柔道一直線 第01話[公式]
や、これは懐かしい。
人気ドラマで男子はみんな観て
ました。
これは1969年6月22日放送の
第一回。
ロケ地は赤羽や十条などの
赤羽線沿線です。(現埼京線)
主題歌を歌う時には、ガキどもは
みんな最後の伴奏部分も口ずさん
でから「でぇえぇい!」も必ず
言ってた(笑)。
旋盤加工によるタップ取り付け
ですが、タップと先角が面一に
なっていません。
これは絶対にダメです。
私の手作業によるタップ交換例。
タップと先角の接着面の段差は
無くす。手作業加工でタップを
桂剥きで皮をそぐように刃物で
切って行きます。それがこれ。
それとよくネットサイトや動画
では、タップの平面出しで紙や
すりの上でタップをスライドさ
せて削る方法が紹介されていま
すが、駄目です。平面は出ません。
そして、先角のトップの平面出し
で、カッターの刃を立てて回転
させる方法も多く見かけますが
駄目です。
考えてみてください。
回転させると先角の中央部と
外周部は同じ量の削れになり
ますか?
先角トップの平面出しは、刃物
やシャフトを回転させるのみだ
と中央部が確実に凸型になって
しまいます。
カッターの刃を立てて箒を掃い
てスライドさせるように先角の
天辺を削らないと、手作業での
完全平面は出ません。
これは物理的な事なので絶対
です。
平面確認も、カッターの背を
あてて光に透かして隙間が無い
事を目視で確認します。凝視
して。
カッターの平面を当てるなどは
まるで駄目です。
誤った情報が世の中蔓延して
いるので、ご注意ください。
ネット情報を鵜呑みにするので
はなく、物理的に何をどうした
らどうなるかをよく考えて作業
する事が加工仕事では大切です。
(手作業交換例)
この方の洞察は慧眼であると
うならされる事が多い。
PCで見たほうが図解が大きく
俯瞰できるので解説が一層理解
しやすい。
キューを作ったり直したりする
人の全員がこうした細かい点ま
で考察して模索してくれると助
かるんですけどね。
現実世界はそうなってはいない。
これは日本刀の世界でもそうだ。
刀を駄目にする出鱈目な研ぎが
世の中にはびこっているし、大抵、
刀を壊す研ぎ師は踏ん反り返って
偉そうにしている。刀鍛冶も然り。
ろくなものではない。
モノヅクリでは何が大切か忘れて
しまっているのだろう。
戦後の東西冷戦の中にあって、一つ
マイク・ホアーは東側からは「血に
ゲスト 五十嵐喜芳 渡辺真知子 1979 (関東ローカル)
東京で放送していたローカル番組。
1979年。
渡辺真知子は松本ちえこに似ていた。
圧倒的な歌唱力だった。
音無響子【めぞん一刻 #1】最強の未亡人
原作漫画は永遠の名作。
原作漫画のの連載は1980年から。
私が大学生の頃の同時代を描いた
作品。
まだ日本にはバブル経済は来て
おらず、人々の心が汚れていな
かった頃の日本を描いている。
連載終了時は1987年でバブル真っ
最中だが、登場人物はみな純粋だ。
『めぞん一刻』の五代裕作はキャバレー
のバイトの時に、福利厚生部長を命ぜ
られて、ホステスさんたちの子ども
の面倒をみるようになった。
やがて、彼は本当に本気で保育士に
なろうと決心する。
子どもたちはみんな、五代くんが
大好きだ。
私は五代くんのような人が、保育士の
理想のように思える。
保育士の写真を見せたら、子どもが
嫌だ嫌だと泣き叫ぶという事は児童
保育では最悪だ。子どもたちが全員
どんな事を保育士たちにされていたか。
資格の有無より、人がどうかだろう。
心無き人間が心を持つ人間を保育
できる筈がない。
うちは子どもの教育では一切幼児語
を使用しなかった。
靴は靴でありクックではない。
ご飯はご飯でありマンマではない。
幼児語を使わない事により、言語を
介して概念化する知能は飛躍的に
発達する。
結果、1歳3ヶ月で「歳いくつ?」と
尋ねると指を一本出して「ひとつ」
と答え、1歳半の時点で、大人とごく
普通の会話を標準語で話していた。
話しかけと本の読み聞かせはとても
大切で、まるで海綿が水を吸うよう
に言語を覚えて行った。
三歳児の時に、山を見て、とんがって
いる木と丸い葉の木の違いにより、
保水力を山が持っているかどうかを
考察して私に聞かせるようにもなっ
た。
毎週の山への行き帰りに、いろいろ
聞かせていたからだろう。
そのうち、どうしてマス族は川の
上流部にしかいないのかにも疑問を
持ったらしく尋ねるので教えた。
教える時には、まず考えさせる。
「なぜだと思う?」と。
すると子どもなりにいろいろ思考を
巡らせて、その原因を探そうとする。
ここが大切。
最初から答えを与えたりはしない。
自分の力で考えて、自分で考察して、
自分で一つの仮説なりを導き出す
訓練をする。
うちの場合はそれを親子の会話で
常にやっていた。
結果として、物を観察して考察する、
という思考の基本回路は早期から
持つようになっていた。
そして、何でも話し合う事で前に
進める事を覚えさせた。
うちの子どもは駄々をこねて地団駄
踏んだり、泣きわめいたりは一切
しなかった。親が手を上げる事も
皆無だ。常に静かに冷静に話し合う。
なんでも話して聞かせて脳で理解
できるようにしたし、理解し合う
事を会話によって形成する事を
離乳時から心がけた。
なんで?なんで?という質問攻めは
だいたい1歳児代の頃にやってくる。
幼稚園に入った3歳児の頃のかぞえ
5歳時に城の濠について娘から言わ
れた事がある。
私が「この濠、もっと水を綺麗に
すればいいのになぁ」と言ったら、
「それはどうかなぁ」と言う。
「どうして?」と訊くと、「だって、
ほら、水が綺麗だと底が見えるで
しょう?
底が見えたら何があるかわかって
しまうじゃない。深さも。そうし
たら敵が攻めやすくなるから、濠
の意味がなくなるんじゃない?」と。
ああ、なるほど、それはあるね、と
思った。そいつぁごもっとも、と。
ただ、幼児言葉を使わない事で、
言語によって概念化されたり、論理
的な思考をする事は若年時に著しい
発達を見せはしたが、後年注意された。
それはサンタクロースは存在しない
事を実年齢5歳になる年に教えたから
だ。
それを娘は大学の時に言ってた。
「事実とはいえ、子どもの夢を
壊してから」と。
だって、いないもんはいないからね。
それにサンタクロースはクリスマス
とも本来関係は無いし。
プレゼントを贈る習慣は12月の初週
あたりだったし、キリスト教とは
ほんとのところでは関係ない。
まあ、サンタがいないと知った後も
娘は別な捉え方でプレゼントは楽し
みにして喜んではいたが。
これ、実は山へ行く道中の車の中で
ユーミンをかけていたら娘から質問
されたので、思案の上、答えたのだ
った。
「恋人がサンタクロース、ってどう
いうこと?本当はサンタクロースっ
て歌っているけど、なんで?」と
訊くので。
サンタさんは世界中の子どもたちに
プレゼントを届ける。世界中にだ。
一体何人いるのか。
どのような魔法を使って一晩で世界中
に届けるというのか。
これは私が3歳ころに抱いていた疑問
だった。
鹿の仲間であるトナカイの本物を私は
見たことがない。
トナカイもそりも実在するが、サンタ
クロースは実在しない。未発見(笑)。
実在するサンタクロースは、月にいる。
これはアポロ12号が撮影した映像に
たまたま写っていた「サンタ
クロース」。月面上空2km。
NASAはコードネーム「サンタ
クロース」を確認している。
ケベックには行ってみたいなぁ。
特にケベックシティの旧市街。
このケーブルカーは1879年に作ら
れたらしい。全長59メートル。
まるでディズニーシーのような街だ。
もしくは渋谷のスペイン坂。
これは良い。いい感じ。