豊中市、愛知県には豊田市もあれば豊川稲荷の豊川、豊橋もあります。
でも今回の「拝啓文部大臣ともいえる自殺予告書」って中学生が考えることかなとも思いましたが、真偽の程は藪の中になるのでしょうか。
イジメと言えば、今生きている多くの人が通り過ぎてきた「通過点」にある関門ともいえるのではないかと思われます。
私の時代にもイジメに近い「暴力沙汰や冷やかし」は数多くありましたが、今ほどに陰湿なイジメは無かった様に思います。部活ではコーチの暴力は当たり前の時代でもあり、教師がビンタを張るのもごく当たり前でした。
叩かれるとか殴られるには相応の理由があり、反抗をしようにも「学校の先生は優しいけれど恐ろしい」という観念があったのでまったくの無抵抗主義を貫くしかありません。
反対に意味もなく叱られることも無く、良いことをしたなら褒められたので、学校での先生は父親に似た感情を持っていたのでしょう。
ただこのような時代に変化が起こり、全国の中学では校内暴力の嵐が吹き荒れ、大学では極左の学生運動が過激になった頃から、家庭&学校での「暴力」に対する風当たりも強くなり、はけ口を見つけられない子供達の行動はアンダーグラウンドに潜って行ったのではと思われます。
この頃は教育制度も転換期を迎えて、主任制問題などで教師同士の信頼も失われていったのはこの頃です。
それでも小学、中学を問わずイジメは数多くあったのですが、この頃はまだ「熱血漢ともいえる教師はいた」のです。
私と同い年のT先生もその中の一人でした。
しかし、彼は常に校内では孤立しがちで、サッカーにそのはけ口をぶつけていたのを思い出すと、あの頃すでに学校というものが壊れつつあったのかもしれません。
同じ頃、ある女子高校生から悩みを打ち明けられた時に「私は確実に学校が崩壊している」と感じました。
彼女は道央圏にあるT高校の1年生でしたが、中学2年生から担任の若い教師と付き合っていると打ち明けられた時です。まだ成人には程遠い女子中学生と、肉体関係を3年間も続けている教師とは一体どのようなと思いましたが、仕事柄アドバイスを与える以上は何も出来ません。
このような教師が身近にいる事のショックは、今考えても身震いがします。
世の中には隠されている事が多すぎます。
彼女は数年後に連絡が来て、高校~短大へと進み今は或るデーパトに勤務しているとの事でした。
私と会って一年後には、彼の転勤が別れにつながったそうですが、今でも同じ事を繰り返しているのかも知れません。
本当に変な時代になったものだと思います。